玉勝間 / 七の巻 皇親の禄物を先ッ賤価に売事
延曆十八年三月五日ノ太政官符にいはく、應禁皇親之祿、乞賣賤價事、右撿案內太政官去延曆十六年四月廿四日、下諸國符偁、自今以後、公私擧錢、宜限一年、收牛倍利、雖積年紀、不得過責者、今右大臣宣奉勅、如聞、王親或募多祿、先受少價、或設重質、貸乞賤物、苟貪目前、不顧後弊、報價之日、既過倍、因茲、所司豪民、競求利潤、好爲與借、班祿之日、濫訴繁多、自今以後、賣買祿物、不得過於半倍之利、如有違犯、依法科處と見えて、類聚三代格にのれり。古へより、かかること有しなり。今ノ世に、なべて物する、賄ひしおくりなど云ふわざ、これに似たる事なり。猶今は、天の下に、斯かるたぐひの事多し。
新字:延暦十八年三月五日ノ太政官符にいはく、応禁皇親之禄、乞売賤価事、右撿案内太政官去延暦十六年四月廿四日、下諸国符偁、自今以後、公私挙銭、宜限一年、収牛倍利、雖積年紀、不得過責者、今右大臣宣奉勅、如聞、王親或募多禄、先受少価、或設重質、貸乞賤物、苟貪目前、不顧後弊、報価之日、既過倍、因茲、所司豪民、競求利潤、好為与借、班禄之日、濫訴繁多、自今以後、売買禄物、不得過於半倍之利、如有違犯、依法科処と見えて、類聚三代格にのれり。古へより、かかること有しなり。今ノ世に、なべて物する、賄ひしおくりなど云ふわざ、これに似たる事なり。猶今は、天の下に、斯かるたぐひの事多し。
書き下し
延暦十八年三月五日の太政官符に曰く、応に皇親の禄、賤価に乞い売るを禁ずべき事、右、案内を検ずるに太政官去る延暦十六年四月廿四日、諸国に下す符に偁く、今より以後、公私の挙銭、宜しく一年を限り、半倍の利を収むべし、年紀を積むと雖も、過ぎて責むることを得ざれてえり、今右大臣宣す、勅を奉るに、聞くならく、王親或いは多禄を募りて、先ず少価を受け、或いは重質を設けて、賤物を貸し乞い、苟も目前を貪りて、後の弊を顧みず、価を報ずるの日、既に倍を過ぐ、これに因りて、所司・豪民、競いて利潤を求め、好みて与借を為し、班禄の日、濫訴繁多なり、今より以後、禄物を売買するに、半倍の利を過ぐることを得ざれ、もし違犯有らば、法に依りて科処せよと見えて、類聚三代格にのれり。古より、かかること有りしなり。今の世に、なべて物する、賄いしおくりなど云うわざ、これに似たる事なり。なお今は、天の下に、かかるたぐいの事多し。
現代語訳
延暦十八年三月五日の太政官符に、次のようにある。「皇族の禄を、安値で先売りすることを禁ずべき事。右について、これまでの経緯を調べると、太政官が去る延暦十六年四月二十四日に諸国へ下した符に、『今後、公私の利息付きの貸し銭は、一年を限りとし、元金の半分までの利息を取るべきである。年数を重ねても、それを超えて取り立ててはならない』とある。いま右大臣が宣べる、勅を承ったところでは、聞くところによれば、皇族の中には、多額の禄を当てにして前もって少額の代価を受け取ったり、重い質を入れて安物を借りたりして、目先の利をむさぼって後の害を顧みず、支払いの日にはすでに倍を超えている者がいる。このために役人や富豪の民が競って利を求め、好んで貸し付けを行い、禄を分け与える日には訴えが乱れ多い。今後は、禄物を売買するのに、半倍の利を超えてはならない。もし違反があれば、法によって処罰せよ」。これは類聚三代格に載っている。古くからこういうことがあったのである。今の世で一般に行われている、賄いの仕送りなどという仕方は、これに似たことである。なお今は、天下にこのたぐいのことが多い。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 臣の王を娶る事記略に、延暦十二年九月丙戌の詔に、見任の大臣、良家の子孫、三世以下を娶るを許す、但し藤原氏は、累代相承けて、摂政絶えず、此を以てこれを論ずれば、等しきに因るべからず、殊に二世以下を娶るを聴すべしと見えたり。そもそも古は、皇女はさらにも申さず、すべて臣の、王の女を娶ることは、ゆるされぬ事にて、さる事かつて無かりしを、継嗣令に、臣五世の王を娶るは聴すとあるは、令の時、始めての御制にや有りけむ。そのかみ万の事、さしも漢風にうつされしかども、これらはさすがに、人の情の安からざる事なれば、延暦の頃になりてすら、なお上の件の如くなりけらし。令のかの同じつづきに、王は親王を娶り、ただ五世の王は、親王を娶るを得ずとも見えて、諸王は、四世までも、皇女をも娶りしを、臣は、そのかみわずかに、五世の女王を娶ることをゆるされしを以て、王と臣と、すじの尊き卑しきけじめ、厳なりしことを知るべし。夫婦のむすびをなすことも、尊き卑しきけじめ、かばかり正しかりしを、そののち何事もみな、漸に漢風にうつりはてて、ついに今の如くには成りぬるなり。世の人ただ、同姓娶らずなど云う、漢風の事をのみ、思い云いて、皇国の古に、かばかり尊き卑しきけじめを分けし事をば、知らざめる故に、今いささかおどろかすなり。
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『玉勝間』十三の巻 諸王の事継嗣令に云う、凡そ皇の兄弟皇子、(女帝の子もまた同じ)皆親王と為す、以外は並びに諸王と為す、親王より五世は、王の名を得と雖も、皇親の限りに在らず。文徳実録に云う、斉衡三年四月甲午、弾正台奏す。五世の王は、王号有りと雖も、皇親の限りに非ず、その朝服の色宜しく王臣の位階に依るべし、これに従う。三代実録に云う、貞観四年四月十二日、詔を下す、参議已上をして、各時政の是非を論じ、世俗の得失を詳らかにせしむ。云云、是より先諸王、二世より四世に至るまで、夏冬の衣服を賜う、人数を限らず、年の数符に随いて、多少を出だしてこれを賜う。或いは五六百人に至る、是の時簿に載せて官に進むる者、四百余人なり。豊前上疏して曰く。諸王の給服、人数定まらず、徒らに帑蔵を費やす、何ぞ紀極無き、望み請うらくは当時の所在を以て、定数と為し、闕くるに随いてこれを補い、転じて過ぐるを聴さざらんことを、これに従う。豊前とあるは、豊前王と云う人の名な又同十二年二月廿日、公卿奏して諸王の季禄を減じ、兼ねて給禄の定額を立てんことを請う日、云云、今府帑稍密にして貢職少なし、当に諸王の禄を停めて、救弊の計を存すべき者。云云、但し専らこれを停むれば則ち皇親を疎んずるに似たり、全くこれを給えば、則ち国用を闕くべし云云、又王氏蕃昌して、曩日に万倍す、その禄賜を計るに、費やす所支え難し、伏して望むらくは当時禄に預かる者、四百二十九人を、定員と為さんことを云云奏可す。また元慶四年十月廿七日、摂津国河辺郡の人、九世、従七位下川原公福貞云云等五戸の課条を免ず、福貞等白して言う、云云、謹んで天長九年十二月十五日の詔書を検ずるに夫れ王氏は、王号は五世に止まり、資蔭は六世を過ぎず、云云、宜しく七世以下、数を計りて五世に至らば、課役蠲除すべし、その既に姓を賜う者は、先後を論ぜず、一に王の蔭に依り、世を計りてこれを容るること亦この例に同じ者。云云、望み請うらくは、同じく蠲除せられんことを、これを許す。
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『玉勝間』十三の巻 親王三国ノ大守に任ぜらるる事類聚三代格に、太政官符す、親王国守に任ずべき事、上総国、常陸国、上野国、右中納言従三位兼行左兵衛督清原真人夏野の奏状を検ずるに偁く、省職寮を設け置きて相隷し、百官職を守り、庶務倶に成る、一事闕くる有れば、万事皆緩む。今親王八省の卿に任ず、此の人地望素より高く、職に就きて砕務を知ること無きを得ず、仍りて官事自ずから懈り、政迹日に蕪る、是れ庸愚の致す所に非ず、地勢のこれをして然らしむるに因るなり。凡そ官人遷代するに、必ず解由を署す、欠物有るに至りては、償物を免れず。此に居るの費、その此の如きを見る、望み請うらくは、数国を点定して、親王の国と為し、迭いに彼の国に任じ、身は京都に留め、意に京官に居らんと欲する者は、一両人将に聴さんとす。若し守闕有らば、他人を補せず、その料物は、別倉に納め置き、無品親王の要に支てん者、伏して天裁を聴く者、正三位行中納言兼右近衛大将春宮大夫良峰朝臣安世宣す、勅を奉るに、奏に依れ。但し件等の国守、官位卑下なり、宜しく改めて正四位下の官と定め、以て勅任と為し、号して大守と称すべし、限るに一代を以てし、永例とすべからず、天長三年九月六日。
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『秘本玉くしげ』下 御勝手の逼迫近来上下おしなべて内証困窮する者多きわけ、又奢の自然とうすらぐべき仕方など、段段上に申せるが如し。然れども、困窮甚せまりて、いかにともすべき方なくさしつまりたる時に至りては、右のごとくゆるやかなる仕方ばかりにては、とてもさしあたりての間には合ひがたき事なれば、左様の時は、いかにしてなりとも急にそのはからひなくてはかなはず。上下大小ともにみな同じ事也。其中に、大名の御勝手の甚逼迫してさしつまりたる時の作略は、まづ町人百姓の金銀をめさるるが近代世間並の事也。然れども、是は上にも申せるが如く、甚心よからぬこと也。たとひしひてこれをめされても、それは限りある事なれば、いつまでも左様にて済ことにあらず。始終のすまぬ事に、大切なる御国政に瑕をつけん事は、いかにしても残念なること也。
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『秘本玉くしげ』上 御用金と仕送り又やむ事を得ずこれを借り玉ふことありとも、それもしひては心よからず。但し御領内に住居してゆたかにくらす君恩をありがたく思ひ奉りて、冥加のためにさし上んことを願ふ者あらんは格別の事也。されど左様の金銀も、皆貧民に施して、なるべきは上の御用には用ひ玉はぬやうにこそあらまほしけれ。又面面の勝手のためにもなり、冥加のためにてもあればとて、つねに金銀の御用を勤めんと願ふ者あらんには、もし御用あらば是は許し玉ふべきにや。されど上の御用をうけ玉はるに付て、人に金銀を貸にも、その御用のすぢにことよせて貸しつくる事、近世何方にも多し。これますます富者を富す事にて、世の貧民のために大なる害也。たとひ上のためには御勝手になる事なりとも、下民のために害あらん事は、すべて禁ぜらるべきにこそ。さてまた今の世は、武家大小によらず、仕おくりといひて町人に勝手をまかなはすること多し。これは便宜にして自由はよきやうなれ共、つまる所は損多し。
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