玉勝間 / 六の巻 火まはし
わらはべのたはぶれに、ひまはしと云ふ事をする、同百首に、「みどり子の遊ぶすさびにまはす火のむなしき世をば有と賴まじ。
新字:わらはべのたはぶれに、ひまはしと云ふ事をする、同百首に、「みどり子の遊ぶすさびにまはす火のむなしき世をば有と頼まじ。
書き下し
わらわべのたわぶれに、ひまわしと云う事をする、同じ百首に、「みどり子の遊ぶすさびにまわす火のむなしき世をば有と頼まじ。
現代語訳
子どもの遊びに「火回し」ということをするが、同じ百首に「幼子が遊びの慰みに回す火の輪のように、実体のないこの世を、あるものと頼みにはすまい」とある。
解説
子どもの遊びの「火回し」が平安後期の歌にすでに詠まれていることを示した短い一段である。火回しは、火のついた棒などを振り回して、火の輪が見えるのを楽しむ遊びである。仏教では、回す火が輪に見えても実際には輪がないことを、実体のないものを実在と見誤るたとえとする。百首の歌もそれを踏まえ、むなしい世を有るものと頼むまい、と詠む。宣長は歌の教えには触れず、子どもの遊びの古い用例として書き留めている。宣長の時代の子どもも同じ遊びをしていたのだろう。遊びは説教の材料にもなるが、宣長はそれを人の暮らしの記録として見ている。見る人によって、同じ歌から拾うものが違う。
関連する章句
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