玉勝間 / 十三の巻 諸王の事
繼嗣令云、凡皇兄弟皇子、(女帝子亦同)皆爲親王、以外並爲諸王、自親王五世、雖得王名、不在皇親之限。文德實錄云、齊衡三年四月甲午、彈正臺奏。五世王者、雖有王號、非皇親之限、其朝服色宜依王臣位階、從之。三代實錄云、貞觀四年四月十二日、下詔、令下參議已上、各論時政之是非、詳世俗之得失。云云、先是諸王、自二世至四世、賜夏冬衣服、不限人數、隨年數符、出多少賜之。或至五六百人、是時載簿進官者、四百餘人。豐前上疏曰。諸王給服、人數不定、徒費帑藏、何無紀極、望請以當時所在、爲定數、隨關補之、不聽轉過從之。豐前とあるは、豐前王と云ふ人の名な又同十二年二月廿日、公卿奏請減諸王季祿、兼立給祿定額日、云云、今府帑稍密貢職少、當停諸王之祿、存救弊之計者。云云、但專停之則似疎皇親、全給之、則可闕國用云云、又王氏蕃昌、萬倍曩日、計其祿賜、所費難支、伏望當時預祿者、四百二十九人、爲定員云云奏可。また元慶四年十月廿七日、免攝津國河邊郡人、九世、從七位下川原公福貞云云等五戶課條、福貞等白言、云云、謹撿天長九年十二月十五日詔書夫王氏者、王號乃止於五世、資蔭不過六世、云云、宜七世以下、計數至于五世、課役蠲除、其旣賜姓者、不論先後、一依王蔭、計世容之亦同此例者。云云、望請、同被蠲除、許之。
新字:継嗣令云、凡皇兄弟皇子、(女帝子亦同)皆為親王、以外並為諸王、自親王五世、雖得王名、不在皇親之限。文徳実録云、斉衡三年四月甲午、弾正台奏。五世王者、雖有王号、非皇親之限、其朝服色宜依王臣位階、従之。三代実録云、貞観四年四月十二日、下詔、令下参議已上、各論時政之是非、詳世俗之得失。云云、先是諸王、自二世至四世、賜夏冬衣服、不限人数、随年数符、出多少賜之。或至五六百人、是時載簿進官者、四百余人。豊前上疏曰。諸王給服、人数不定、徒費帑蔵、何無紀極、望請以当時所在、為定数、随関補之、不聴転過従之。豊前とあるは、豊前王と云ふ人の名な又同十二年二月廿日、公卿奏請減諸王季禄、兼立給禄定額日、云云、今府帑稍密貢職少、当停諸王之禄、存救弊之計者。云云、但専停之則似疎皇親、全給之、則可闕国用云云、又王氏蕃昌、万倍曩日、計其禄賜、所費難支、伏望当時預禄者、四百二十九人、為定員云云奏可。また元慶四年十月廿七日、免摂津国河辺郡人、九世、従七位下川原公福貞云云等五戸課条、福貞等白言、云云、謹撿天長九年十二月十五日詔書夫王氏者、王号乃止於五世、資蔭不過六世、云云、宜七世以下、計数至于五世、課役蠲除、其既賜姓者、不論先後、一依王蔭、計世容之亦同此例者。云云、望請、同被蠲除、許之。
書き下し
継嗣令に云う、凡そ皇の兄弟皇子、(女帝の子もまた同じ)皆親王と為す、以外は並びに諸王と為す、親王より五世は、王の名を得と雖も、皇親の限りに在らず。文徳実録に云う、斉衡三年四月甲午、弾正台奏す。五世の王は、王号有りと雖も、皇親の限りに非ず、その朝服の色宜しく王臣の位階に依るべし、これに従う。三代実録に云う、貞観四年四月十二日、詔を下す、参議已上をして、各時政の是非を論じ、世俗の得失を詳らかにせしむ。云云、是より先諸王、二世より四世に至るまで、夏冬の衣服を賜う、人数を限らず、年の数符に随いて、多少を出だしてこれを賜う。或いは五六百人に至る、是の時簿に載せて官に進むる者、四百余人なり。豊前上疏して曰く。諸王の給服、人数定まらず、徒らに帑蔵を費やす、何ぞ紀極無き、望み請うらくは当時の所在を以て、定数と為し、闕くるに随いてこれを補い、転じて過ぐるを聴さざらんことを、これに従う。豊前とあるは、豊前王と云う人の名な又同十二年二月廿日、公卿奏して諸王の季禄を減じ、兼ねて給禄の定額を立てんことを請う日、云云、今府帑稍密にして貢職少なし、当に諸王の禄を停めて、救弊の計を存すべき者。云云、但し専らこれを停むれば則ち皇親を疎んずるに似たり、全くこれを給えば、則ち国用を闕くべし云云、又王氏蕃昌して、曩日に万倍す、その禄賜を計るに、費やす所支え難し、伏して望むらくは当時禄に預かる者、四百二十九人を、定員と為さんことを云云奏可す。また元慶四年十月廿七日、摂津国河辺郡の人、九世、従七位下川原公福貞云云等五戸の課条を免ず、福貞等白して言う、云云、謹んで天長九年十二月十五日の詔書を検ずるに夫れ王氏は、王号は五世に止まり、資蔭は六世を過ぎず、云云、宜しく七世以下、数を計りて五世に至らば、課役蠲除すべし、その既に姓を賜う者は、先後を論ぜず、一に王の蔭に依り、世を計りてこれを容るること亦この例に同じ者。云云、望み請うらくは、同じく蠲除せられんことを、これを許す。
現代語訳
継嗣令に言う、「およそ天皇の兄弟と皇子は(女帝の子もまた同じ)みな親王とし、それ以外はみな諸王とする。親王から五世の者は、王の名を得ていても、皇族の範囲には入らない」。『文徳実録』に言う、「斉衡三年四月甲午、弾正台が奏上した。五世の王は王号があっても皇族の範囲ではないので、その朝服の色は臣下の位階によるべきである。これに従った」。『三代実録』に言う、「貞観四年四月十二日、詔を下して、参議以上の者にそれぞれ時の政治の是非を論じ、世の中の得失を詳しく述べさせた、云々。これより先、諸王には二世から四世まで夏冬の衣服を与えていたが、人数を限らず、年ごとの名簿に従って多少を出して与えていた。あるいは五、六百人に達することもあり、この時名簿に載せて官に届け出た者は四百余人であった。豊前が上書して言った。『諸王への衣服の支給は人数が定まらず、むだに国庫を費やしている。どうして際限がないのか。願わくは現在いる人数を定数とし、欠員が出るに従って補い、それを超えることを許さないでほしい』。これに従った」。「豊前」とあるのは豊前王という人の名である(「な」の後が欠けている)。また「同十二年二月二十日、公卿が奏上して、諸王の季禄を減らし、あわせて支給の定額を立てるよう願った日、云々、『今、国庫はやや乏しく、貢納も少ない。諸王の禄を停めて弊害を救う策を立てるべきである』云々、『ただしすっかり停めれば皇族を疎んじるようであり、すべて与えれば国の用が欠けるであろう』云々、『また王氏は栄えて昔の万倍になり、その禄を計ると費用は支えがたい。願わくは現在禄を受けている四百二十九人を定員としたい』云々と奏上し、裁可された」。また「元慶四年十月二十七日、摂津国河辺郡の人で九世の従七位下川原公福貞ら五戸の課役を免じた。福貞らが申し出て言うには、云々、『謹んで天長九年十二月十五日の詔書を調べると、王氏は王号は五世までに止まり、蔭位の特権は六世を過ぎない、云々、七世以下の者で、代数を数えて五世に当たるならば課役を免除すべきである。すでに姓を賜った者も先後を論ぜず、王の蔭によって代数を数えて認めることは、またこの例と同じである、とある』云々、『願わくは同じく免除していただきたい』。これを許した」。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 臣の王を娶る事記略に、延暦十二年九月丙戌の詔に、見任の大臣、良家の子孫、三世以下を娶るを許す、但し藤原氏は、累代相承けて、摂政絶えず、此を以てこれを論ずれば、等しきに因るべからず、殊に二世以下を娶るを聴すべしと見えたり。そもそも古は、皇女はさらにも申さず、すべて臣の、王の女を娶ることは、ゆるされぬ事にて、さる事かつて無かりしを、継嗣令に、臣五世の王を娶るは聴すとあるは、令の時、始めての御制にや有りけむ。そのかみ万の事、さしも漢風にうつされしかども、これらはさすがに、人の情の安からざる事なれば、延暦の頃になりてすら、なお上の件の如くなりけらし。令のかの同じつづきに、王は親王を娶り、ただ五世の王は、親王を娶るを得ずとも見えて、諸王は、四世までも、皇女をも娶りしを、臣は、そのかみわずかに、五世の女王を娶ることをゆるされしを以て、王と臣と、すじの尊き卑しきけじめ、厳なりしことを知るべし。夫婦のむすびをなすことも、尊き卑しきけじめ、かばかり正しかりしを、そののち何事もみな、漸に漢風にうつりはてて、ついに今の如くには成りぬるなり。世の人ただ、同姓娶らずなど云う、漢風の事をのみ、思い云いて、皇国の古に、かばかり尊き卑しきけじめを分けし事をば、知らざめる故に、今いささかおどろかすなり。
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『玉勝間』十三の巻 諸王の事件の天長九年の詔書には、王号乃ち五世に止まる、と有れども、続後紀、承和八年、十年十四年、嘉祥二年などのところに、六世某の王、七世某の王と云う名、多く見えたるは、いかなるにか。この事なおよく考うべし。
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『玉勝間』五の巻 中ごろまでは諸王おほかりし事園太暦、康永三年の除目に、従五位下為実王(天暦の御後)、貞和二年の除目に、従五位下宗友の王(天暦の御後)、同三年の除目に、従五位下資方王(寛和の御後)、延文四年の除目に、従五位下資能王(寛和の御後)など有り。この程までは、諸王も猶多かりしと見えたり。
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『玉勝間』四の巻 宮と申す称天皇の御胤を宮と申す事、古えは皇子皇女にかぎれり。皇子の御子よりしては、宮と申す事無かりき。然るを中ごろよりして、皇子の御子をも申し、近くは親王の御すじをば、世々すべて宮と申す事となれり。
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『玉勝間』十三の巻 親王三国ノ大守に任ぜらるる事類聚三代格に、太政官符す、親王国守に任ずべき事、上総国、常陸国、上野国、右中納言従三位兼行左兵衛督清原真人夏野の奏状を検ずるに偁く、省職寮を設け置きて相隷し、百官職を守り、庶務倶に成る、一事闕くる有れば、万事皆緩む。今親王八省の卿に任ず、此の人地望素より高く、職に就きて砕務を知ること無きを得ず、仍りて官事自ずから懈り、政迹日に蕪る、是れ庸愚の致す所に非ず、地勢のこれをして然らしむるに因るなり。凡そ官人遷代するに、必ず解由を署す、欠物有るに至りては、償物を免れず。此に居るの費、その此の如きを見る、望み請うらくは、数国を点定して、親王の国と為し、迭いに彼の国に任じ、身は京都に留め、意に京官に居らんと欲する者は、一両人将に聴さんとす。若し守闕有らば、他人を補せず、その料物は、別倉に納め置き、無品親王の要に支てん者、伏して天裁を聴く者、正三位行中納言兼右近衛大将春宮大夫良峰朝臣安世宣す、勅を奉るに、奏に依れ。但し件等の国守、官位卑下なり、宜しく改めて正四位下の官と定め、以て勅任と為し、号して大守と称すべし、限るに一代を以てし、永例とすべからず、天長三年九月六日。
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『玉勝間』七の巻 皇親の禄物を先ッ賤価に売事延暦十八年三月五日の太政官符に曰く、応に皇親の禄、賤価に乞い売るを禁ずべき事、右、案内を検ずるに太政官去る延暦十六年四月廿四日、諸国に下す符に偁く、今より以後、公私の挙銭、宜しく一年を限り、半倍の利を収むべし、年紀を積むと雖も、過ぎて責むることを得ざれてえり、今右大臣宣す、勅を奉るに、聞くならく、王親或いは多禄を募りて、先ず少価を受け、或いは重質を設けて、賤物を貸し乞い、苟も目前を貪りて、後の弊を顧みず、価を報ずるの日、既に倍を過ぐ、これに因りて、所司・豪民、競いて利潤を求め、好みて与借を為し、班禄の日、濫訴繁多なり、今より以後、禄物を売買するに、半倍の利を過ぐることを得ざれ、もし違犯有らば、法に依りて科処せよと見えて、類聚三代格にのれり。古より、かかること有りしなり。今の世に、なべて物する、賄いしおくりなど云うわざ、これに似たる事なり。なお今は、天の下に、かかるたぐいの事多し。
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