玉勝間 / 二の巻 行成記書写の事
同記云、久安五年十一月廿六日、依召早參鳥羽殿、法皇御于北殿、權辨以下執筆輩十餘人、同應召參候也、權大納言行成記、正曆以後五十餘卷、於御所近邊被書寫之、時時出〓御簾中、經叡覽終日書寫、或晩頭退出、下官本新共返上御所退出了、廿七日、早旦參鳥羽殿云云、今日下官十五枚書了、返上、晩頭歸京、廿八日、早朝參鳥羽殿、書寫功如昨日云云。
新字:同記云、久安五年十一月廿六日、依召早参鳥羽殿、法皇御于北殿、権弁以下執筆輩十余人、同応召参候也、権大納言行成記、正暦以後五十余巻、於御所近辺被書写之、時時出〓御簾中、経叡覧終日書写、或晩頭退出、下官本新共返上御所退出了、廿七日、早旦参鳥羽殿云云、今日下官十五枚書了、返上、晩頭帰京、廿八日、早朝参鳥羽殿、書写功如昨日云云。
書き下し
同記に云う、久安五年十一月廿六日、召しに依りて早く鳥羽殿に参る、法皇北殿に御す、権弁以下執筆の輩十余人、同じく召しに応じて参候するなり、権大納言行成の記、正暦以後五十余巻、御所の近辺に於て之を書写せらる、時時御簾の中に出〓して、叡覧を経、終日書写す、或いは晩頭に退出す、下官本新共に御所に返上して退出し了んぬ、廿七日、早旦鳥羽殿に参る云云、今日下官十五枚書き了んぬ、返上す、晩頭に帰京す、廿八日、早朝鳥羽殿に参る、書写の功昨日の如し云云。
現代語訳
同じ日記にこうある。「久安五年(1149)十一月二十六日、お召しによって早く鳥羽殿に参った。法皇は北殿におられた。権弁以下、筆を執る者十余人が同じくお召しに応じて参上していた。権大納言藤原行成の日記、正暦年間以後の五十余巻を、御所の近くで書き写させられた。法皇は時々御簾の中にお出ましになってご覧になり、一日中書写した。夕方になって退出する者もいた。私は元の本も写した新しい本も御所に返上して退出した。二十七日、早朝に鳥羽殿に参った。今日、私は十五枚書き終えて返上し、夕方に都へ帰った。二十八日、早朝に鳥羽殿に参った。書写の作業は昨日と同じであった」。
解説
関連する章句
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