玉勝間 / 七の巻 皇孫天孫と申す御号
邇邇藝ノ命より始め奉りて、御代御代の天皇を、皇御孫命とも、天神御子とも申すを、書紀の神代ノ卷に、皇孫又天孫と書れたるは、ともに古言にあらず。皇孫とは、皇御孫ノ命と申す御號を、例の漢文ざまに、つくられたるなり。他の古書どもには皆、皇御孫ノ命と見えて、續紀の歌に、皇をはぶきて、御孫命とは訓みたる事有れども、命をはぶきて申せる事は見えず。まして天孫と申せることは、古き文には、すべて見えず。天孫とは、天神御子と申すを、つくりかへられたる文字と見えたり。然るを世の人、ひたぶるに漢文ざまのうるはしき方を好むならひと成りては、此皇孫天孫と申す御號のみひろまりて、かへりて皇御孫ノ命天ッ神ノ御子と申す、古へのまことのうるはしき御號はかくれたるが如し。皇孫はすめみま、天孫はあめみまと訓たれども、文字になつまで、皇孫をば、すめみまのみことと訓み奉るべく、天孫をば、あまつかみのみこと訓み奉りて古、のまことの御號を、ひろくせまほしきわざなり。あめみまと云ふは、殊に拙なく、よし無き訓なるをや。
新字:邇邇芸ノ命より始め奉りて、御代御代の天皇を、皇御孫命とも、天神御子とも申すを、書紀の神代ノ巻に、皇孫又天孫と書れたるは、ともに古言にあらず。皇孫とは、皇御孫ノ命と申す御号を、例の漢文ざまに、つくられたるなり。他の古書どもには皆、皇御孫ノ命と見えて、続紀の歌に、皇をはぶきて、御孫命とは訓みたる事有れども、命をはぶきて申せる事は見えず。まして天孫と申せることは、古き文には、すべて見えず。天孫とは、天神御子と申すを、つくりかへられたる文字と見えたり。然るを世の人、ひたぶるに漢文ざまのうるはしき方を好むならひと成りては、此皇孫天孫と申す御号のみひろまりて、かへりて皇御孫ノ命天ッ神ノ御子と申す、古へのまことのうるはしき御号はかくれたるが如し。皇孫はすめみま、天孫はあめみまと訓たれども、文字になつまで、皇孫をば、すめみまのみことと訓み奉るべく、天孫をば、あまつかみのみこと訓み奉りて古、のまことの御号を、ひろくせまほしきわざなり。あめみまと云ふは、殊に拙なく、よし無き訓なるをや。
書き下し
邇邇芸の命より始め奉りて、御代御代の天皇を、皇御孫命とも、天神御子とも申すを、書紀の神代の巻に、皇孫また天孫と書かれたるは、ともに古言にあらず。皇孫とは、皇御孫の命と申す御号を、例の漢文ざまに、つくられたるなり。他の古書どもには皆、皇御孫の命と見えて、続紀の歌に、皇をはぶきて、御孫命とは訓みたる事有れども、命をはぶきて申せる事は見えず。まして天孫と申せることは、古き文には、すべて見えず。天孫とは、天神御子と申すを、つくりかえられたる文字と見えたり。然るを世の人、ひたぶるに漢文ざまのうるわしき方を好むならいと成りては、この皇孫・天孫と申す御号のみひろまりて、かえりて皇御孫の命・天つ神の御子と申す、古のまことのうるわしき御号はかくれたるがごとし。皇孫はすめみま、天孫はあめみまと訓みたれども、文字になずまで、皇孫をば、すめみまのみことと訓み奉るべく、天孫をば、あまつかみのみこと訓み奉りて古のまことの御号を、ひろくせまほしきわざなり。あめみまと云うは、殊に拙なく、よし無き訓なるをや。
現代語訳
邇邇芸命(ににぎのみこと)をはじめとして、代々の天皇を「皇御孫命(すめみまのみこと)」とも「天神御子(あまつかみのみこ)」とも申し上げるのに、日本書紀の神代の巻に「皇孫」また「天孫」と書かれているのは、どちらも古い言葉ではない。「皇孫」とは「皇御孫命」という御称号を、例によって漢文風に作り変えたものである。ほかの古書にはみな「皇御孫命」と見え、続日本紀の歌に「皇」を省いて「御孫命」と訓んだ例はあるが、「命」を省いて申し上げた例は見えない。まして「天孫」と申し上げたことは、古い文献にはまったく見えない。「天孫」とは、「天神御子」と申すのを作り変えた文字と見える。ところが世の人がひたすら漢文風の整った書き方を好む習いになってからは、この「皇孫」「天孫」という御称号ばかりが広まって、かえって「皇御孫命」「天つ神の御子」という古の本当の美しい御称号は隠れてしまったかのようである。「皇孫」は「すめみま」、「天孫」は「あめみま」と訓まれてきたが、文字にこだわらず、「皇孫」は「すめみまのみこと」とお訓みし、「天孫」は「あまつかみのみこ」とお訓みして、古の本当の御称号を広めたいものである。「あめみま」というのは、とりわけ拙く、根拠のない訓みなのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』九の巻 書紀の本書一書の事書紀神代の巻の段々に、同じ事の異あるを、別に一書に曰くとて、いくつも挙げられたるは、そのかみ古き伝えの書どもあまた有りしを、此れをも彼れをも、遺されざるにて、そは論無く、よろしきを、本書はしも、ここに一つの古書に、とおして由られたるには有らずして、あまたが中に、いささかにても、漢意に近く、ことよれる限りを、撰者の心もて、これかれを択り出で、とり集めて、書きつづけられたる物と見えて、始めおわりとおらざる事ども有り。まず天照大御神の大御名、はじめには、ただ大日孁貴と号すとのみ記して、亦の名天照大神など云う事も無きに、次の段よりは天照大神と記されたるは、これ初めと後と違いたり。天照大神と申すは、一書にしるせる御名にして、本書にもはじめには、ただ一書に曰く天照大神と、注に記されたれば、異なる伝えにこそ有れ。然るに次にいたりて、俄かにその御名をしも挙げられたるは、これかの大日孁貴の御事なりとは、何をもて知らむ。天照大神と申すは、その初めいかなる神とも知られざるがごとし。
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『直毘霊』天つ神の御心を大御心として天の下には荒ぶる神もなく、まつろわぬ人もなく。幾万代を経とも、誰しの奴か、大皇に背き奉らむ、あなかしこ。御代御代の間に、たまたまもまつろわぬ穢き奴もあれば、神代の古事のまにまに、大御稜威を輝かして、たちまちに打ち滅ぼし給う物ぞ。千万御世の御末の御代まで、天皇命はしも、大御神の御子とましまして。御世御世の天皇は、すなわち天照大御神の御子になも大坐します。故、天つ神の御子とも、日の御子とも申せり。天つ神の御心を大御心として。何わざも、己命の御心もてさかしだち賜わずて、ただ神代の古事のままに、行いたまい治め賜いて、疑い思ほす事しある折は、御卜事もて、天つ神の御心を問わして物し給う。神代も今も隔てなく。ただ天津日嗣の然ましますのみならず、臣・連・八十伴緒に至るまで、氏姓を重みして、子孫の八十続き、その家々の職業を受け継がいつつ、祖神たちに異ならず、ただ一世の如くにして、神代のままに仕え奉れり。
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『玉勝間』一の巻 わたくしに記せる史世におおやけの史にはあらで、私に御代御代の事を記せる書、これかれと多かるを、昔の皇国人は、仏を尊ばぬは一人も無かりしかば、斯かる書にさえ、ともすればようなき仏ざたのまじりて、うるさく、今見るには、かたわらいたき事多し。またさかしら心に、神代にはあやしき事のみ多くして、からめかぬをいといて、多くは神武天皇より始めてしるして、神代の程をばはぶけるは、から国のむねむねしき書に、さるたぐいの有るを、善き事と思いて、ならえる物なり。そもそも外国々は、その王のすじ、定まれる事無くして、世々に変われば、心にまかせて、いづれの代より記さむも難無きを、御国の皇統は、さらに外国の王のたぐいにはましまさず、天照大御神の天津日嗣にましまして、天地と共に、とこしえに伝わらせ給うを、その本の始めをはぶき捨てて、なからより記して善からめや。万づをから国にならうも、事によりては、心すべきわざぞかし。
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『玉勝間』九の巻 書紀の本書一書の事又月読命は、その光彩日に亜ぐ云云としるされ、一書に、その御名のミコトに、尊の字を書かれたるばかり、尊き神にましますを、ただ月の神を生むとのみ有りて、御名の無きはいかにぞや。又高御産巣日の神は、世のはじめに成り坐して、最も尊き天つ神にましまして、御名にも尊の字を書かれ、神武天皇も、御みずから顕斎し給いて、道の臣の命を斎主として、殊に祭らせ給うばかりの神にましますに、天地のはじめの段にただ一書にのみ、その初めをば記されて、本書には、下巻に至りてはじめて、俄かにふと御名を書き出だされて、皇祖とも記して、皇孫の命を、葦原の中つ国に天降し奉り給う事も、みなこの神の詔命し給えるは、これ又初めと後と違えるがごとし。この事は、県居の大人も心得ぬ事に云われたり。まことに他の神たちのごとく、末にいたりて、ゆくりなく俄かに、云い出づべき神にはましまさず。成り出で坐しし始めを、必ずたしかに記さるべきわざなるをや。大かたこれらのたぐいの事ども、撰者の心もて、取りも捨てもせられし程に、本書は、中々にととのわぬ事どものあるなんめり。
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『古語拾遺』皇孫命と駈除平定天祖吾勝尊、高皇産霊神の女栲幡千千姫命を納れて、天津彦尊を生む。号して皇孫命と曰う。既にして天照大神・高皇産霊尊、皇孫を崇め養いて、降して豊葦原中国の主と為さんと欲す。仍りて経津主神・武甕槌神を遣わして、駈除し平定せしむ。
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『玉勝間』七の巻 天皇御元服の時のことぶきこは中昔より、天皇をも、みかどと申すから、古語を見て、心得誤れるなり。さて宝位と申すこと、中昔よりこなたの、祝詞・宣命には、つねの事なれど、古言にはあらず、漢言なり。こはついでに云うなり。すべて後の世のは、祝詞も、宣命も古言を知らざるから、漢語のみにぞなりもてきにける。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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