玉勝間 / 三の巻 火あやふし
文粹一の卷、源ノ順歌ニ曰ク、夜行翁夜夜警火、酒府中呼曰シ火危彼誰何、とあり。夜行者の、火あやふしと呼ぶ事は、源氏の物語など、其外にも見えたり。今の世に、火の用心と呼びありくは、此火あやふしの訛れるなり。
新字:文粋一の巻、源ノ順歌ニ曰ク、夜行翁夜夜警火、酒府中呼曰シ火危彼誰何、とあり。夜行者の、火あやふしと呼ぶ事は、源氏の物語など、其外にも見えたり。今の世に、火の用心と呼びありくは、此火あやふしの訛れるなり。
書き下し
文粋一の巻、源の順の歌に曰く、夜行の翁夜夜火を警む、酒府の中に呼びて曰く火危うし彼は誰何、とあり。夜行者の、火あやうしと呼ぶ事は、源氏の物語など、其外にも見えたり。今の世に、火の用心と呼びありくは、此火あやうしの訛れるなり。
現代語訳
『本朝文粋』巻一の、源順の詩に「夜回りの老人が夜ごとに火を警戒し、酒府の中で『火が危ない、誰か』と呼ばわる」とある。夜回りの者が「火あやうし」と呼ぶことは、源氏物語など、そのほかにも見える。今の世に「火の用心」と呼んで歩き回るのは、この「火あやうし」が訛ったものである。
解説
夜回りが「火の用心」と呼ばわって歩く江戸の習わしの起源を、平安時代にたどった段である。宣長は『本朝文粋』に収める源順の詩に、夜回りの老人が「火危うし」と呼ぶ様子が詠まれていることを挙げ、源氏物語などにも夜の見回りが「火あやうし」と呼ぶ場面があると指摘する。そして、今の「火の用心」はこの「火あやうし」が転じたものだ、とする。音の上で本当に訛ったのか、言い方が改まったのかは議論の余地があるが、夜ごとに火の用心を呼びかける習わしが千年近く続いていることは確かである。宣長は、町の暮らしの中で当たり前に聞こえてくる声の中に、平安の古典と同じ営みを見出している。古典は遠い昔の話ではなく、今の暮らしと地続きなのである。
関連する章句
-
『玉勝間』九の巻 口あかさぬと云ふことば今の世の言に、人に口あかさぬと云うこと有り、開口のこころばえなり。源氏の物語帚木の巻に、ざえのきわ、なまなまのはかせはずかしく、すべてくちあかすべくなむ侍らざりしと有り、古き詞なりけり。
-
『玉勝間』四の巻 御と云ふ詞のつかひざまの一つ源氏物語に、仏の御かりょうびんがの声、御ひとつ腹、御まえわたり、宮の御侍従の乳母、仏の御同じ帳台、宮の御二条の北の方、など有るこれらの御ちょう詞、今の世の心にて思えば、仏のかりょうびんがの御こえ、ひとつ御はら、宮の侍従の御乳母、仏の同じ御帳台、宮の二条の御北の方、と云うべきに、置きどころかわりて聞こゆ、心得おくべし。御まえわたりも、御は、わたりへかかりて、前へはかからず。
-
『玉勝間』八の巻 いると云ふ詞俗の言に、銀がいる、銭がいる、或はいくらばかりいるなど云う。此いると云う詞、小右記に供米千石ばかり入るべきか、と見え、源氏物語に、明石の入道の言に、かなぶみ見給うるは、目のいとまいりて云云と有り。これ俗にひまがいると云う事なり。その頃より早く云えることなりけり。もろこしの近き世の俗語に、没の字を用いる、此意と同じことなり。
-
『玉勝間』七の巻 香をきくと云ふは俗言なる事香を聞くと云うは、もと漢言にて、古の詞にあらず。すべて物の香は、薫物などをも、かぐと云うぞ雅言にて、古今集の歌などにも、花たちばなの香をかげばと見え、源氏物語の梅枝の巻に、たき物どものおとりまさりを、兵部卿の宮の論め給うところにも、人々の心々に合わせ給える、深さ浅さを、かぎあわせ給えるに、などこそ見えたれ。聞くと云える事は、昔の書に見えたる事無し。今の世の人は、そをば知らで、香などをかぐと云わむは、いやしき詞のごと心得ためるはなかなかのひがことなり。聞くと云うぞ、俗言には有りける。
-
『玉勝間』九の巻 人ノ名を文字音に云ふ事人の名を、世に文字の音にて呼びならえる事、古くは、時平の大臣、多田の満仲、源の頼光、安倍の晴明などのごとき有り。やや後には、俊成卿・定家卿、家隆卿、鴨の長明など、もはら文字ごえにのみ云いならえり。琵琶ほうしの、平家物語を語るを聞くに、常にはさもあらぬ、もろもろの人の名どもも、多くは文字ごえに物すなるは、当時ことに、世の中にさかりなりし事なめり。
-
『玉勝間』六の巻 火まはしわらわべのたわぶれに、ひまわしと云う事をする、同じ百首に、「みどり子の遊ぶすさびにまわす火のむなしき世をば有と頼まじ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る