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玉勝間 / 七の巻 世の人の神社は物さびたるを尊しとする事

今の世の人、神の御社は、さびしく物さびたるを、たふとしと思ふは、古へ神社の盛なりし世のさまをば、知らずして、ただ今の世に、大かた古く尊き神社どもは、いみしく衰へて、荒れたるを見なれて、古く尊き神社は、もとより斯く有る物と、心得たるからのひがことなり。

書き下し

今の世の人、神の御社は、さびしく物さびたるを、たっとしと思うは、古神社の盛りなりし世のさまをば、知らずして、ただ今の世に、大かた古く尊き神社どもは、いみしく衰えて、荒れたるを見なれて、古く尊き神社は、もとよりかく有る物と、心得たるからのひがことなり。

現代語訳

今の世の人が、神の御社はさびしく古びて寂れているのを尊いと思うのは、昔神社が盛んであった時代のありさまを知らずに、ただ今の世で、たいていの古く尊い神社がひどく衰えて荒れているのを見慣れて、古く尊い神社とはもともとこういうものだと思い込んでいることから来る誤りである。

解説

前の段の嘆きを、世の美意識の問題として取り上げた段である。人は寂れて苔むした社を見て、古く尊いと感じる。しかし宣長は、それは衰えた姿に見慣れた結果の錯覚だと言う。古の神社は朝廷の手厚い祭祀を受け、華やかに整えられていた。荒れているから尊いのではなく、尊い社が荒れてしまったのだ、と。徒然草の「花は盛りに」を否定した段と同じく、欠けたもの、寂びたものに美を見る後世の感覚を、宣長は自然な心から離れたものとして退ける。わびさびを尊ぶ日本の美意識を当然とする今の読み手には意外な主張だが、見慣れたものを本来の姿と取り違えてはいないかという問いは鋭い。古さの趣と衰えの傷みを見分けることは、文化財や伝統を守る立場にとっても大切な視点である。

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