玉勝間 / 七の巻 文倉
同記に、同年四月二日(丁丑)、自正月所始造之文倉造了、今日置文書、(依吉時用午刻、憲榮勘申申日時、)余着冠直衣、取春秋緯櫃、先入置陽棚、(東棚五重、謂之陽、)藏人式部丞藤成佐、着東帶、取易詩等緯及河渠書櫃、復入置陰棚、(西棚六重、謂之陰、)泰親申云、作文倉、始入河洛書之由、先達所傳也、余從用之、文倉制、高一丈一尺、(北外礎高一尺)東西二丈三間、南北一丈二尺一間、南北有戶、四方皆棒之以板、其上塗石灰、其戶塗端柄、爲不令剝落也、葺以瓦、去倉六尺、築芝垣、廣七尺、高一丈三尺、坤角、有出道之道、乾角決地令通水、芝垣外掘溝、深三尺、廣二尺、其外栽廻竹、其外有尋常築垣、(西北家外郭、東南別爲倉郭、)巽角(南面)有戶、云云、其書有四部、金經、史書、雜說、本朝。
新字:同記に、同年四月二日(丁丑)、自正月所始造之文倉造了、今日置文書、(依吉時用午刻、憲栄勘申申日時、)余着冠直衣、取春秋緯櫃、先入置陽棚、(東棚五重、謂之陽、)蔵人式部丞藤成佐、着東帯、取易詩等緯及河渠書櫃、復入置陰棚、(西棚六重、謂之陰、)泰親申云、作文倉、始入河洛書之由、先達所伝也、余従用之、文倉制、高一丈一尺、(北外礎高一尺)東西二丈三間、南北一丈二尺一間、南北有戸、四方皆棒之以板、其上塗石灰、其戸塗端柄、為不令剥落也、葺以瓦、去倉六尺、築芝垣、広七尺、高一丈三尺、坤角、有出道之道、乾角決地令通水、芝垣外掘溝、深三尺、広二尺、其外栽廻竹、其外有尋常築垣、(西北家外郭、東南別為倉郭、)巽角(南面)有戸、云云、其書有四部、金経、史書、雑説、本朝。
書き下し
同記に、同年四月二日(丁丑)、正月より始めて造る所の文倉造り了りて、今日文書を置く、(吉時に依りて午の刻を用う、憲栄日時を勘申す、)余冠・直衣を着て、春秋緯の櫃を取りて、先ず陽の棚に入れ置く、(東の棚五重、之を陽と謂う、)蔵人式部丞藤成佐、束帯を着て、易・詩等の緯及び河渠書の櫃を取りて、また陰の棚に入れ置く、(西の棚六重、之を陰と謂う、)泰親申して云う、文倉を作りて、始めに河洛の書を入るるの由、先達の伝うる所なり、余従いて之を用う、文倉の制、高さ一丈一尺、(北の外の礎高さ一尺)東西二丈三間、南北一丈二尺一間、南北に戸有り、四方皆之を棒つに板を以てし、その上に石灰を塗る、その戸は端柄を塗る、剥落せしめざらんが為なり、葺くに瓦を以てす、倉を去ること六尺、芝垣を築く、広さ七尺、高さ一丈三尺、坤の角に、出道の道有り、乾の角に地を決して水を通ぜしむ、芝垣の外に溝を掘る、深さ三尺、広さ二尺、その外に竹を栽え廻らす、その外に尋常の築垣有り、(西北は家の外郭、東南は別に倉の郭と為す、)巽の角(南面)に戸有り、云々、その書に四部有り、経、史書、雑説、本朝。
現代語訳
同じ記(台記)に次のようにある。同年四月二日(丁丑)、正月から造り始めていた文倉(書庫)ができあがり、今日文書を納めた(吉い時刻によって午の刻を用いた。憲栄が日時を占って申し上げた)。私は冠と直衣を着て、春秋緯の櫃を取り、まず陽の棚に入れた(東の棚は五段、これを陽という)。蔵人式部丞の藤原成佐が束帯を着て、易緯・詩緯などの緯書と河渠書の櫃を取り、また陰の棚に入れた(西の棚は六段、これを陰という)。泰親(陰陽師の安倍泰親)が申すには、「文倉を造って、初めに河図・洛書の書を入れるのは、先達が伝えていることです」という。私はそれに従って用いた。文倉の造りは、高さ一丈一尺(北の外側の礎石の高さ一尺)、東西二丈で三間、南北一丈二尺で一間、南北に戸がある。四方はみな板で覆い、その上に石灰を塗る。その戸は端や枠まで塗る。剥がれ落ちないようにするためである。屋根は瓦で葺く。倉から六尺離して芝垣を築く。幅七尺、高さ一丈三尺。南西の角に出入りの通路がある。北西の角は地面を切って水を通す。芝垣の外に溝を掘る。深さ三尺、幅二尺。その外に竹を植えめぐらす。その外にふつうの築垣がある(西と北は屋敷の外郭、東と南は別に倉の郭とする)。南東の角(南面)に戸がある、云々。その書は四部に分ける。経、史書、雑説、本朝(日本の書)。
解説
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 頼長公の印の事同記に、文章博士茂明朝臣に仰せて、印の字様を勘えしむ、(これ頼の字の古文なり、名の上の字を用うる例なり、)云々、印、(銅を以て之を鋳る)方一寸九分、高さ一寸八分、壺、(銅を以て之を鋳る、)その形小桶のごとし、身、(口径三寸七分、牙の下を指して之を言う、)深さ一寸七分、蓋、(口径身に同じ、深さ三分)。
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『玉勝間』十の巻 春日ノ社の預リ同じ記に曰く、同年九月七日、今日左大弁を招き、春日社の預二人を仰せ下す、本は六人なり、而るに関白殿長者の間、一人を加えて七人と為す、余長者の後、仰せて曰く、宜しく旧に任せて六人と為すべし、但し本の預を解却すべきに非ず、一人闕くる時、補い替うべからず、てえり。その後預信春罪有りて解却す。祐房・有兼死去す。三人の替りに二人を補すなり。(有定・祐政)
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『玉勝間』二の巻 春記春記と云うふみは、春宮の大夫資房の卿のにきなり。今の世には、ただ一巻ならでは伝わらずと云えり。おのが見たりし本も、八十五ひら有りて、一冊のみなりき。
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『玉勝間』二の巻 六条摂政基実公の棺の事同記に云う、仁安元年九月廿三日云云、棺の料の板四枚、直物を賜いて交易せしめ、左近に仰せて造り始めしむ、寸法、長さ六尺、弘さ二尺、高さ一尺六寸、敷物は練絹長さ六尺、三幅五巻、野草衣、同じ絹長さ八尺四幅両巻、(真言梵字を書くべし、格は生絹八尺四幅、黄幡の料白生絹一丈、こは六条の摂政基実のおとどの御料なり。
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『玉勝間』十三の巻 親王宣旨の書キやう同書に、文治五、十一、十九、同記に云う、高倉院の宮宮、親王の宣旨を下さるべし、云云、御名字を宣下す、云云、壇紙一枚に書く云云、その書様、守貞惟明已上親王と為すと見ゆ。件の二つの御名、並びて各一行に書きて、已上云云は、又一行にて、少し下して書きたり。
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『玉勝間』二の巻 ふみども今は得やすくなれる事その頃までは、大かた斯かりけるに、このちかき年頃となりては、写本ながら代匠記も多く出でて、さらに得がたからず成りぬるは、古学の道のひらけて、ようずる人多ければぞかし。さるは代匠記のみにも有らず、すべて写しまきなる物は、家家の記録などのたぐい、その外の書どもも、いといと得がたかりしに、何も何も、今はたやすく得らるる事となれるは、いともいともめでたく尊き、御代の御栄えになん有りける。
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