玉勝間 / 七の巻 不如闕礼仏之勤全敬神之忠との詔
同記に、同四年九月十七日、今日春日若宮祭、仍不取念珠、不得私入堂、自京師奉幣、云云、及禮拜時、詔余日、汝有神齋、不可拜乎、對曰、君前何以私齋闕禮耶、復詔曰、所奏合禮之意、然而今非所行正禮之處、不如闕禮佛之勤、全敬神之忠矣、余從詔旨、と見えたり。詔は鳥羽ノ法皇の詔なり。こは法皇天王寺に御幸ありて、彼ノ寺におはしましける時、賴長公も御共にて、さふらひ給へるほどの事なり。然る佛事の御をりしも、さすがに神わざを、やむことなくおぼしめしたる詔の、尊くおぼえ奉るままに、しるしつ。
新字:同記に、同四年九月十七日、今日春日若宮祭、仍不取念珠、不得私入堂、自京師奉幣、云云、及礼拝時、詔余日、汝有神斎、不可拝乎、対曰、君前何以私斎闕礼耶、復詔曰、所奏合礼之意、然而今非所行正礼之処、不如闕礼仏之勤、全敬神之忠矣、余従詔旨、と見えたり。詔は鳥羽ノ法皇の詔なり。こは法皇天王寺に御幸ありて、彼ノ寺におはしましける時、頼長公も御共にて、さふらひ給へるほどの事なり。然る仏事の御をりしも、さすがに神わざを、やむことなくおぼしめしたる詔の、尊くおぼえ奉るままに、しるしつ。
書き下し
同記に、同四年九月十七日、今日春日若宮祭、仍りて念珠を取らず、私に堂に入ることを得ず、京師より奉幣す、云々、礼拝の時に及びて、余に詔して曰く、汝神斎有り、拝すべからざるか、対えて曰く、君の前に何ぞ私の斎を以て礼を闕かんや、また詔して曰く、奏する所礼の意に合う、然れども今は正礼を行う所の処に非ず、仏を礼するの勤めを闕きて、神を敬うの忠を全うするに如かず、余詔旨に従う、と見えたり。詔は鳥羽の法皇の詔なり。こは法皇天王寺に御幸ありて、彼の寺におわしましける時、頼長公も御共にて、さぶらい給えるほどの事なり。然る仏事の御おりしも、さすがに神わざを、やむことなくおぼしめしたる詔の、尊くおぼえ奉るままに、しるしつ。
現代語訳
同じ記(台記)に次のように見える。「久安四年九月十七日、今日は春日若宮祭である。そこで数珠を手に取らず、私的に堂に入ることもしない。京から奉幣する、云々。礼拝の時になって、(法皇が)私に仰せられた。『お前は神事の斎(ものいみ)があるから、拝んではならないのではないか』。私はお答えした。『君の御前で、どうして私の斎を理由に礼を欠くことができましょうか』。また仰せられた。『申すところは礼の趣意にかなっている。しかし今は正式の礼を行う場ではない。仏を礼拝する勤めを欠いても、神を敬う忠を全うするほうがよい』。私は仰せに従った」。仰せは鳥羽法皇のお言葉である。これは法皇が四天王寺に御幸されて、その寺においでになった時、頼長公もお供をして伺候しておられた時のことである。そのような仏事の折でありながら、さすがに神事を大切にお思いになったお言葉が尊く思われるので、書き記した。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十の巻 春日ノ社の預リ同じ記に曰く、同年九月七日、今日左大弁を招き、春日社の預二人を仰せ下す、本は六人なり、而るに関白殿長者の間、一人を加えて七人と為す、余長者の後、仰せて曰く、宜しく旧に任せて六人と為すべし、但し本の預を解却すべきに非ず、一人闕くる時、補い替うべからず、てえり。その後預信春罪有りて解却す。祐房・有兼死去す。三人の替りに二人を補すなり。(有定・祐政)
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『玉勝間』十二の巻 いにしへ神事を重くせられし事書紀天智天皇の御巻に、九年三月、山の御井の傍らに於て、諸神の座を敷きて、幣帛を班つ、中臣金の連祝詞を宣る、と見えたり。そのかみ中臣の氏人は、ここら有りつらむに、金の連にしも、祝詞を宣らしめ給えるをもて、古え神事を、いみしく重くせられしほどを知るべし。この連公この時位は、大錦上にて、正四位上にあたれども、そのかみ第二の臣にて、明年正月に、右大臣に任ぜられて、いと重き人にぞ有りける。そもそもこの天皇は、殊にから御心におわしまして、万づにもろこしぶりをならい移されたる御世なりしかども、なお神事のやんごとなかりし事は、かくぞ有りし。
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『玉勝間』七の巻 伊勢ノ大御神の仏をきらひ給ふ事台記に、天養二年三月七日、左馬権頭顕定来たりて云う、左大将(雅定)伊勢勅使の精進の間、他所に渡ると雖も、衣裳雑具等、なお中院の第に在り、仍りて仏経等、家中に置かず、而る間中院の寝殿に、煙有り、(件の煙屋上に見ゆ、)隣里驚きて、放火の由を存じ、驚きて天井を放ちて之を見るに、絵像の仏五躰、色旗等有り、件の物を門外に出だすの後、煙散じ尽く。
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『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞同じ記のつづきにまた云わく、天慶九年四月十五日の外記日記に云う、天皇即位す、仍りて五畿内七道諸国の天神地祇に幣帛を奉らんが為に、五畿内は諸司の物を以て宛て用い、諸国は当の正税を以て之に宛て用う、使は道毎に神祇の中臣斎部等を差す、(各駅鈴一口を給う、但し畿内の使には給わず、)また五畿七道諸国の諸神に奉幣する日、廃務の有無の事、天禄元年三月廿日辛酉、終日雨降る、上卿参らず、仍りて政無きなり、今日天皇御即位の後、先例に依りて五畿七道諸国の諸名神に奉幣する使を発遣せらるるなり、件の使等は、神祇官の先日差し申すに依りて、大中臣斎部等を以て其の官と為し、諸国に符し給う、但し神祇官より件の使等を立つ。また、畿内七道の使の官符八枚、七道の幣料、正税を以て之に宛つべき官符五枚等なり、合わせて十五枚、と見えたり。この記は、後の小野の宮の右大臣実資公の日記なり。
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『玉勝間』十三の巻 神社にてほうしをして仏の経をよましむる事同紀に、斉衡元年四月、伝灯大法師位智戒興智真秀、伝灯法師位明昭玄永、伝灯満位僧基蔵基秀を遣わし、七道諸国の名神社に向かい、般若を転読せしむ、民の福を祈るなり。また同三年九月、僧を賀茂松尾大神社に請い、金剛般若経を読ましむ、三日を限りて訖う。また天安元年五月にも、同じ事あり。すべてかかるたぐいの事は、いかなる事にか有りけむ。
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『玉勝間』十三の巻 鳥羽ノ法皇崇徳上皇熊野御幸御出立の事同記に、同二年二月五日壬辰、今日両上皇熊野に参詣せしめ給う。寅の尅御進発、権僧正覚宗、両方の御先達と為る、法皇白布の御浄衣、同じく頭巾、絹の小袈裟、御杖を持たしめ給う。上皇、白生絹の御浄衣、(狩衣袴)脛巾藁履御杖等、権中納言藤公能卿、参議同〓長朝臣、上皇の御共に扈従す、云云、三月四日辛酉、両院熊野より還御、法皇稲荷に参らしめ給わず、直ちに鳥羽殿に入御す、去る比法印円行入滅す、若しくは件の事に依るか。件の人、白河院の御子と称すと雖も、頗る疑殆有りと云云。晏駕の昔、議有りて御忌に籠らずと云云。上皇稲荷に参らしめ給い畢んぬと有り。これを見れば、熊野御幸よりかえらせ給いては、稲荷の社に詣で給いてさて御所に入らせ給う例にや有りけむ、尋ぬべし。
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