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玉勝間 / 七の巻 おらんだと云ふ国のまなび

近き年頃、於關陀と云ふ國の學問をする事、はじまりて、江戶などに、そのともがら、かれこれと有めり。或る人、もはら其の學びをするが、云ひけるおもむきを聞くに、於蘭陀は、其國人、物換へに、遠き國國を、あまねく渡りありく國なれば、其國の學問をすれば、遠き國國のやうを、よく知る故に、漢學者の、かの國にのみなづめる癖の、惡しき事の知らるるなり。あめつちのあひだ、いづれの國も、おのおの其國なれば、必ヌ一トむきにかたよりなづむべきにあらず、とやうにおもむけ云ふめり。そは彼のもろこしにのみなづめるよりは、まさりて一わたり然る事とは聞ゆれども、なほ皇國の、萬つの國にすぐれて、尊き事をば知らざるにや。萬の國の事を知らば、皇國のすぐれたる程は、おのづから知るらむものを、なほ皇國を尊む事を知らざるは、かのなづめるを惡ろしとするから、ただなづまぬを善しとして、又それになづめるにこそ有らめ。おらんだのには有らぬ、世のつねの學者にも、今は此たぐひも有るなり。

新字:近き年頃、於関陀と云ふ国の学問をする事、はじまりて、江戸などに、そのともがら、かれこれと有めり。或る人、もはら其の学びをするが、云ひけるおもむきを聞くに、於蘭陀は、其国人、物換へに、遠き国国を、あまねく渡りありく国なれば、其国の学問をすれば、遠き国国のやうを、よく知る故に、漢学者の、かの国にのみなづめる癖の、悪しき事の知らるるなり。あめつちのあひだ、いづれの国も、おのおの其国なれば、必ヌ一トむきにかたよりなづむべきにあらず、とやうにおもむけ云ふめり。そは彼のもろこしにのみなづめるよりは、まさりて一わたり然る事とは聞ゆれども、なほ皇国の、万つの国にすぐれて、尊き事をば知らざるにや。万の国の事を知らば、皇国のすぐれたる程は、おのづから知るらむものを、なほ皇国を尊む事を知らざるは、かのなづめるを悪ろしとするから、ただなづまぬを善しとして、又それになづめるにこそ有らめ。おらんだのには有らぬ、世のつねの学者にも、今は此たぐひも有るなり。

書き下し

近き年頃、阿蘭陀と云う国の学問をする事、はじまりて、江戸などに、そのともがら、かれこれと有んめり。或る人、もはらその学びをするが、云いけるおもむきを聞くに、阿蘭陀は、その国人、物換えに、遠き国々を、あまねく渡りありく国なれば、その国の学問をすれば、遠き国々のようを、よく知る故に、漢学者の、かの国にのみなずめる癖の、悪しき事の知らるるなり。あめつちのあいだ、いずれの国も、おのおのその国なれば、必ず一とむきにかたよりなずむべきにあらず、とようにおもむけ云うめり。そは彼のもろこしにのみなずめるよりは、まさりて一わたり然る事とは聞こゆれども、なお皇国の、万ずの国にすぐれて、尊き事をば知らざるにや。万の国の事を知らば、皇国のすぐれたる程は、おのずから知るらむものを、なお皇国を尊む事を知らざるは、かのなずめるを悪ろしとするから、ただなずまぬを善しとして、またそれになずめるにこそ有らめ。おらんだのには有らぬ、世のつねの学者にも、今はこのたぐいも有るなり。

現代語訳

近年、オランダという国の学問をすることが始まって、江戸などにその仲間があれこれといるようである。ある人で、もっぱらその学問をしている者が言った趣旨を聞くと、「オランダは、その国の人が交易のために遠い国々をくまなく渡り歩く国なので、その国の学問をすれば遠い国々のありさまをよく知ることができる。だから漢学者が中国だけにこだわっている癖の悪いことがわかるのである。天地の間では、どの国もそれぞれ一つの国なのだから、決して一方にかたよってこだわるべきではない」というふうに説くようである。それは、あの中国だけにこだわるのよりは勝っていて、ひととおりはもっともなことと聞こえるが、それでも皇国があらゆる国に優れて尊いことを知らないのだろうか。あらゆる国のことを知るなら、皇国の優れていることはおのずからわかるはずなのに、それでも皇国を尊ぶことを知らないのは、あのこだわりを悪いとするあまり、ただこだわらないことを善いとして、今度はそれにこだわっているのであろう。オランダの学問をするのではない、普通の学者にも、今はこのたぐいの者がいる。

解説

蘭学者の相対主義への反論である。杉田玄白らの解体新書以後、江戸では蘭学が盛んになった。ある蘭学者は、オランダは世界を航海する国だからその学問をすれば世界がわかり、漢学者の中国偏重の誤りもわかる、どの国もそれぞれ一国であって一方にかたよるべきではない、と言う。宣長はこれを中国偏重よりはましだと認める。しかし世界を知れば日本の優れていることもわかるはずで、それを認めないのは、こだわりを嫌うあまり、こだわらないことにこだわっているのだ、と切り返す。皇国を万国に優れた国とする主張は、古事記の神話を事実とみなす宣長の信念から出たもので、今の読み手には受け入れがたい時代の言葉である。ただ「何ものにもとらわれない」という態度が、それ自体一つのとらわれになりうるという指摘は、立場を問わず考えさせられる。

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