玉勝間 / 六の巻 さぬきの国の山の谷なるあやしきゑり物
又かばかり高く大きなる、數十似のいはほどもにはまつその足代を構へんばかりも、かたき業なるべければ、此たくみ、さらに人の力の及ぶべきかぎりに有らずと云ひけりとぞ。いともあやしくくすしき事にぞ有ける。いづれの郡に、何と云ふ山の谷ぞ、いま一たび所をも聞き定めて、猶よく尋ぬべきことなり。土人は、弘法大師のゑれると、云ひ傳へたりとぞ。おのれ此事を聞て思ふに、まづすべて國國に、あやしき物と云へば、みな弘法のしわざと云ふは、常の事にて、そはもとより論ふにも足らず。又佛のかたと思ふも、例のひがことにて、これはた神代の人の形にて、神の造り給へる物とこそ覺ゆれ。行て見ん人、猶よく考へて定めてよ。すべて國國に、かうやうのあやしき所の有るには、必ず世世の法師共、あらたに手を加へて佛ざまにしなして、例の世ノ人をあざむくたぐひも多かるを、心してなまどはされそ。
新字:又かばかり高く大きなる、数十似のいはほどもにはまつその足代を構へんばかりも、かたき業なるべければ、此たくみ、さらに人の力の及ぶべきかぎりに有らずと云ひけりとぞ。いともあやしくくすしき事にぞ有ける。いづれの郡に、何と云ふ山の谷ぞ、いま一たび所をも聞き定めて、猶よく尋ぬべきことなり。土人は、弘法大師のゑれると、云ひ伝へたりとぞ。おのれ此事を聞て思ふに、まづすべて国国に、あやしき物と云へば、みな弘法のしわざと云ふは、常の事にて、そはもとより論ふにも足らず。又仏のかたと思ふも、例のひがことにて、これはた神代の人の形にて、神の造り給へる物とこそ覚ゆれ。行て見ん人、猶よく考へて定めてよ。すべて国国に、かうやうのあやしき所の有るには、必ず世世の法師共、あらたに手を加へて仏ざまにしなして、例の世ノ人をあざむくたぐひも多かるを、心してなまどはされそ。
書き下し
またかばかり高く大きなる、数十似のいわおどもには、まずその足代を構えんばかりも、かたき業なるべければ、このたくみ、さらに人の力の及ぶべきかぎりに有らずと云いけりとぞ。いともあやしくくすしき事にぞ有りける。いずれの郡に、何と云う山の谷ぞ、いま一たび所をも聞き定めて、なおよく尋ぬべきことなり。土人は、弘法大師のえれると、云い伝えたりとぞ。おのれこの事を聞きて思うに、まずすべて国々に、あやしき物と云えば、みな弘法のしわざと云うは、常の事にて、そはもとより論うにも足らず。また仏のかたと思うも、例のひがことにて、これはた神代の人の形にて、神の造り給える物とこそ覚ゆれ。行きて見ん人、なおよく考えて定めてよ。すべて国々に、こうようのあやしき所の有るには、必ず世々の法師ども、あらたに手を加えて仏ざまにしなして、例の世の人をあざむくたぐいも多かるを、心してなまどわされそ。
現代語訳
また、これほど高く大きな数十仞もの巨岩には、まずその足場を組むことさえ難しい仕事だろうから、この細工はまったく人の力の及ぶ限りのものではない」と言ったという。まことに不思議で霊妙なことである。どこの郡の、何という山の谷なのか、もう一度その所をしっかり聞き定めて、さらによく尋ねるべきことである。土地の人は、弘法大師が彫ったのだと言い伝えているという。私はこのことを聞いて思うに、まずおよそ国々で不思議な物といえばみな弘法大師のしわざだと言うのはいつものことで、それはもとより論じるにも足りない。また仏の姿と思うのも例の誤りで、これもまた神代の人の姿であって、神のお造りになったものと思われる。行って見る人は、なおよく考えて見定めてほしい。およそ国々にこのような不思議な所があると、必ず代々の法師どもが新たに手を加えて仏らしく作り変え、例によって世の人を欺くたぐいも多いのだから、心して惑わされないようにせよ。
解説
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 さぬきの国の山の谷なるあやしきゑり物大和国つぼ坂寺のおくなる山に、五百羅漢のかたとて、石に数百の人のかたを彫りたるあり。或る人の云えるは、これを俗に羅漢としも云うは、あらぬことなり。よく見れば、みな上つ代の人の形なり、神の御しわざと見えたりと云えり。おのれ未だ見ざれども、まことにさぞ有らむとぞ覚ゆる。すべて古き神の御像、またさらぬをも、世にはみなおしなべて、仏のかたと思える多し。また物の形など石にえりたるが、あやしく何ともわきまえ難きなど、世に多かるを見れば、上つ代には、くさぐさ石に物える事の、多かりしなり。神代のしわざをも、今まのあたり見るべき物は、石のみぞ有りける。讃岐の国に、その所の名聞きつるを、忘れたり。いと広き谷ひと谷に、有るかぎりの岩、一つもおちず、大きなるにも小さきにも、ことごとく仏のかたを彫りたる所ありて、その数かぞえ尽くすべからずとぞ。或る人そのさまをよく見て、あまりあやしさに、石工にはからせたるに、大かた日毎に数百人の石つくりをして、三十年ばかりの月日を経て、えらしめずは、かくまでは成し得じ。
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『玉勝間』八の巻 古き物またそのかたを偽り作る事げに上つ代の人のしわざと見えて、其さまいみじく古めきたりければ、めずらかに覚えて、おのれも写し置きたりしを、猶いかにぞや、疑わしくはた覚えしかば、かの国にその社近き里に、弟子のあるが許へ、しかじかの物得たるは、いかなるにかと、問いにやりたりしもしるく、はやくいつわりにて、即ちかの社の神主飯田氏にも問いしに、更にかたも無き事なりと、云いおこせたりき。又同じ頃、檜垣嫗が、みずからきざみたる、ちいさき木の像の、肥後の国の、忘れたり、何とか云う所より、近く掘出たる、写しとて、ここかしこに写し伝えて、ひろまりたる、これはた、出たる本を尋ぬるに、確かなるように聞ゆれど、猶心得ぬ事有りて、疑わしくなむ。すべてこうようのたぐい、今はゆくりかにはうけ難きわざなり。心すべし。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事また世に名高き所などをば、外なるをも、しいておのが国おのが里のにせまほしがるならいにて、ただいささかのより所めきたる事をも、かたくとらえて、強いてここぞと云いなして、しるしを作るたぐいなど、はた世に多きを、さる心して、まどうべからず。ふみなどは、むげに見たる事無き、ひたぶるの賤の男の、覚えいて語ることは、しり口あわず、しどけなく、ひがことのみ多かれど、その中には、かえりておかしき事もまじるわざなれば、さるたぐいをも、心とどめて聞くべきわざなり。されどまた、昔なまなまの物知り人などの、尋ね来たるが、ひが定めして、ここはしかしかの跡ぞなど、教えおきたるを聞きおりて、里人は、まことにさることと信じて、子うまごなどにも、語り伝えたるたぐいも有りしなれば、うべうべしくきこゆる事も、なおひたぶるには信じがたし。またみずからそのところのさまを行き見てさだむるにも、くさぐさ心うべき事ども有り。おおかた所のさまかみさびて、木立しげく物ふりなどしたるを見れば、こここそはと、目とまる物なれど、それはたうちつけには頼みがたし。大かたなにならぬ所にも、古めきたる森はやしなどは、多く有るものなり。
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『玉勝間』五の巻 しのぶもぢずりされどまことに然かなりけんも知りがたきを、ひたぶるに偽言なりとは云うべくもあらず。その石の事は、とまれかくまれ、信夫郡より出だせりし事は、論無きをや。
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『玉勝間』六の巻 筑紫ノ君石井が事周り六丈は、高さにかなわざれば、六の上に、三十など云う字の有りけむが、落ちたるなるべし。かくてこの石井が造り置きたりし墓のかまえは、今の世にも残りて、現に有るよしにて、近きほど、その図をしるし、考えをも添えたるを、見しに、まことに風土記にしるせるごとくにぞ有りけむ、とぞ覚ゆる。そもそも石のかぎりして、かばかりいかめしく、大きなるかまえを物せん事は、今の世の国持大名などのちからにも、いとたやすくは、出で来がたかるべし。これを思えば、そのかみ国々の国造の身のほども思いはかられて、けしうは有らざりけむかし。かの図は、写しおきたりしを、今え見出でず、見出でたらむ時に、また云いてんとす。
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『玉勝間』九の巻 檜垣ノ嫗が事さきに萩の下葉の巻に云える、ひがきのおうなが像と云う物の事、肥後の国人に問いしに、語りけるは、かの国飽田の郡白川のあたり、九品山蓮台寺と云う寺に、かの嫗の墓と云う有りて、古き石塔たてり。きざめる文字は無し。かの像と云う物は、同郡に岩殿山と云うに、観音をすえたる岩屋の有る、そのいわ屋のひたいより、掘り出でたりと云えり。この所は、かの嫗の深く信じて、常にもうでし所なりと云い伝えて、そのあたりに、山下庵とて、もうずるたびごとに、立ちよりし所なりと云う寺も有り。又くみて彼の仏にたむけし水とて井も有るなり。されど彼の掘り出でたりと云う像は、まことに偽われる物なるべしと語りき。
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