玉勝間 / 七の巻 後架
同書に、同年九月四日の所に小倉殿御事云云、昨日酉剋自後架(謂小便所)還御之後絕入云云と有り。今の世に、厠をこうかと云ふこと有り。この後架なるべし。
新字:同書に、同年九月四日の所に小倉殿御事云云、昨日酉剋自後架(謂小便所)還御之後絶入云云と有り。今の世に、厠をこうかと云ふこと有り。この後架なるべし。
書き下し
同書に、同年九月四日の所に小倉殿の御事云々、昨日酉の剋、後架(小便所を謂う)より還御の後、絶え入ると云々と有り。今の世に、厠をこうかと云うこと有り。この後架なるべし。
現代語訳
同じ書(園太暦)に、同年(延文三年)九月四日のところに、「小倉殿のことについて。昨日の酉の刻(夕方六時ごろ)、後架(小便所をいう)からお戻りになった後、気を失われたという」とある。今の世に、厠(便所)を「こうか」と言うことがある。この「後架」であろう。
解説
園太暦の一行から、便所を「こうか」と呼ぶ言葉の由来を突き止めた段である。日記には小倉殿が後架から戻って倒れたとあり、しかも筆者がわざわざ「小便所を謂う」と割注を付けている。宣長はそれを見て、今の世の「こうか」はこの「後架」だろうと推した。後架はもともと禅寺で僧堂の後ろに設けた洗面所や便所を指す語で、禅宗とともに広まった言葉である。宣長は俗語を卑しいものとして退けず、その来歴を古記録の中に確かめようとした。卑近な語ほど文献に残りにくく、たまたま日記の割注に現れた一語は貴重な証拠になる。人の倒れた記事という重い文脈から、言葉の歴史を拾い上げる冷静さも、考証家の目である。
関連する章句
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