玉勝間 / 六の巻 さぬきの国の山の谷なるあやしきゑり物
大和國つぼ坂寺のおくなる山に、五百羅漢のかたとて、石に數百の人のかたを彫たるあり。或人の云へるは、これを俗に羅漢としも云ふは、あらぬことなり。よく見れば、みな上つ代の人の形なり、神の御しわざと見えたりと云へり。おのれ未だ見ざれとも、まことにさぞ有らむとぞ覺ゆる。すべて古き神の御像、またさらぬをも、世にはみなおしなべて、佛のかたと思へる多し。又物の形など石にゑりたるが、あやしく何ともわきまへ難きなど、世に多かるを見れば、上つ代には、くさぐさ石に物ゑる事の、多かりしなり。神代のしわざをも、今まのあたり見るべき物は、石のみぞ有ける。讃岐ノ國に、其所の名聞つるを、忘れたり。いと廣き谷ひと谷に、有るかぎりの岩、一つもおちず、大きなるにも小きにも、ことごとく佛のかたを彫たる所ありて、其數かぞへ盡すべからずとぞ。或人そのさまをよく見て、あまりあやしさに、石工にはからせたるに、大かた日每に數百人の石つくりをして、三十年ばかりの月日を經て、ゑらしめずは、かくまでは成し得じ。
新字:大和国つぼ坂寺のおくなる山に、五百羅漢のかたとて、石に数百の人のかたを彫たるあり。或人の云へるは、これを俗に羅漢としも云ふは、あらぬことなり。よく見れば、みな上つ代の人の形なり、神の御しわざと見えたりと云へり。おのれ未だ見ざれとも、まことにさぞ有らむとぞ覚ゆる。すべて古き神の御像、またさらぬをも、世にはみなおしなべて、仏のかたと思へる多し。又物の形など石にゑりたるが、あやしく何ともわきまへ難きなど、世に多かるを見れば、上つ代には、くさぐさ石に物ゑる事の、多かりしなり。神代のしわざをも、今まのあたり見るべき物は、石のみぞ有ける。讃岐ノ国に、其所の名聞つるを、忘れたり。いと広き谷ひと谷に、有るかぎりの岩、一つもおちず、大きなるにも小きにも、ことごとく仏のかたを彫たる所ありて、其数かぞへ尽すべからずとぞ。或人そのさまをよく見て、あまりあやしさに、石工にはからせたるに、大かた日毎に数百人の石つくりをして、三十年ばかりの月日を経て、ゑらしめずは、かくまでは成し得じ。
書き下し
大和国つぼ坂寺のおくなる山に、五百羅漢のかたとて、石に数百の人のかたを彫りたるあり。或る人の云えるは、これを俗に羅漢としも云うは、あらぬことなり。よく見れば、みな上つ代の人の形なり、神の御しわざと見えたりと云えり。おのれ未だ見ざれども、まことにさぞ有らむとぞ覚ゆる。すべて古き神の御像、またさらぬをも、世にはみなおしなべて、仏のかたと思える多し。また物の形など石にえりたるが、あやしく何ともわきまえ難きなど、世に多かるを見れば、上つ代には、くさぐさ石に物える事の、多かりしなり。神代のしわざをも、今まのあたり見るべき物は、石のみぞ有りける。讃岐の国に、その所の名聞きつるを、忘れたり。いと広き谷ひと谷に、有るかぎりの岩、一つもおちず、大きなるにも小さきにも、ことごとく仏のかたを彫りたる所ありて、その数かぞえ尽くすべからずとぞ。或る人そのさまをよく見て、あまりあやしさに、石工にはからせたるに、大かた日毎に数百人の石つくりをして、三十年ばかりの月日を経て、えらしめずは、かくまでは成し得じ。
現代語訳
大和国の壺坂寺の奥の山に、五百羅漢の像といって、石に数百の人の姿を彫ったものがある。ある人が言うには、これを世間で羅漢などと言うのは間違いである。よく見ればみな上代の人の姿であって、神のなさったことと見える、と言った。私はまだ見ていないが、本当にそうであろうと思われる。およそ古い神の御像や、またそうでないものも、世間ではみなおしなべて仏の像と思っているものが多い。また物の形などを石に彫ったもので、不思議で何とも見分けがたいものなどが世に多いのを見ると、上代にはさまざまに石に物を彫ることが多かったのである。神代のしわざを今目の当たりに見ることのできるものは、石だけであった。讃岐国に、その所の名を聞いたのだが忘れてしまったが、たいそう広い谷一つにある限りの岩に、一つ残らず、大きなものにも小さなものにも、ことごとく仏の姿を彫った所があって、その数は数え尽くせないという。ある人がその様子をよく見て、あまりの不思議さに石工に見積もらせたところ、「およそ毎日数百人の石工に作業させて、三十年ほどの月日をかけて彫らせなければ、ここまではできないだろう。
解説
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 さぬきの国の山の谷なるあやしきゑり物またかばかり高く大きなる、数十似のいわおどもには、まずその足代を構えんばかりも、かたき業なるべければ、このたくみ、さらに人の力の及ぶべきかぎりに有らずと云いけりとぞ。いともあやしくくすしき事にぞ有りける。いずれの郡に、何と云う山の谷ぞ、いま一たび所をも聞き定めて、なおよく尋ぬべきことなり。土人は、弘法大師のえれると、云い伝えたりとぞ。おのれこの事を聞きて思うに、まずすべて国々に、あやしき物と云えば、みな弘法のしわざと云うは、常の事にて、そはもとより論うにも足らず。また仏のかたと思うも、例のひがことにて、これはた神代の人の形にて、神の造り給える物とこそ覚ゆれ。行きて見ん人、なおよく考えて定めてよ。すべて国々に、こうようのあやしき所の有るには、必ず世々の法師ども、あらたに手を加えて仏ざまにしなして、例の世の人をあざむくたぐいも多かるを、心してなまどわされそ。
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『玉勝間』八の巻 古き物またそのかたを偽り作る事げに上つ代の人のしわざと見えて、其さまいみじく古めきたりければ、めずらかに覚えて、おのれも写し置きたりしを、猶いかにぞや、疑わしくはた覚えしかば、かの国にその社近き里に、弟子のあるが許へ、しかじかの物得たるは、いかなるにかと、問いにやりたりしもしるく、はやくいつわりにて、即ちかの社の神主飯田氏にも問いしに、更にかたも無き事なりと、云いおこせたりき。又同じ頃、檜垣嫗が、みずからきざみたる、ちいさき木の像の、肥後の国の、忘れたり、何とか云う所より、近く掘出たる、写しとて、ここかしこに写し伝えて、ひろまりたる、これはた、出たる本を尋ぬるに、確かなるように聞ゆれど、猶心得ぬ事有りて、疑わしくなむ。すべてこうようのたぐい、今はゆくりかにはうけ難きわざなり。心すべし。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事また世に名高き所などをば、外なるをも、しいておのが国おのが里のにせまほしがるならいにて、ただいささかのより所めきたる事をも、かたくとらえて、強いてここぞと云いなして、しるしを作るたぐいなど、はた世に多きを、さる心して、まどうべからず。ふみなどは、むげに見たる事無き、ひたぶるの賤の男の、覚えいて語ることは、しり口あわず、しどけなく、ひがことのみ多かれど、その中には、かえりておかしき事もまじるわざなれば、さるたぐいをも、心とどめて聞くべきわざなり。されどまた、昔なまなまの物知り人などの、尋ね来たるが、ひが定めして、ここはしかしかの跡ぞなど、教えおきたるを聞きおりて、里人は、まことにさることと信じて、子うまごなどにも、語り伝えたるたぐいも有りしなれば、うべうべしくきこゆる事も、なおひたぶるには信じがたし。またみずからそのところのさまを行き見てさだむるにも、くさぐさ心うべき事ども有り。おおかた所のさまかみさびて、木立しげく物ふりなどしたるを見れば、こここそはと、目とまる物なれど、それはたうちつけには頼みがたし。大かたなにならぬ所にも、古めきたる森はやしなどは、多く有るものなり。
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『玉勝間』九の巻 檜垣ノ嫗が事さきに萩の下葉の巻に云える、ひがきのおうなが像と云う物の事、肥後の国人に問いしに、語りけるは、かの国飽田の郡白川のあたり、九品山蓮台寺と云う寺に、かの嫗の墓と云う有りて、古き石塔たてり。きざめる文字は無し。かの像と云う物は、同郡に岩殿山と云うに、観音をすえたる岩屋の有る、そのいわ屋のひたいより、掘り出でたりと云えり。この所は、かの嫗の深く信じて、常にもうでし所なりと云い伝えて、そのあたりに、山下庵とて、もうずるたびごとに、立ちよりし所なりと云う寺も有り。又くみて彼の仏にたむけし水とて井も有るなり。されど彼の掘り出でたりと云う像は、まことに偽われる物なるべしと語りき。
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『玉勝間』六の巻 筑紫ノ君石井が事周り六丈は、高さにかなわざれば、六の上に、三十など云う字の有りけむが、落ちたるなるべし。かくてこの石井が造り置きたりし墓のかまえは、今の世にも残りて、現に有るよしにて、近きほど、その図をしるし、考えをも添えたるを、見しに、まことに風土記にしるせるごとくにぞ有りけむ、とぞ覚ゆる。そもそも石のかぎりして、かばかりいかめしく、大きなるかまえを物せん事は、今の世の国持大名などのちからにも、いとたやすくは、出で来がたかるべし。これを思えば、そのかみ国々の国造の身のほども思いはかられて、けしうは有らざりけむかし。かの図は、写しおきたりしを、今え見出でず、見出でたらむ時に、また云いてんとす。
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『玉勝間』八の巻 岩屋国々に、おのずからなる洞には有らで、造り構えたる石室の、ここかしこに有る事、おりおり聞く事なり。あまた有る所も有りと云うなり。人皆これを、からぶみに、穴居と云える事の有るを思いて、上つ代の民のすみかならんと、云い思うめれど、御国には、然か民の穴に住めりし事は聞えず。更にさには有らず。中には墓とおぼしきもあめれど、皆然るにも有らじ。今よく思うに、書紀の神武天皇の御巻に、道臣命に勅有りて、大室を忍坂邑に作り、盛に宴饗を設く云云、道臣命是に於て密旨を奉り、窖を忍坂に掘る云云、また綏靖天皇の御巻に、手研耳命片丘の大窖の中に於て、独り大牀に臥す、など見えたる物にて、上つ代には、つねの屋のほかに、別に山の片そばなどを掘りて、石もて屋を作り構えたる事有けん。さるはなべて民どもなどのする事には有らで、高き人の、殊更に好みてせしにて、大かた古く牟呂と云いし物は、是れなめり。そは何のために、さる構えはしたるにか、其ゆえは知られねど、もしは冬寒き頃、温かなるをめでてにもや有けむ。今国々に有るは、多くは此上つ代の石室の残れるなるべし。
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