玉勝間 / 七の巻 手拍数の事
大神宮儀式帳に、八度拜奉、同書に、四段拜奉、短手二段拍、一段拜、又更四段拜奉、短手二段拍、一段拜奉畢、(此内に、二ツの一段拜は、ただ敬のあまりに、屈伏するにて、拜の數にはあらず、拜の數は四段と四段となり、)同書に、四度拜奉、手四段拍、又後四度拜奉、手四段拍畢、退、(手の數、これは四ヲ拍ッを一段として、四段は、十六うつなり、)同書に、四段拜奉、八開手拍、短手一段拍、拜奉、又更四段拜奉、八開手拍、短手一段拍、即一段拜奉、(八開手と云ふは、八ツうつなり、)大神宮式に、再拜兩段、短拍手兩段、膝退再拜兩段、短拍手兩段、一拜訖退出。また同書に、再拜拍八開手、次拍短手、再拜、如此兩遍、云云、大嘗會式に、拍手四度、度別八遍、神語所謂八開手是也、(合せて三十二うつなり、)中右記に、拜八度、先四度、次拍手、次四度、又手打、是名兩段兩拜、(これは他說とことなり、)江次第抄に、兩段再拜者、兩段之間、有小揖、同抄祈年祭條に、上卿拍手作法、不令有聲、手のさきを合せ、やをらやをら打合すなり、同抄、大原野祭、朝使以下皆六拜、とも有れば、六度拜もあることにや。
新字:大神宮儀式帳に、八度拝奉、同書に、四段拝奉、短手二段拍、一段拝、又更四段拝奉、短手二段拍、一段拝奉畢、(此内に、二ツの一段拝は、ただ敬のあまりに、屈伏するにて、拝の数にはあらず、拝の数は四段と四段となり、)同書に、四度拝奉、手四段拍、又後四度拝奉、手四段拍畢、退、(手の数、これは四ヲ拍ッを一段として、四段は、十六うつなり、)同書に、四段拝奉、八開手拍、短手一段拍、拝奉、又更四段拝奉、八開手拍、短手一段拍、即一段拝奉、(八開手と云ふは、八ツうつなり、)大神宮式に、再拝両段、短拍手両段、膝退再拝両段、短拍手両段、一拝訖退出。また同書に、再拝拍八開手、次拍短手、再拝、如此両遍、云云、大嘗会式に、拍手四度、度別八遍、神語所謂八開手是也、(合せて三十二うつなり、)中右記に、拝八度、先四度、次拍手、次四度、又手打、是名両段両拝、(これは他説とことなり、)江次第抄に、両段再拝者、両段之間、有小揖、同抄祈年祭条に、上卿拍手作法、不令有声、手のさきを合せ、やをらやをら打合すなり、同抄、大原野祭、朝使以下皆六拝、とも有れば、六度拝もあることにや。
書き下し
大神宮儀式帳に、八度拝み奉る、同書に、四段拝み奉り、短手二段拍ち、一段拝し、また更に四段拝み奉り、短手二段拍ち、一段拝み奉りて畢る、(この内に、二つの一段拝は、ただ敬のあまりに、屈伏するにて、拝の数にはあらず、拝の数は四段と四段となり、)同書に、四度拝み奉り、手四段拍ち、また後に四度拝み奉り、手四段拍ちて畢り、退く、(手の数、これは四つ拍つを一段として、四段は、十六うつなり、)同書に、四段拝み奉り、八開手拍ち、短手一段拍ち、拝み奉る、また更に四段拝み奉り、八開手拍ち、短手一段拍ち、即ち一段拝み奉る、(八開手と云うは、八つうつなり、)大神宮式に、再拝両段、短拍手両段、膝退して再拝両段、短拍手両段、一拝して訖りて退出す。また同書に、再拝して八開手を拍ち、次に短手を拍ち、再拝す、かくのごとく両遍、云々、大嘗会式に、拍手四度、度別に八遍、神語にいわゆる八開手これなり、(合わせて三十二うつなり、)中右記に、拝八度、先ず四度、次に拍手、次に四度、また手打つ、これを両段両拝と名づく、(これは他説とことなり、)江次第抄に、両段再拝は、両段の間に、小揖有り、同抄祈年祭の条に、上卿拍手の作法、声有らしめず、手のさきを合わせ、やおらやおら打ち合わすなり、同抄、大原野祭、朝使以下皆六拝、とも有れば、六度拝もあることにや。
現代語訳
皇太神宮儀式帳に「八度拝み申し上げる」とある。同じ書に「四段拝み申し上げ、短手を二段拍ち、一段拝し、さらにまた四段拝み申し上げ、短手を二段拍ち、一段拝み申し上げて終わる」とある(このうち、二つの一段拝は、ただ敬意のあまりに身をかがめるだけで、拝の数には入らない。拝の数は四段と四段である)。同じ書に「四度拝み申し上げ、手を四段拍ち、また後に四度拝み申し上げ、手を四段拍って終わり、退く」とある(手の数は、四つ拍つのを一段として、四段は十六拍つのである)。同じ書に「四段拝み申し上げ、八開手(やひらで)を拍ち、短手を一段拍ち、拝み申し上げる。さらにまた四段拝み申し上げ、八開手を拍ち、短手を一段拍ち、すぐに一段拝み申し上げる」とある(八開手というのは八つ拍つのである)。延喜式の大神宮式に「再拝を両段、短い拍手を両段、膝をついて退いて再拝を両段、短い拍手を両段、一拝して終わって退出する」とある。また同じ書に「再拝して八開手を拍ち、次に短手を拍ち、再拝する。このようにして二度繰り返す」などとある。大嘗会式に「拍手を四度、一度ごとに八遍。神の言葉でいう八開手がこれである」とある(合わせて三十二拍つのである)。中右記に「拝を八度、まず四度、次に拍手、次に四度、また手を打つ。これを両段両拝という」とある(これは他の説と異なる)。江次第抄に「両段再拝というのは、両段の間に小さく会釈をすることである」とあり、同じ抄の祈年祭の条に「上卿の拍手の作法は、音を立てさせず、手の先を合わせ、そっとそっと打ち合わせるのである」とある。同じ抄に「大原野祭では、朝廷の使い以下みな六拝する」ともあるから、六度拝むこともあるのだろうか。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』七の巻 手拍数の事正応六年七月十六日、公卿勅使記に、勅使、宸筆の宣命笏に取り添えて、御拝四箇度、拍手両段、また御拝四箇度、拍手両端、ただし後の両端の手、之を略さる、嘉暦三年九月十日、公卿勅使記にも、勅使、宸筆の宣命を笏に取り添えて、御拝四箇度、拍手両端、また御拝四箇度、拍手両段と見ゆ。元文三年大嘗会便蒙に、大忌の公卿、庭中の版位に着き、拍手、常のかしわ手は、二つずつうつばかりなり。この時の拍手は、四度ずつ八度、一人の拍手の数、三十二なり。やひらでと云う、と云えり。当宮にて、今の世の拝は、大神宮年中行事によりて行うなり。その拝のさま、拝八度、手両端と有り、(この両端は、四つを一段とし、それを二度にて、合わせて八つなり、その八つを、四度拝の後ごとに拍ちて、合わせて十六なり、今も、四度拝し、手八つ打ちて、膝退して、また四度拝、手八つ打ち、後手拍つなり)四つを一段とすると、八つを一段とするとの異あり、と荒木田の経雅の神主の、儀式帳の解に云えり。末の細書に、数のたがいあるは、問いてよくただして、またしるすべし。
-
『玉勝間』十二の巻 扇をとりて神ををがむ事今の世に神を拝むに、扇を笏のようにとり持ちておがむは、古の儀にあらざるべし。貞観十年六月廿八日の格に、云云住吉・平岡・鹿島・香取等の神主并びに祝・禰宜、皆これ笏を把る、自余の神社は、未だこの例に預からず、祭礼の日は、手を拱きて事に従う云云。これによりて思えば昔は、笏を把らぬ者は、手を拱きて拝みしなるべし。
-
『玉勝間』五の巻 大神宮に諸人のまうづる事同じ書に、承平四年九月の御祭云云、参宮人千万、貴賤を論ぜず云云、と有るを見れば、その頃もかかりしなり。そもそも大神宮には、私の幣を奉ることは、禁制なりしかども、詣ずる事は、なべて苦しからざりしにや。
-
『玉勝間』一の巻 中臣寿詞その中に、上に引きたる左京二条座二座神は、大社の列にだに入り給わざるに、この祭に預かり給うことは、新嘗に殊なる故ある神なるべし。明良志は、理を延べて良志と云えるにて、阿加理なり。事仁は、下の奉仕と云うへ続く辞なり。食倍はみな多倍と訓むべし、給えと云う事なり。さて聞食倍の下に、弖と云う辞を添えて心得べし。天皇明庭の明の字は、朝の誤りなり。禱乎所聞食止は、一本には称辞竟奉良久止と有り、これも悪しからず。さて天忍雲根神云々の事、伊勢の外宮の書どもに、天村雲命の事として記せり。同じ神にやあらむ。さてこの寿詞を申す事は、辰の日豊楽院に幸し、悠紀の帳に御す、神祇官の中臣、賢木を笏に執りそえて、南門より入る。版位につき跪きて、天つ神の寿詞を奏すと、大嘗祭式に見えたり。わすれたり、大嘗会乃斎場とある会の字は、宮を誤れるなるべし
-
『玉勝間』十二の巻 神社をたふとむべき事公式令に、大社の号は、闕字の例に出だされたり。大社とは、神名帳に、大とある社これなり。古えはかく、公の文書にも、闕字せられたりしを以て、神社を尊み給いし程を知るべし。今の世には、大社といえども、闕字はさらにも云わず。その事を書くに、すべて御の字をだに付くること無きは、いとおろそかならずや。
-
『玉勝間』一の巻 中臣寿詞相候は、儀式には相仕、大嘗祭式には共作と有り。これらを合わせて思うに、仕も候も誤りにて、相作なるべし。由志理伊都志理は、由は斎、伊都は厳にて、共に斎い清めたること、志理は、斎まわり清まわりの、まわりの如き、辞と聞こえたり。日時撰撰定、こはいつも定まれる事なるを、かく申すは、上代には、その度々撰びて定めしにや。さてその代の詞のままに、後までも申せるか。赤丹乃穂仁毛の毛の字は、衍なり。後の人、この言の意を知らず、ただ上に二つ仁毛と有るにならいて、みだりにここにも加えたる物なるべし。明御座弖の弖は、かならず止と有るべき所なり。相嘗は、阿比爾閉と唱うべし。爾閉を牟倍と唱うるは、後の世の音便にくづれたる唱えなり。大嘗も、大爾閉なるを、大牟倍と云うと同じ。さてこの相嘗は、天皇と相伴に、新饗し奉る意の名にて、俗に云わゆる相伴の心ばえなり。さる故にこの祭は、必ずしもその神社の尊き卑きにもよらず、必ず預かり給うべく思わるる神にも、預かり給わぬ多し。これ殊に故有りて、預かり給うは預かり給うなるべし。その神七十一座おわしまして、四時祭式に見えたり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る