玉勝間 / 六の巻 あゐくち
今世に、小き刀に、あゐくちと云ふ名あり。貞觀儀式、大嘗會ノ用物の中に、阿爲刀子丗柄と云ふ事有り。此名より出たるなるべし。
新字:今世に、小き刀に、あゐくちと云ふ名あり。貞観儀式、大嘗会ノ用物の中に、阿為刀子丗柄と云ふ事有り。此名より出たるなるべし。
書き下し
今世に、小さき刀に、あいくちと云う名あり。貞観儀式、大嘗会の用物の中に、阿為刀子三十柄と云う事有り。この名より出でたるなるべし。
現代語訳
今の世に、小さな刀に「あいくち」という名がある。貞観儀式の大嘗会の用品の中に「阿為刀子三十柄」ということがある。この名から出たのであろう。
解説
鍔のない短刀を指す「あいくち」の名の起こりを、平安前期の儀式書に求めた短い一段である。宣長の時代、あいくちと呼ぶ小刀はよく知られていた。宣長は、貞観儀式の大嘗会の用品に「阿為刀子」が三十柄とあるのを見つけ、この名から出たのだろうと推す。阿為が何を意味するかまでは説かず、名の連続を指摘するにとどめている。今日では、鞘と柄の口が合うことから「合口」と呼んだとする説も知られており、宣長の説は一つの見方である。ありふれた道具の名が、天皇の即位の大祭の用具の名にまでさかのぼるかもしれない、という発見の喜びが、短い記事から伝わってくる。
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 中臣寿詞相候は、儀式には相仕、大嘗祭式には共作と有り。これらを合わせて思うに、仕も候も誤りにて、相作なるべし。由志理伊都志理は、由は斎、伊都は厳にて、共に斎い清めたること、志理は、斎まわり清まわりの、まわりの如き、辞と聞こえたり。日時撰撰定、こはいつも定まれる事なるを、かく申すは、上代には、その度々撰びて定めしにや。さてその代の詞のままに、後までも申せるか。赤丹乃穂仁毛の毛の字は、衍なり。後の人、この言の意を知らず、ただ上に二つ仁毛と有るにならいて、みだりにここにも加えたる物なるべし。明御座弖の弖は、かならず止と有るべき所なり。相嘗は、阿比爾閉と唱うべし。爾閉を牟倍と唱うるは、後の世の音便にくづれたる唱えなり。大嘗も、大爾閉なるを、大牟倍と云うと同じ。さてこの相嘗は、天皇と相伴に、新饗し奉る意の名にて、俗に云わゆる相伴の心ばえなり。さる故にこの祭は、必ずしもその神社の尊き卑きにもよらず、必ず預かり給うべく思わるる神にも、預かり給わぬ多し。これ殊に故有りて、預かり給うは預かり給うなるべし。その神七十一座おわしまして、四時祭式に見えたり。
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『玉勝間』十一の巻 刀の目貫と云ふ物拾遺集の神楽歌に、「しろかねのめぬきのたちをさげはきて奈良のみやこをねるはたが子ぞ。
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