玉勝間 / 七の巻 手代
同書に慈嚴僧正云云、以手代玄圓法印、可令勤修云云と有り。手代と云ふこと、法師にも云ひしにこそ。
新字:同書に慈厳僧正云云、以手代玄円法印、可令勤修云云と有り。手代と云ふこと、法師にも云ひしにこそ。
書き下し
同書に慈厳僧正云々、手代玄円法印を以て、勤修せしむべしと云々と有り。手代と云うこと、法師にも云いしにこそ。
現代語訳
同じ書(園太暦)に、「慈厳僧正……、代理として玄円法印に勤め修させるべきだという」とある。「手代」ということは、法師についても言ったのであろう。
解説
園太暦から「手代」という語の古い用例を拾った段である。宣長の頃、手代といえば商家で番頭の下に立つ奉公人を指すのがふつうだった。ところが南北朝の日記では、僧正の代わりに法会を勤める法印を手代と呼んでいる。つまり手代は本来、人の手に代わる者、代理人という意味で、それが僧の世界にも用いられていたのである。宣長は語の意味が時代とともに狭まり、特定の職を指すようになる過程に目を留めている。短い書き抜きだが、今の意味だけで古い文献の語を読むと誤るという戒めにもなる。言葉の意味は固定したものではなく、使われる場に応じて移るという、宣長の言語観がのぞく一例である。
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 直綴と云ふ衣今の世に、直綴と云う法衣あり。同書延文二年四月のところに、この名見えたり。また同四年四月十五日、公賢の大臣のかしらおろし給う所にも、直衣を脱ぎ、次に法衣を着る、墨染の大直綴なり。その色濃しと見ゆ。
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『玉勝間』十一の巻 中間と云ふものの事永仁三年にしるせる、布衣記と云うふみに、云云若党中間、跡に上下着て召し具す、また中間の事、折烏帽子小結常なり染直垂に大帷を重ね、袴には大口をかさね云云など云えり。然れば中間と云うもの、昔のは、今の世に云うとは、異なるものなりけむ。
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『玉勝間』十三の巻 私ノ主同紀十三巻に、云云、恒山等言う、私の主右衛門佐伴宿禰中庸に随いて云云と有る、私の主は、今はただ主と云い、主人と云う。物語書にも、しゅうと云えり。
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『玉勝間』八の巻 用と云ふことば今の世に、御用、用事、入用、急用など、其外為るわざの有るを、用の有ると云うたぐい、すべて用と云う詞を、広くつかう。これは要かと思えば、さもあらざるにや。菅原の贈太政大臣の、書斎の記に、又朋友の中、頗る要須の人有り、適たま用有るに依りて、入りて簾中に在り、更科の日記に、さるべきよう有りて、秋ごろ和泉にくだるに云云、是れらは、もはら今の世に云う用あるなり。後撰集雑の二に、枇杷の左大臣よう侍りて、楢の葉をもとめ侍りければ云云、赤染衛門集に、つかうべきよう有りて、くれをこいたりしに云云、これらは、もちうべき事有りてと云う意なれば、用の字にあたれり。台記に、急要有るに依りて、宿廬に退下す、これは要の字は書かれたれど、いまの世に云う急用なり。
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『玉勝間』四の巻 者と云ふ事もろもろの文書に、云々者云々と云える事多し。この者の字を、中ごろより、下の語のかしらに付けて、てえれば云々と読みならえるは、ひがことなり。こは上の語につきて、云々てえりと読む事なり。てえりは、と云えりと云うことなり。
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