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玉勝間 / 七の巻 みだれ世のあさましかりし事

同書に、文和四年二月十一日、天晴、今日、吉田神主兼豐、進狀於女中之次、當社追捕事申之、凡無爲方歟、この程は、道もあまりにあまりにらうぜきに候。又齋屋をも見捨てがたくて、參り候はず、去ル三日、山のぐんぜい社頭へ亂入し候て、まさかりにて、四所の神殿をうちやぶり候て、神服神寶を追捕し、又御かまいしいしまで、追捕しつる程に、ともかくも申ス計リ候はで、火にも水にも入たきまでに、なげき存候、よし田の御參りも、今ちと御延わたらせおはしまして、事のやう、いささかも御らんじしづめられ候御事にて候へ、とても今は、物參の御沙汰候まじく候、あまりに心もとなく覺えさせおはしまして候、こまかにおほせ事給り候よし、御ひろう給り候、あなかしこ。これ兼豐の狀なり。山のぐんぜいとは、此程比枝の山にあつまりゐたる軍勢を云へり。尊き御社を、さばかりそこなひ奉りけむ、其世のもののふどもの、ひたぶる心は、いかなる禍つ日の心なりけん、あさましなども世のつねなり。又同じ書に同年七月廿六日、後聞、今夜竊盜頗卒人勢、亂入禁中女房勾當內侍、並禁中管領宰相典侍已下局、悉追捕。臺盤所遺戶等、雖踏破、不入御所退散云云末代之極、悲矣。

新字:同書に、文和四年二月十一日、天晴、今日、吉田神主兼豊、進状於女中之次、当社追捕事申之、凡無為方歟、この程は、道もあまりにあまりにらうぜきに候。又斎屋をも見捨てがたくて、参り候はず、去ル三日、山のぐんぜい社頭へ乱入し候て、まさかりにて、四所の神殿をうちやぶり候て、神服神宝を追捕し、又御かまいしいしまで、追捕しつる程に、ともかくも申ス計リ候はで、火にも水にも入たきまでに、なげき存候、よし田の御参りも、今ちと御延わたらせおはしまして、事のやう、いささかも御らんじしづめられ候御事にて候へ、とても今は、物参の御沙汰候まじく候、あまりに心もとなく覚えさせおはしまして候、こまかにおほせ事給り候よし、御ひろう給り候、あなかしこ。これ兼豊の状なり。山のぐんぜいとは、此程比枝の山にあつまりゐたる軍勢を云へり。尊き御社を、さばかりそこなひ奉りけむ、其世のもののふどもの、ひたぶる心は、いかなる禍つ日の心なりけん、あさましなども世のつねなり。又同じ書に同年七月廿六日、後聞、今夜窃盗頗卒人勢、乱入禁中女房勾当内侍、並禁中管領宰相典侍已下局、悉追捕。台盤所遺戸等、雖踏破、不入御所退散云云末代之極、悲矣。

書き下し

同書に、文和四年二月十一日、天晴る、今日、吉田神主兼豊、状を女中に進むるの次いで、当社追捕の事之を申す、およそ為す方無きか、この程は、道もあまりにあまりにろうぜきに候。また斎屋をも見捨てがたくて、参り候わず、去る三日、山のぐんぜい社頭へ乱入し候て、まさかりにて、四所の神殿をうちやぶり候て、神服神宝を追捕し、また御かまいしいしまで、追捕しつる程に、ともかくも申す計り候わで、火にも水にも入りたきまでに、なげき存じ候、よし田の御参りも、今ちと御延わたらせおわしまして、事のよう、いささかも御らんじしずめられ候御事にて候え、とても今は、物参の御沙汰候まじく候、あまりに心もとなく覚えさせおわしまして候、こまかにおおせ事給り候よし、御ひろう給り候、あなかしこ。これ兼豊の状なり。山のぐんぜいとは、この程比叡の山にあつまりいたる軍勢を云えり。尊き御社を、さばかりそこない奉りけむ、その世のもののふどもの、ひたぶる心は、いかなる禍つ日の心なりけん、あさましなども世のつねなり。また同じ書に同年七月廿六日、後に聞く、今夜窃盗頗る人勢を卒い、禁中の女房勾当内侍、並びに禁中管領宰相典侍已下の局に乱入し、悉く追捕す。台盤所の遣戸等、踏み破ると雖も、御所に入らず退散すと云々。末代の極み、悲しいかな。

現代語訳

同じ書(園太暦)に、「文和四年二月十一日、晴れ。今日、吉田神社の神主兼豊が女房あてに書状を差し上げたついでに、当社が略奪を受けたことを申してきた。まったくなすすべもないことか」として、次の書状がある。「このごろは道中もあまりにあまりに物騒でございまして、また斎屋(潔斎の場)も見捨てがたく、参上いたしません。去る三日、山の軍勢が社頭に乱入いたしまして、鉞(まさかり)で四所の神殿を打ち破り、神の御衣や神宝を奪い、さらに御釜やもろもろの物まで奪い取りましたので、何とも申し上げようもなく、火にも水にも飛び込みたいほどに嘆いております次第で、吉田社へのご参詣も、いましばらくお延ばしになって、事の成り行きを少しでもお見定めになってからになさいませ。とても今は、ご参詣のお取り計らいはございますまい。あまりに気がかりに思し召されておりますので、細かにお言葉を賜りましたこと、よろしくお取り次ぎくださいますよう。あなかしこ」。これは兼豊の書状である。「山の軍勢」とは、このころ比叡山に集まっていた軍勢を言っている。尊い御社をあれほどまでに損ない申したとは、その時代の武士どもの荒々しい心は、どのような禍津日神の心であったのか、「あさましい」などと言っても言い足りない。また同じ書に、同年七月二十六日、「後で聞いたところでは、今夜、盗賊がかなりの人数を率いて、禁中の女房である勾当内侍、ならびに禁中を取り仕切る宰相典侍以下の局に乱入し、ことごとく略奪した。台盤所の遣戸なども踏み破ったが、天皇の御座所には入らずに退散したという。末世の極みである。悲しいことだ」とある。

解説

南北朝の動乱で、神社も宮中も略奪にさらされた記録を書き抜いた段である。吉田神社の神主兼豊の手紙は、比叡山に陣取った軍勢が鉞で神殿を打ち破り、神宝から釜まで奪っていったと訴え、火にも水にも入りたいと嘆く。仮名書きの手紙ならではの生々しさがある。宣長はこれを写したうえで、尊い社を損なった武士の荒々しい心を「禍つ日の心」と呼ぶ。禍津日神は古事記に現れる、世の悪しき事を引き起こす神で、宣長は世の乱れや理不尽をこの神の働きと考えた。続けて宮中の女房の局にまで盗賊が押し入った記事を並べ、朝廷の権威が地に落ちた時代を示す。神事と朝廷を尊ぶ宣長にとって、これは歴史の傷の記録であった。乱世が失わせるのは命や財だけでなく、敬うべきものへの畏れの心だという嘆きが読み取れる。

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