玉勝間 / 七の巻 もろこしに無きこと
もろこしのまなびする人、彼の國に無き事の、御國に有るをば、文盲なる事と、おとしむるを、もろこしにも有る事とだに云へば、さてゆるすは、いかにぞや。もろこしには、すべて文盲なる事は、無き物とや心得たるらむ。彼の國の學びするともがらは、よろづにかしこげに、物は云へども、斯かる愚かなる事も有けり。
新字:もろこしのまなびする人、彼の国に無き事の、御国に有るをば、文盲なる事と、おとしむるを、もろこしにも有る事とだに云へば、さてゆるすは、いかにぞや。もろこしには、すべて文盲なる事は、無き物とや心得たるらむ。彼の国の学びするともがらは、よろづにかしこげに、物は云へども、斯かる愚かなる事も有けり。
書き下し
もろこしのまなびする人、彼の国に無き事の、御国に有るをば、文盲なる事と、おとしむるを、もろこしにも有る事とだに云えば、さてゆるすは、いかにぞや。もろこしには、すべて文盲なる事は、無き物とや心得たるらむ。彼の国の学びするともがらは、よろずにかしこげに、物は云えども、かかる愚かなる事も有りけり。
現代語訳
中国の学問をする人は、かの国にないことが我が国にあると、それを無学で野暮なことだとさげすむのに、中国にもあることだと言いさえすれば、それで許すのはどうしたことか。中国には無学で野暮なことはまったくないとでも心得ているのだろうか。かの国の学問をする者たちは、何事にも賢そうにものを言うけれども、このような愚かなこともあるのである。
解説
漢学者の判断の基準を皮肉った短い段である。日本にしかない習俗を見ると、漢学者は「文盲なること」、つまり教養のない野暮なことだと見下す。ところが同じことが中国にもあると聞くと、途端に認める。善し悪しを、事柄そのものではなく、中国にあるかないかで決めているのである。宣長は、中国には野暮なことが一つもないとでも思っているのか、と突く。これは漢意の典型的な現れで、外の権威を物差しにして自分の足元を測る癖である。この構えは、舶来のものや海外の評価を基準に自国の文化を裁くという形で、今も形を変えて見られる。物事の良し悪しは、どこにあるかではなく、それ自体の中身で見るべきだという、ごく当たり前の、しかし守りにくい原則を示した一段である。
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