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玉勝間 / 七の巻 和泉ノ国大鳥ノ神社

和泉志と云ふふみに、かの國の大鳥ノ神社の御事を、しるせるを見るに、慶長中罹兵火、元祿中、僧快圓、興建神鳳寺於域內、寺隅僅存小祠、としるせるを見て、淚もこぼるばかり、悲しくぞおぼゆる。此神社は、神名帳に、大鳥ノ郡大鳥ノ神社、名神、大、月次新嘗と見え、高き御位をも授〓奉〓給へる御社にましますものを、その域をしも、佛どころにしなしたる、まがつひのしわざは、せんすべも無き物なりけり。さて御社は、そのかた隅に、僅かに殘りてましますらむ程に、詣ては見奉らねど、思ひやり奉るだに、かなしきを、かなしと見奉る人の無きは、いかにぞや。大かた國國に斯かるたくひ多かるべきを、今はたまたま、これを彼の書に見あたりたるままに、餘りのなげかはしさに得耐へで、斯くはおどろかしおくなり。あはれ斯かる事に、心ざし有らむ人もがな。

新字:和泉志と云ふふみに、かの国の大鳥ノ神社の御事を、しるせるを見るに、慶長中罹兵火、元禄中、僧快円、興建神鳳寺於域内、寺隅僅存小祠、としるせるを見て、涙もこぼるばかり、悲しくぞおぼゆる。此神社は、神名帳に、大鳥ノ郡大鳥ノ神社、名神、大、月次新嘗と見え、高き御位をも授〓奉〓給へる御社にましますものを、その域をしも、仏どころにしなしたる、まがつひのしわざは、せんすべも無き物なりけり。さて御社は、そのかた隅に、僅かに残りてましますらむ程に、詣ては見奉らねど、思ひやり奉るだに、かなしきを、かなしと見奉る人の無きは、いかにぞや。大かた国国に斯かるたくひ多かるべきを、今はたまたま、これを彼の書に見あたりたるままに、余りのなげかはしさに得耐へで、斯くはおどろかしおくなり。あはれ斯かる事に、心ざし有らむ人もがな。

書き下し

和泉志と云うふみに、かの国の大鳥の神社の御事を、しるせるを見るに、慶長中兵火に罹り、元禄中、僧快円、神鳳寺を域内に興し建て、寺の隅に僅かに小祠を存す、としるせるを見て、涙もこぼるばかり、悲しくぞおぼゆる。この神社は、神名帳に、大鳥の郡大鳥の神社、名神、大、月次・新嘗と見え、高き御位をも授け奉り給える御社にましますものを、その域をしも、仏どころにしなしたる、まがつひのしわざは、せんすべも無き物なりけり。さて御社は、そのかた隅に、僅かに残りてましますらむ程に、詣でては見奉らねど、思いやり奉るだに、かなしきを、かなしと見奉る人の無きは、いかにぞや。大かた国々にかかるたぐい多かるべきを、今はたまたま、これを彼の書に見あたりたるままに、余りのなげかわしさに得耐えで、かくはおどろかしおくなり。あわれかかる事に、心ざし有らむ人もがな。

現代語訳

和泉志という書物に、和泉国の大鳥神社のことを記しているのを見ると、「慶長年間に兵火にかかり、元禄年間に僧の快円が神鳳寺を境内に建て、寺の隅にわずかに小さな祠が残っている」と記しているのを見て、涙もこぼれるほど悲しく思われた。この神社は、延喜式の神名帳に「大鳥郡大鳥神社、名神大社、月次・新嘗の祭にあずかる」と見え、高い神位も授けられた御社でいらっしゃるのに、その境内をよりによって仏の寺にしてしまった禍津日神のしわざは、どうしようもないものである。さて御社はその片隅にわずかに残っておいでだろうが、参詣して拝見したわけではないけれども、思いやり申し上げるだけでも悲しいのに、これを悲しいと見る人がいないのはどうしたことか。おそらく諸国にこのような例は多いだろうが、今はたまたまこれをあの書物に見つけたので、あまりの嘆かわしさに耐えきれず、こうして世の人の注意を促しておくのである。ああ、こうしたことに志を持つ人がいてほしいものだ。

解説

和泉国一宮の大鳥神社が、兵火の後に境内に寺を建てられ、社は片隅の小祠になってしまったことを嘆いた段である。宣長は延喜式で名神大社とされた格式を示し、その社地を寺に変えたことを禍津日神のしわざと呼ぶ。江戸時代には神仏習合のもとで、寺が神社を管理し、境内に大きな寺院が建つことが珍しくなかった。宣長自身は現地を訪ねておらず、地誌の一行から事態を知っただけだと断っている。それでも筆を止められず、世に知らせずにはいられないと書く。見過ごされている衰えを言葉にして人の目に留め、志ある人の出現を待つ。学者が書物の中で出会った事実を、社会への訴えに変えた一例である。宣長の神社への思いが、学問の枠を越えて行動を促す声になっている。

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