導師導古典を学びたいすべての人に

玉勝間 / 五の巻 鳥羽殿八月十五夜月見御歌御遊

中右記云。寛治八年、八月十五日、天晴、午時許、候大納言殿御車後、參入鳥羽殿、先於宰相直廬休息、具申大納言殿、申時許、參入大殿御直廬、則引公卿令參、先御鳥羽殿南御所寢殿東面、女院同御也。女房南東面打出、公卿座西廊居饗饌、人人雖被著、無盃酒儀、已依日暮也。寄御船於東渡殿、上皇令乘給、大殿左大臣關白殿、藤大納言中宮大夫(師忠)左大將(忠)皇大后宮權大夫(公)新宰相中將(宗通)此外宗忠〓左中將有賢、依召候御船、有別仰、帥大納言(經信)備中守(政長)朝臣、可候御船者、以御隨身被相尋問、已及數刻、兩人追被參加後出御船、御-船-指四人、判官代勸解由次官顯隆散位忠〓藏人高階爲賢源家時(皆布衣)上達部船、新大納言(家忠)右衞門督(公實)藤大納言(基忠)新中納言(通俊)江中納言(匡房)左宰相中將(仲實)右兵衞督(雅俊)中宮權大夫(能實)以武者所四人爲船指、布衣殿上人船、頭中將國信朝臣等、四十人許皆布衣、此外御隨身副小船前行、先於御船有御遊、藤大納言(拍子)、帥大納言(琵琶)、左大將(箏)、宰相中將(笛)、宗忠(笙)、有賢(和琴)、皇大后宮權大夫(井)政長朝臣付-歌、先双-調、紀-伊-州席-田鳥破急、平-調大-平樂破伊-勢-海-廻-忽五-常-樂急、帥大納言朗詠、盤-渉-調、秋-風-樂三-帖靑-海-破蘇-合急、各及數反、于時雲收、天〓月明、池上絲竹之調、興入幽玄、此間棹小船、但馬守隆時朝臣甲斐守行實朝臣供御膳、(牙盤三前、有打數有物、)諸卿傳-遞供之、次第(乍在座遞上也、)中宮大夫被候陪膳、公卿衝-重便居船之緣、御盃則給大殿、大殿指左大臣、左大臣指關白、次第巡流、及二獻、公卿船朗詠數度、夜及三更、從御船令上給了。

新字:中右記云。寛治八年、八月十五日、天晴、午時許、候大納言殿御車後、参入鳥羽殿、先於宰相直廬休息、具申大納言殿、申時許、参入大殿御直廬、則引公卿令参、先御鳥羽殿南御所寝殿東面、女院同御也。女房南東面打出、公卿座西廊居饗饌、人人雖被著、無盃酒儀、已依日暮也。寄御船於東渡殿、上皇令乗給、大殿左大臣関白殿、藤大納言中宮大夫(師忠)左大将(忠)皇大后宮権大夫(公)新宰相中将(宗通)此外宗忠〓左中将有賢、依召候御船、有別仰、帥大納言(経信)備中守(政長)朝臣、可候御船者、以御随身被相尋問、已及数刻、両人追被参加後出御船、御-船-指四人、判官代勧解由次官顕隆散位忠〓蔵人高階為賢源家時(皆布衣)上達部船、新大納言(家忠)右衛門督(公実)藤大納言(基忠)新中納言(通俊)江中納言(匡房)左宰相中将(仲実)右兵衛督(雅俊)中宮権大夫(能実)以武者所四人為船指、布衣殿上人船、頭中将国信朝臣等、四十人許皆布衣、此外御随身副小船前行、先於御船有御遊、藤大納言(拍子)、帥大納言(琵琶)、左大将(箏)、宰相中将(笛)、宗忠(笙)、有賢(和琴)、皇大后宮権大夫(井)政長朝臣付-歌、先双-調、紀-伊-州席-田鳥破急、平-調大-平楽破伊-勢-海-廻-忽五-常-楽急、帥大納言朗詠、盤-渉-調、秋-風-楽三-帖青-海-破蘇-合急、各及数反、于時雲収、天〓月明、池上糸竹之調、興入幽玄、此間棹小船、但馬守隆時朝臣甲斐守行実朝臣供御膳、(牙盤三前、有打数有物、)諸卿伝-逓供之、次第(乍在座逓上也、)中宮大夫被候陪膳、公卿衝-重便居船之縁、御盃則給大殿、大殿指左大臣、左大臣指関白、次第巡流、及二献、公卿船朗詠数度、夜及三更、従御船令上給了。

書き下し

中右記に云う。寛治八年、八月十五日、天晴る、午の時ばかり、大納言殿の御車の後に候いて、鳥羽殿に参入す。先ず宰相の直廬に於て休息し、具さに大納言殿に申す。申の時ばかり、大殿の御直廬に参入し、則ち公卿を引きて参らしむ。先ず鳥羽殿南御所の寝殿の東面に御す、女院も同じく御すなり。女房は南東面に打ち出づ。公卿の座は西廊にて饗饌を居う。人々著かるると雖も、盃酒の儀無し、已に日暮るるに依るなり。御船を東の渡殿に寄せ、上皇乗らしめ給う。大殿・左大臣・関白殿・藤大納言中宮大夫(師忠)・左大将(忠)・皇太后宮権大夫(公)・新宰相中将(宗通)、この外宗忠・左中将有賢、召しに依りて御船に候う。別の仰せ有り、帥大納言(経信)・備中守(政長)朝臣、御船に候うべしとて、御随身を以て尋ね問わるるに、已に数刻に及ぶ。両人追って参加せらる。後に御船を出だす。御船指四人、判官代勘解由次官顕隆・散位忠〓・蔵人高階為賢・源家時(皆布衣)。上達部の船、新大納言(家忠)・右衛門督(公実)・藤大納言(基忠)・新中納言(通俊)・江中納言(匡房)・左宰相中将(仲実)・右兵衛督(雅俊)・中宮権大夫(能実)、武者所四人を以て船指となす。布衣の殿上人の船、頭中将国信朝臣等、四十人ばかり皆布衣。この外御随身小船に副いて前行す。先ず御船に於て御遊有り、藤大納言(拍子)・帥大納言(琵琶)・左大将(箏)・宰相中将(笛)・宗忠(笙)・有賢(和琴)・皇太后宮権大夫(井)・政長朝臣付歌。先ず双調、紀伊州・席田・鳥破急、平調、大平楽破・伊勢海・廻忽・五常楽急、帥大納言朗詠、盤渉調、秋風楽三帖・青海破・蘇合急、各数反に及ぶ。時に雲収まり、天清く月明らかにして、池上の糸竹の調べ、興幽玄に入る。この間小船に棹さし、但馬守隆時朝臣・甲斐守行実朝臣御膳を供す(牙盤三前、打敷・有物有り)。諸卿伝遞してこれを供す。次第に(座に在りながら遞いに上るなり)、中宮大夫陪膳に候わる。公卿の衝重は便ち船の縁に居う。御盃は則ち大殿に給う、大殿は左大臣に指し、左大臣は関白に指し、次第に巡流して、二献に及ぶ。公卿の船にて朗詠数度、夜三更に及び、御船より上らしめ給い了んぬ。

現代語訳

『中右記』に言う。寛治八年(1094)八月十五日、空は晴れた。正午ごろ、大納言殿の御車の後ろに従って、鳥羽殿に参上した。まず宰相の宿直所で休息し、詳しく大納言殿に申し上げた。午後四時ごろ、大殿の宿直所に参上し、すぐに公卿たちを引き連れて参らせた。まず(上皇は)鳥羽殿南御所の寝殿の東面においでになり、女院も同じくおいでになった。女房たちは南東面に衣の裾を出して並んだ。公卿の座は西の廊で、饗膳を据えた。人々は着座されたが、酒杯の儀はなかった。すでに日が暮れていたからである。御船を東の渡殿に寄せ、上皇がお乗りになった。大殿・左大臣・関白殿・藤大納言中宮大夫(師忠)・左大将(忠)・皇太后宮権大夫(公)・新宰相中将(宗通)、このほか宗忠(私)と左中将有賢が、お召しによって御船に伺候した。別に仰せがあって、「帥大納言(経信)と備中守(政長)朝臣は御船に伺候せよ」と、御随身を遣わしてお尋ねになったが、すでに数刻に及んだ。二人は後から加わられた。その後で御船を出した。御船の船頭は四人で、判官代勘解由次官顕隆・散位忠〓・蔵人高階為賢・源家時(みな布衣)であった。上達部の船には、新大納言(家忠)・右衛門督(公実)・藤大納言(基忠)・新中納言(通俊)・江中納言(匡房)・左宰相中将(仲実)・右兵衛督(雅俊)・中宮権大夫(能実)が乗り、武者所の四人を船頭とした。布衣の殿上人の船には、頭中将国信朝臣ら四十人ほど、みな布衣であった。このほか御随身が小船に付き添って先に進んだ。まず御船で管弦の御遊があった。藤大納言が拍子、帥大納言が琵琶、左大将が箏、宰相中将が笛、宗忠が笙、有賢が和琴、皇太后宮権大夫と政長朝臣が付歌を務めた。まず双調で「紀伊州」「席田」「鳥の破・急」、平調で「太平楽の破」「伊勢海」「廻忽」「五常楽の急」、帥大納言の朗詠、盤渉調で「秋風楽三帖」「青海波の破」「蘇合の急」を、それぞれ幾度も繰り返した。その時雲が消えて空は清く月は明るく、池の上の管弦の調べは、興趣が幽玄の境に入った。この間、小船に棹さして、但馬守隆時朝臣と甲斐守行実朝臣が御膳を差し上げた(牙の盤三つ、打敷と品々があった)。諸卿は順に手渡ししてこれを差し上げた。順々に(座にいながら互いに渡して上げるのである)、中宮大夫が陪膳を務められた。公卿の衝重(膳)はそのまま船の縁に据えた。御盃はまず大殿に賜り、大殿は左大臣に差し、左大臣は関白に差し、順に巡って二献に及んだ。公卿の船では朗詠が幾度もあり、夜は三更(真夜中)に及んで、御船からお上がりになった。

解説

藤原宗忠の日記『中右記』から、寛治八年の中秋の名月の夜に、白河上皇の鳥羽殿で催された船遊びの記事をまるごと写した段である。上皇と摂関家の人々が御船に乗り、公卿や殿上人の船が続く。池の上で琵琶、箏、笛、笙、和琴が合奏され、雲が晴れて月が明るくなると、その調べは幽玄の境に入ったと記される。誰がどの船に乗り、どの楽器を担い、どの曲を奏したか、膳の据え方や盃の回し方まで細かに書き留められている。宣長がこうした長い引用を載せたのは、平安の宮廷の雅びを、物語ではなく実際の記録で伝えたかったからだろう。古今集や源氏物語に描かれた世界が、確かに現実にあったことを示す証拠でもある。有職故実を学ぶ者にとって、日記は儀式の生きた手本だった。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る