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玉勝間 / 七の巻 唐の国人あだし国ある事を知らざりし事

もろこしの國の古への人、すべて他國あることをしらず、おほかた國を治め、身を修むる道よりはじめて、萬づの事、みな其國の古への聖人と云ひし物の、始めたる如く心得て、天地の間に、國はただわれひとり尊しと、萬づにほこりならひたり。然るをやや後に、天竺と云ふ國より、佛法と云ふ物わたり來ては、いささかあだし國の有る事をも、知れるさまなり。斯くて近き世にいたりては、かの天竺よりも、はるかに西のかたなる國國の事も、やうやう知られて、おほかた今は、天地の間の、萬の國の事、をさをさ知られざるは無きを、その遙かの西の國國にも、もろこしに有るかぎりの事は、皆昔より有て、もろこしには無き物も多く有り。もろこしより遙かにまされる事も有。その國國は、皆近き世まで、もろこしと通ひは無かりしかども、本より然か何事も、たらひて有るぞかし。そもそももろこしの古、は、ただその近きほとりなる、胡國など云ふ國の事のみを、僅かによくは知りて、其外は、さしも遠からぬ國國の事も、こまかには知らず、おぼおぼしくて、すべて他國の事云へるは、みだりごとのみなり。

新字:もろこしの国の古への人、すべて他国あることをしらず、おほかた国を治め、身を修むる道よりはじめて、万づの事、みな其国の古への聖人と云ひし物の、始めたる如く心得て、天地の間に、国はただわれひとり尊しと、万づにほこりならひたり。然るをやや後に、天竺と云ふ国より、仏法と云ふ物わたり来ては、いささかあだし国の有る事をも、知れるさまなり。斯くて近き世にいたりては、かの天竺よりも、はるかに西のかたなる国国の事も、やうやう知られて、おほかた今は、天地の間の、万の国の事、をさをさ知られざるは無きを、その遥かの西の国国にも、もろこしに有るかぎりの事は、皆昔より有て、もろこしには無き物も多く有り。もろこしより遥かにまされる事も有。その国国は、皆近き世まで、もろこしと通ひは無かりしかども、本より然か何事も、たらひて有るぞかし。そもそももろこしの古、は、ただその近きほとりなる、胡国など云ふ国の事のみを、僅かによくは知りて、其外は、さしも遠からぬ国国の事も、こまかには知らず、おぼおぼしくて、すべて他国の事云へるは、みだりごとのみなり。

書き下し

もろこしの国の古の人、すべて他国あることをしらず、おおかた国を治め、身を修むる道よりはじめて、万ずの事、みなその国の古の聖人と云いし物の、始めたるごとく心得て、天地の間に、国はただわれひとり尊しと、万ずにほこりならいたり。然るをやや後に、天竺と云う国より、仏法と云う物わたり来ては、いささかあだし国の有る事をも、知れるさまなり。かくて近き世にいたりては、かの天竺よりも、はるかに西のかたなる国々の事も、ようよう知られて、おおかた今は、天地の間の、万の国の事、おさおさ知られざるは無きを、その遥かの西の国々にも、もろこしに有るかぎりの事は、皆昔より有りて、もろこしには無き物も多く有り。もろこしより遥かにまされる事も有り。その国々は、皆近き世まで、もろこしと通いは無かりしかども、本より然か何事も、たらいて有るぞかし。そもそももろこしの古は、ただその近きほとりなる、胡国など云う国の事のみを、僅かによくは知りて、その外は、さしも遠からぬ国々の事も、こまかには知らず、おぼおぼしくて、すべて他国の事云えるは、みだりごとのみなり。

現代語訳

中国の昔の人は、他に国があることをまったく知らず、国を治め身を修める道をはじめとして、あらゆることはみなその国の昔の聖人という者が始めたかのように心得て、天地の間で国はただ自分の国だけが尊いと、何事につけても誇り慣れていた。ところがやや後になって、天竺(インド)という国から仏法というものが渡ってきてからは、多少は他の国があることも知ったようである。こうして近い世になると、その天竺よりもはるかに西の方の国々のことも次第に知られてきて、今ではおおよそ天地の間のあらゆる国のことで知られていないものはほとんどない。その遥か西の国々にも、中国にある限りのことは皆昔からあって、中国にはない物も多くある。中国よりはるかに優れていることもある。その国々は、皆近い世まで中国と行き来はなかったが、もとからそのように何事も備わっていたのである。そもそも中国の昔は、ただその近くにある胡国などという国のことだけを、わずかによく知っていただけで、そのほかは、それほど遠くない国々のことも細かくは知らず、ぼんやりとしていて、他国のことを言ったものはすべてでたらめばかりである。

解説

中国の自国中心の世界観を、世界地理の知識から批判した段である。中国の古人は他国を知らず、道徳も文化もすべて自国の聖人が始めたと誇ってきた。しかし仏教が伝わってインドを知り、近世には西洋の国々のことまで知られるようになった。そこには中国と交わりがなかったのに、中国にある物はすべてあり、中国より優れたものさえある。宣長は蘭学書などを通じて伝わった世界地理の知識を、漢学者の中国崇拝を崩す論拠に使っている。文明はどこか一か所から広がったのではなく、それぞれの地にもとから備わっている、という見方である。ただし宣長自身、この後で皇国こそ万国の本だと説く。中国中心の見方を批判する論理は、そのまま自国を中心に置く論理にもなっている。そこも含めて読みたい一段である。

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