甲陽軍鑑 / 品第十三
去る程に鎌倉の公方を守護し奉る國々は相摸·武藏·上野·下野·安房·上總·出羽·奧州·佐渡·越後·信濃·飛彈此國々の侍衆、大身·小身ともに悉く守護豐饒の樣子なり、併公方世が世にてましますときより、上杉諸侍の棟梁と有る上意を承はつて推量候へば、諸國の侍大小皆此管領一人のさいはいを守る、兩上杉とは申せども先山内殿を肝要に用ゆる故、結句後には公方をわきへなし奉り、十人は七人山内殿二人、扇谷へと申て、公方樣へは漸々一人も出仕いたさずしてゐたるにより、公方の御仕合せ如此に候へども、山内殿に楯をつく侍一人としてなき故、少しも子細なく治る、
新字:去る程に鎌倉の公方を守護し奉る国々は相摸·武蔵·上野·下野·安房·上総·出羽·奥州·佐渡·越後·信濃·飛弾此国々の侍衆、大身·小身ともに悉く守護豊饒の様子なり、併公方世が世にてましますときより、上杉諸侍の棟梁と有る上意を承はつて推量候へば、諸国の侍大小皆此管領一人のさいはいを守る、両上杉とは申せども先山内殿を肝要に用ゆる故、結句後には公方をわきへなし奉り、十人は七人山内殿二人、扇谷へと申て、公方様へは漸々一人も出仕いたさずしてゐたるにより、公方の御仕合せ如此に候へども、山内殿に楯をつく侍一人としてなき故、少しも子細なく治る、
書き下し
去る程に鎌倉の公方を守護し奉る国々は相摸·武蔵·上野·下野·安房·上総·出羽·奥州·佐渡·越後·信濃·飛弾此国々の侍衆、大身·小身ともに悉く守護豊饒の様子なり、併公方世が世にてましますときより、上杉諸侍の棟梁と有る上意を承はつて推量候へば、諸国の侍大小皆此管領一人のさいはいを守る、両上杉とは申せども先山内殿を肝要に用ゆる故、結句後には公方をわきへなし奉り、十人は七人山内殿二人、扇谷へと申て、公方様へは漸々一人も出仕いたさずしてゐたるにより、公方の御仕合せ如此に候へども、山内殿に楯をつく侍一人としてなき故、少しも子細なく治る、
現代語訳
さるほどに、鎌倉の公方を守護し奉る国々は、相模・武蔵・上野・下野・安房・上総・出羽・奥州・佐渡・越後・信濃・飛騨。この国々の侍衆は大身・小身ともにことごとく守護が豊かな様子である。しかし公方が世を世としておられた時から、上杉が諸侍の棟梁であるという上意を承って推量すれば、諸国の侍は大小みなこの管領一人の采配を守る。両上杉とは申しても、まず山内殿を肝要に用いるゆえに、結局は後には公方を脇へなし奉り、十人のうち七人は山内殿、二人は扇谷へと申して、公方様へはようやく一人も出仕しないでいたので、公方のお立場はこのとおりであったけれども、山内殿に楯突く侍が一人もいないゆえに、少しも子細なく治まった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』節葬下今、昔者の三代の聖王の既に沒せしに逮び至りて、天下、義を失う。後世の君子、或いは厚葬久喪を以て仁と為し、義と為し、孝子の事と為す。或いは厚葬久喪を以て仁義に非ず、孝子の事に非ずと為す。曰く、二子なる者は、言は則ち相い非とし、行いは即ち相い反す。皆な曰く、「吾れ上は堯舜禹湯文武の道を祖述する者なり」と。而も言は即ち相い非とし、行いは即ち相い反す。此に於て後世の君子、皆な二子なる者の言に疑惑す。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
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『墨子』非命中今、夫れ有命者、言いて曰く、「我れ之を後世に作すに非ざるなり。昔三代より若き言有りて以て傳流せり」と。今、故に先王、之に對せんか。曰く、夫れ有命者は、昔の三代の聖善の人を志さざるか。意うに亡くば昔の三代の暴不肖の人か。何を以て之を知る。初めの列士・卿大夫は、言を慎み行を知り、此れ上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は其の君長の賞を得、下は其の百姓の譽を得。列士・卿大夫の聲聞、廢れず、傳流して今に至る。而して天下、皆な其の力なりと曰う。一
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二宮翁夜話・巻之五老中某侯(ぼうこう)の家臣、市中にて云々の横行あり、横山平太之を誹(そし)る、翁(おきな)曰(いわ)く、執政は政事(まつりごと)の出る処、国家を正(ただ)しうして、不正無からしむるの職(しょく)なるに其家僕(かぼく)其威(い)をかりて、不正を行ふ者往々あり、譬(たと)へば町奉行の奴僕(ぬぼく)等、両国浅草等に出る、予が法皮(はっぴ)を見よなどゝ罵(ののし)るに同じ、国を正しうする者、家を正しうする事能(あた)はざるが如しといへども、是家政の届(とど)かざるにあらず、勢(いきおい)の然らしむる物なり、彼(か)の河水を見よ、水の卑(ひ)きに下るの勢、政事の国家に行はれて置郵伝命(ちゆうでんめい)より速(すみやか)なるが如し、而(しか)て水流急にして、或は岩石に当り、石倉に当る処、急流変(へん)じて逆流となる物なり、夫(それ)老中の権威(けんい)は、譬へば急流の水勢防(ふせ)ぐべからざるに同じ、家僕等法を犯す者あるは、急流の当る処逆流となるが如し、是自然に然(しか)らざるを得ざる物なり、咎(とが)むる事勿(なか)れ。
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論語・八佾篇三家者、雍を以て徹す。子曰く、『相維(かな)い辟公、天子穆穆(ぼくぼく)。何をか三家の堂に取りてか。』
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論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」