玉勝間 / 七の巻 天皇御元服の時のことぶき
こは中昔より、天皇をも、みかどと申すから、古語を見て、心得誤れるなり。さて寶位と申すこと、中昔よりこなたの、祝詞宣命には、つねの事なれど、古言にはあらず、漢言なり。こはついでに云ふなり。すべて後の世のは、祝詞も、宣命も古言を知らざるから、漢語のみにぞなりもてきにける。
新字:こは中昔より、天皇をも、みかどと申すから、古語を見て、心得誤れるなり。さて宝位と申すこと、中昔よりこなたの、祝詞宣命には、つねの事なれど、古言にはあらず、漢言なり。こはついでに云ふなり。すべて後の世のは、祝詞も、宣命も古言を知らざるから、漢語のみにぞなりもてきにける。
書き下し
こは中昔より、天皇をも、みかどと申すから、古語を見て、心得誤れるなり。さて宝位と申すこと、中昔よりこなたの、祝詞・宣命には、つねの事なれど、古言にはあらず、漢言なり。こはついでに云うなり。すべて後の世のは、祝詞も、宣命も古言を知らざるから、漢語のみにぞなりもてきにける。
現代語訳
これは中古から天皇のことをも「みかど」と申し上げるようになったので、古語を見て取り違えたのである。さて「宝位」と申すことは、中古以来の祝詞や宣命ではふつうのことだが、古い言葉ではなく漢語である。これはついでに言うのである。総じて後の世のものは、祝詞も宣命も古い言葉を知らないために、漢語ばかりになってきてしまった。
解説
前の段の結びで、「天皇が朝廷」という誤りがなぜ生じたかを説明している。本来「みかど」は御門、すなわち宮の門や朝廷を指す言葉であった。それが中古から天皇その人を指して「みかど」と呼ぶようになったため、古語の「天皇が朝廷(すめらがみかど)」を天皇の意味だと取り違えたのだ、と宣長は言う。言葉の意味がずれていくと、古い言い回しを読み違え、その読み違いがまた新しい文章に入り込む。さらに「宝位」のような漢語が祝詞や宣命に常用されるようになり、神に申す言葉までが漢語に染まっていった。祝詞も宣命も古言を知らないまま作られ、漢語ばかりになった、という嘆きは、宣長の古語復興の動機そのものである。意味の変化を知らずに古い言葉を使うと、正しいつもりで誤りを重ねてしまう。言葉の歴史を知ることは、言葉を正しく使うための前提である。
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 天皇御元服の時のことぶき同別記、久安六年正月四日、近衛天皇御元服の儀式の中に曰く、東に進みて御前に当たり北面し、壁代の外の畔に留まり立ち、磐折して祝詞を奏すらく、御酒これ厚く、御肴これ嘉し、赤花て敬い祭り賜わば、もろもろの神たち悦びたまい、遺の味を嘗め賜わば、御躰平らかに御坐して、天地の休き事を、日月と共に受け保ち賜い、手長の御世の、遠き御世に、貴く戴き重ね御坐せと申す、また御冠を加え奉るところに曰く、御前に当たり進み、壁代の外の畔に留まり立ち、(揖せず)磐折して奏す、祝詞、その詞に云う、掛けまくも畏き天皇が朝廷、今月の吉日に、御冠加え賜いて、盛りに美しき御負い人と成り賜いぬ、天つ神地つ祇相悦び、護り幸え奉り賜いて、御寿長く久しく、宝位動き無く御坐せと申す、と見えたり。この二つの祝詞、文いとつたなし。はじめなるは、殊に拙し。今仮字づけも何も、本のままにしるせるを、かなづきなど、後に写し誤れりと見ゆる所々も有れど、もとよりいと拙きさまなり。古言のかたちの、ほのぼのまじれるは、古きかたの有りしが、つぎつぎに崩れて、かく拙くは成れるなるべし。この頃はやく、古語はむげにすたれ果てて、知れる人も無かりしと見えたり。おくなるは、ことも無けれど、天皇の御事を、天皇が朝廷と有るは、いみしき誤りなり。古語に天皇が朝廷とは、朝廷をこそ申せれ、天皇を然申せる事無し。
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『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞小右記の、長和五年のところに云わく、御即位の後、天下の諸神に奉幣する祝詞。天皇が詔旨と、皇神等の広前に、称辞言え奉り申し給わく、高天原に神留まり坐す、皇親神漏伎神漏美の命以ちて、事寄さし給える、豊葦原の瑞穂の国の、天つ日嗣の高御座の次次、去る四月廿八日より食国天下の政を聞こし食すに依りて、その状を申し給うと、散位正六位上大中臣朝臣高邦を、差し使わして、礼代の幣帛を捧げ持たしめ奉り給う、天皇が御命を、申し給わくと申す。今案ずるに、件の文は祝詞なり、宣命に非ず、とあり。称辞言奉申給は、言の字は竟の誤りなるべし。言の字あまりて、竟と云うことたらざればなり。また申と云う言もあまれり、奉申かとも思えど、それも古には例なき事なり。さてまた次次も聞こえず、次隨隨など有りけむが、字の落ちたるなるべし。四月廿八日は、正月廿九日の誤りなり。これらは、善本には然ぞあるべき。そもそも祝詞宣命などの文、中むかしよりこなた、つぎつぎにつたなく成りて、大かた語のととのわで、ことわり聞こえがたき事もおおかるを、こまかにさだする人も無きは、古意にうとく、古言を知らざるが故なり。これらは詞にあやをなせる物にて、古のは皆いとめでたかりしものを、かくのみなおざりに成り行くがうれたさに、今ことのついでに、いささかおどろかし置くなり。
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『玉勝間』十四の巻 御の字御の字の事、もろこしにては、その国の王の事ならでは云わず。臣下に云える事無し。この字即ち王の事をさして云えるが如し。皇国にては、みと云うにこの字をあてたれど、御は天皇に限らず。もとより下々にても尊みて広く云う言なり。大御と云うぞ、大かた天皇に限りて云える。神に申すは、すべて神は天皇とひとしく、御妻を后、御行を幸と云う類なり。されば大御と云うは、もろこしの御の字のつかいざまに近し。さて後には大御を音便にオオンと云いて、天皇にかぎらず広く云う事となり。又その後には、そのオオンのオを省きて、オンと云い、後には又ンをも省きて、オとのみ云う。今の俗には物に書きては、御の字をオンと云えども、口語にはオとのみ云えり。稀れ稀れにオミ帯、オミ袷、オミ足など云う事の有るは、大御てふ古言の、たまたまに残れるなり。されどこはなべてにはわたらぬ事なり。
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞また申さく、天皇が朝廷に仕え奉る親王等・王等・諸臣・百官人等、天の下四方の国の百姓諸々集い侍りて、見たべ尊みたべ歓びたべ聞きたべ、天皇が明庭に茂し世に、八桑枝の立ち栄え仕え奉るべき禱りを聞こしめせと、恐み恐みも申し給わくと申す、これなり。この文、ふるくめでたき事多きを、世に知れる人稀なる故に、今写し出せり。ところどころ文字の誤りおおかるを、今は三四本を合わせ見て互いに善き悪しき中に、善しとおぼしきを撰びてしるしつ。されどなお誤りと見ゆる所々無きにあらず、なお善本を得て正すべきなり。さて今古言を考えて、訓をも加えたるついでに、いささかことの意をも解くべし。第六行なる天都御膳の遠の字は、必ず乃なるべし。遠にても聞ゆるが如くなれども、さては次に瑞穂遠と有る遠と重なれり。由庭仁所知食の知の字は、聞なるべし。第十行の天忍雲根神遠天乃云々、受給波里申仁、これは天忍雲根神遠、神漏岐神漏美命乃前仁、受給波里申仁、天乃二上仁奉上弖と、語を次第て見れば、よく聞ゆるなり。宇都志国乃水了の了の字は、尸とも加とも有り、皆誤りなり、かならず仁なるべし。天都水加加の立の字は、弖を誤れるなり。申遠里は心得ず、必ず申世止と有るべき処なり。
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