秘本玉くしげ / 上 年貢の由来
近來百姓は殊に困窮の甚しき者のみ多し。これに二つの故あり。一には、地頭へ上る年貢甚多きが故也。二つには、世上一同の奢につれて、百姓もおのづから身分のおごりもつきたる故也。まづ一つに、地頭へ上る年貢のはなはだ多きと申す子細は、まづ唐土の上古には、十か一といふを中分の宜しきほどとしたるなれども、後には段段多くなりたり。然れ共、此方の今のごとくに多くはあらず。さて本朝は、大寶のころ令の御定めを考ふるに、廿分の一ほどにあたりて、たとへば米廿俵とる所にて、年貢はわづかに一俵ほどにて濟たる也。但しこれにはいささか不審なることありて、別に僕が考へもあれど、たとひその考への如くにしても、十分の一には過ざること也。其外に調庸など云物ありしか共、それ何もほどの事にもあらず。大寳のころかくのごとくなれば、それより以前上古はなほなほすくなかりけん事、思ひやるべし。
新字:近来百姓は殊に困窮の甚しき者のみ多し。これに二つの故あり。一には、地頭へ上る年貢甚多きが故也。二つには、世上一同の奢につれて、百姓もおのづから身分のおごりもつきたる故也。まづ一つに、地頭へ上る年貢のはなはだ多きと申す子細は、まづ唐土の上古には、十か一といふを中分の宜しきほどとしたるなれども、後には段段多くなりたり。然れ共、此方の今のごとくに多くはあらず。さて本朝は、大宝のころ令の御定めを考ふるに、廿分の一ほどにあたりて、たとへば米廿俵とる所にて、年貢はわづかに一俵ほどにて済たる也。但しこれにはいささか不審なることありて、別に僕が考へもあれど、たとひその考への如くにしても、十分の一には過ざること也。其外に調庸など云物ありしか共、それ何もほどの事にもあらず。大宝のころかくのごとくなれば、それより以前上古はなほなほすくなかりけん事、思ひやるべし。
書き下し
近来百姓は殊に困窮の甚しき者のみ多し。これに二つの故あり。一には、地頭へ上る年貢甚多きが故也。二つには、世上一同の奢につれて、百姓もおのづから身分のおごりもつきたる故也。まづ一つに、地頭へ上る年貢のはなはだ多きと申す子細は、まづ唐土の上古には、十か一といふを中分の宜しきほどとしたるなれども、後には段段多くなりたり。然れ共、此方の今のごとくに多くはあらず。さて本朝は、大宝のころ令の御定めを考ふるに、廿分の一ほどにあたりて、たとへば米廿俵とる所にて、年貢はわづかに一俵ほどにて済たる也。但しこれにはいささか不審なることありて、別に僕が考へもあれど、たとひその考への如くにしても、十分の一には過ざること也。其外に調庸など云物ありしか共、それ何もほどの事にもあらず。大寳のころかくのごとくなれば、それより以前上古はなほなほすくなかりけん事、思ひやるべし。
現代語訳
近ごろの百姓はことに困窮のはなはだしい者ばかりが多い。これには二つの理由がある。一つには、領主へ納める年貢が甚だ多いからである。二つには、世の中全体の奢りにつれて、百姓にもおのずと身分不相応の奢りがついたからである。まず一つめの、領主へ納める年貢がはなはだ多いという次第は、中国の上古には十分の一を中程度のよい割合としていたけれども、後には次第に多くなった。とはいえ、こちらの今のように多くはない。さてわが国は、大宝のころの令の定めを調べると二十分の一ほどにあたり、たとえば米二十俵とれる土地で、年貢はわずかに一俵ほどですんでいた。ただしこれには少し疑わしいところがあり、別に私の考えもあるが、たとえその考えによったとしても、十分の一を超えることはない。そのほかに調・庸というものもあったが、それも大した割合ではない。大宝のころがこうであるなら、それより前の上古はさらに少なかっただろうと、思いやるべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『秘本玉くしげ』上 百姓あはれさて、年貢廿分の一ほどにて済し古への代とても、百姓富る者ばかりにはあらず、貧しき者も有しかども、其時代は年貢いささかなりし故に、一反か二反の田地を作れば、今の世に一町の余も作るほどの米を得たる故に、貧しき者も貧しきなりに、身を労し心を労する事は甚少なかりしに、今の世は年貢多き故に、古へに一反反の田を作りて取しほどの米は、一町も二町も作らざれば我物になりがたきによりて、それだけに身を労し心をも労する事甚しきがうへに、あまつさへ正味の米は多くは上へ上げて、自分はただ米ならぬ麁末の物をのみ食して過す也。これを思へば、今の世の百姓といふものは、いともいともあはれにふびんなるもの也。
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『秘本玉くしげ』上 年貢を増すな又百姓も、年代久しくなれ来りたる年貢の事なれば、今の定まりほどは必上るべきはづのものと心得居て、是を過分に多しとは思はぬことなれば、ふびんながらも年貢は定まりのとほりなるべき事なれ共、せめては右の子細を思召て、今の世の百姓は必身を労する事も古よりは甚しく、年貢に大に苦しむものぞといふ事を朝夕わすれ玉はず、不便に思召て、有来りたる定まりの年貢の上をいささかもまさぬやうに、すこしにても百姓の辛苦のやすまるべきやうにと心がけ玉ふべき事、御大名の肝要なるべく、下下の役人たちまでも此心がけを第一として、忠義を思はば随分百姓をいたはるべき旨を、常常仰付らるべき御事にこそ。
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『秘本玉くしげ』上 収納十倍でも足らずすべてつねづね右の事共の手当をも丈夫にして、其余のところをはかりて年年の御用脚をまかなひ玉はんには、格別の御逼迫はあるまじき道理なるに、右の御手当ども行とどきがたきのみならず、あまつさへ年年定まれる御まかなひさへ出来がたき家家の多きはいかなる事ぞや。古へは下民より上る物、今の年貢にくらぶれば甚いささかなることにて有し時代すら、今の如く上の逼迫し玉ふ事はなくして、民を救ひ玉ふ筋も随分ゆきとどきて、凶年なれば年貢をも或は半分も減ぜられ、時によりては皆ながらも免し玉へる事も有て、またそれぞれの御手当などもよく出来てとほりし也。然るに今は、臨時に年貢を過分に免し玉ふこともなく、惣体の御収納も古へには十倍せるに、なほ用脚の足らざるは、惣体の事の取扱ひあまりにおもおもしく、無益の事繁多にして、御物入の過分に多きが故ならずや。さて中下の武家の多く内證困窮するも、又同じく分限不相応に身分重重しく、諸事花美になりて物入多き故也。
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『秘本玉くしげ』上 戦国のままの年貢大がた此戦国の時のもやうは、田畑の物成の内わづかに農民の命をつづけて飢に及ばぬほどを百姓の手にのこして、其余は皆年貢に取れるくらゐの事なりしは、甚しき事ならずや。さて豊臣關白の御世に天下一統に治まりて、何事も法制定まりてみだりなる事は止めぬれ共、年貢の分量は大抵もとの戦国の時のままにて、旧にかへり減じたる事もなかりき。次に東照神御祖命の御時も同じ事なり。此時世中治平に帰して軍事は止むといへども、かの戦国の時のもやう年代を経て久しく其ならひに成ぬることなれしば、俄に天下の武士を減少し玉ふべきやうもなければ、たとひいかほど御志はましましても、年貢も俄に減じ玉ふことはなりがたき自然の勢なれば、其分にて今に至れる也。されば今の世の年貢は、かの戦国のころのままなれば至て多きと也。
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『秘本玉くしげ』上 村が衰える右にも申せる如く、年貢は有来りたる定まりのほどはやむ事を得ず其通りなり共、せめては其うへをいささかもまさぬやうにこそあらまほしきに、近来は漸漸に増事のみにて少しも減ずる事はなく、猶又さまざまのかかり物などいふことさへ次第に多くなり、其外何のかのと云て百姓手前より出す物年年に多くなりゆく故に、百姓は困窮年年につのり、未進つもりつもりて終に家絶へ田地あるれば、其田地の年貢を村中へ負する故に、余の百姓も又堪がたきやうになり、或は困窮にたへかねては農業をすてて、江戸大坂城下城下などへうつりて商人となる者も次第に多く、子共多ければ一人はせんかたなく百姓を立さすれども、残りはおほく町人の方へ奉公に出して、つひに商人になりなどする程に、いづれの村にても百姓の竈は段段にすくなくなりて、田地あれ、村中次第に衰微す。
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『秘本玉くしげ』上 由来を忘れた武士然るに今の武士は、古への定めの分量をも考へず、次第に多くなりぬるわけをも思はずして、ただ本より今の如くに上るべきはづの物と心得居て、みだりに百姓をしへたげ苦しむる国もよそには有ときくは、いかなる事ぞや。
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