玉勝間 / 六の巻 くどく
俊賴ノ朝臣、「はじめ無き罪のつもりの悲しさをぬかのこゑごゑくどきつる哉、同百首に見えたり。くどくと云ふこと、いやしき言にあらず。ついでに云はく、はじめ無き罪とは、佛ぶみに、無始よりの罪と常に云ふ是なり。その無始は、無かりし始と云ふことなるを、始無きと詠まれたるはいかが。
新字:俊頼ノ朝臣、「はじめ無き罪のつもりの悲しさをぬかのこゑごゑくどきつる哉、同百首に見えたり。くどくと云ふこと、いやしき言にあらず。ついでに云はく、はじめ無き罪とは、仏ぶみに、無始よりの罪と常に云ふ是なり。その無始は、無かりし始と云ふことなるを、始無きと詠まれたるはいかが。
書き下し
俊頼の朝臣、「はじめ無き罪のつもりの悲しさをぬかのこえごえくどきつるかな、同じ百首に見えたり。くどくと云うこと、いやしき言にあらず。ついでに云わく、はじめ無き罪とは、仏ぶみに、無始よりの罪と常に云う是なり。その無始は、無かりし始と云うことなるを、始め無きと詠まれたるはいかが。
現代語訳
俊頼朝臣(源俊頼)の「始めのない昔から積もった罪の悲しさを、額ずきながら声々にくどくどと訴えたことだ」という歌が、同じ百首に見えている。「くどく」ということは、卑しい言葉ではない。ついでに言うと、「はじめ無き罪」とは、仏典に「無始以来の罪」といつも言うのがこれである。その「無始」は「無かりし始め」ということであるのに、「始め無き」と詠まれたのはどうだろうか。
解説
繰り返し訴える意の「くどく」が、源俊頼の歌にも使われていることを示し、卑しい言葉ではないと弁護した一段である。俊頼は院政期を代表する歌人で、金葉集の撰者でもある。宣長の時代、「くどく」は話し言葉の俗な語と見られていたが、名だたる歌人が百首歌に用いているのだから、歌に使ってもよい言葉だ、というのである。後半では、歌の「はじめ無き罪」が仏典の「無始」の訳としては不正確ではないか、と疑問を添える。言葉の品位を、印象ではなく先人の用例で判断する態度と、漢語を和語に移すときの意味のずれへの敏感さとが、短い段の中に同居している。俗と雅の境目は、思い込みより用例で決まる。
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