玉勝間 / 六の巻 近江国の君か畑と云ふところ
あふみの犬上ノ郡の山中に、君か畑村と云ふ有て、大公大明神と云ふ社あり。惟高親王をまつると云へり。村の民とも、代る代る一年づつ神主となる。まづ一とせの間ゆまはりて、さて一年神主を務めて、後又一年ゆまはる。これに當れる者を、公殿と云ふ。家まづしくて、此公殿をえ務めずして老イたる者をば、犬といふ。又此村に、禪宗の寺有って、其寺の內に、惟高法親王の廟と云ひて、塚も有り。此村は、伊勢ノ國員辨ノ郡より越る堺に近き所にて、山深き里なりとぞ。此村人ども、夏は茶を多くつくりて、出羽の秋田へくだし、冬は炭を燒て、國內に賣るとぞ。その茶をもむ時の歌、ここでもむ茶が、秋田へくだる、秋田女郞衆に、ふらりよかよ。
新字:あふみの犬上ノ郡の山中に、君か畑村と云ふ有て、大公大明神と云ふ社あり。惟高親王をまつると云へり。村の民とも、代る代る一年づつ神主となる。まづ一とせの間ゆまはりて、さて一年神主を務めて、後又一年ゆまはる。これに当れる者を、公殿と云ふ。家まづしくて、此公殿をえ務めずして老イたる者をば、犬といふ。又此村に、禅宗の寺有って、其寺の内に、惟高法親王の廟と云ひて、塚も有り。此村は、伊勢ノ国員弁ノ郡より越る堺に近き所にて、山深き里なりとぞ。此村人ども、夏は茶を多くつくりて、出羽の秋田へくだし、冬は炭を焼て、国内に売るとぞ。その茶をもむ時の歌、ここでもむ茶が、秋田へくだる、秋田女郎衆に、ふらりよかよ。
書き下し
おうみの犬上の郡の山中に、君が畑村と云う有りて、大公大明神と云う社あり。惟高親王をまつると云えり。村の民ども、代わる代わる一年ずつ神主となる。まず一とせの間ゆまわりて、さて一年神主を務めて、後また一年ゆまわる。これに当たれる者を、公殿と云う。家まずしくて、この公殿をえ務めずして老いたる者をば、犬という。またこの村に、禅宗の寺有りて、その寺の内に、惟高法親王の廟と云いて、塚も有り。この村は、伊勢の国員弁の郡より越ゆる堺に近き所にて、山深き里なりとぞ。この村人ども、夏は茶を多くつくりて、出羽の秋田へくだし、冬は炭を焼きて、国内に売るとぞ。その茶をもむ時の歌、ここでもむ茶が、秋田へくだる、秋田女郎衆に、ふらりよかよ。
現代語訳
近江の犬上郡の山中に君が畑村というところがあって、大公大明神という社がある。惟高(惟喬)親王を祀るという。村の民たちが代わる代わる一年ずつ神主となる。まず一年の間身を慎んで清め、それから一年神主を務め、後にまた一年身を慎む。これに当たった者を「公殿」という。家が貧しくてこの公殿を務めることができずに年老いた者を「犬」という。またこの村には禅宗の寺があって、その寺の中に惟高法親王の廟といって塚もある。この村は伊勢国員弁郡から越える境に近い所で、山深い里だという。この村人たちは、夏は茶をたくさん作って出羽の秋田へ送り、冬は炭を焼いて国内で売るという。その茶を揉むときの歌は、「ここで揉む茶が秋田へ下る、秋田の女郎衆にふられようか」。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 信濃国の或村村の神事にうたふ歌ある人の云わく、しなのの国の、天竜川の河上なる、川村和田きさわなど云う里里の神事に、湯釜に湯をわかしたぎらせて、そのめぐりに、幣を立ておきて、夜更けて、その釜のほとりに、里人男女、老いたる少き打ち交じりつどいて、その幣をとり持ちて、うたう歌。おゆめすときのな、おみかげこぐそ〓〓、やくもだのぼれ〓〓、
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『玉勝間』十一の巻 茶の事同じ書、御仏名の条の裏書にいわく。法親王に禄を賜う、紅染の細長一襲(御衣、)桜色の綾の細長一襲、茶并びに茶具二裹、(五葉の枝に付く)とあり。そのかみ早く茶をめで給いしにこそ。但し仏事につきての事にや。茶具と有るは、いかなる物なりけん。そもそもこの茶と云う物のこと、はやく桓武天皇の御世に、国史に見えたりと覚ゆるを、定かにその年と云う事おぼえねば、ここにえ引き出でず。
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『玉勝間』十二の巻 茶の事類聚国史に、弘仁六年夏四月癸亥、近江の国滋賀の韓崎に幸す、便ち崇福寺に過ぎる、大僧都永忠・護命法師等、衆僧を率いて、門外に奉迎す、皇帝輿を降り、堂に升りて仏を礼す、更に梵釈寺に過ぎり、輿を停めて詩を賦す、皇太弟及び群臣、和し奉る者衆し、大僧都永忠手自ら茶を煎じて御に奉る、御被を施す、即ち御船湖に泛ぶ、国司風俗歌舞を奏す、五位以上并びに掾以下に、衣被を賜う、史生以下郡司以上に、綿を賜うこと差有り、また同じ年六月壬寅、畿内并びに近江・丹波・播磨等の国をして、茶を殖えて毎年これを献ぜしむ、とある、これ茶の事の、見えたるはじめなり。
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『玉勝間』七の巻 祈年祭の猪の事同記に、仁平元年二月四日、右少弁資長申す、祈年祭の猪、近江国未進てえり、云々、九日、庚戌、近江の目代俊弘申して云う、郡司申して云う、祭の前十余日、狩れども、猪之を得ず、連日狩猟すれども、今に得ること無し、先例かくのごときの時、代物を用う、先ず即ち北山抄の四を見るに、承平四年六月の月次祭に、馬の代に調布を進る、(八端)彼の例に任せて、調布八端を以て、猪の代と為すべきの由仰せ了んぬ、同じ趣を以て史に仰すと見ゆ。祈年祭の猪とは、御年神に、白猪を進らるる事なり。古書どもに見えたり。
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『玉勝間』二の巻 御蔭山また桂葵をとる山の事同記に、寛仁二年十一月廿五日、賀茂上下に郷郷を寄せ奉らるる事、定め申すべきなり、栗栖野・小野の二郷、上下の社司各申す、但し昨日下社の司久〓解文を進る、旧記を尋ぬべし、皇大神の初めて天降り給うは小野郷大原の御蔭山なり云云、また栗栖野は、下社の山たるべし、桂葵を採る山有る由、先年官符を給う、仍りて件の小野并びに栗栖野郷は、下社の領たるべし者(てえり)。
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『玉勝間』八の巻 祭に臨みて神主を定むる事左経記に、寛仁元年十一月三日丁酉、天晴る、祭事を行わんが為に、梅宮に参る云云、但し氏人等遅参す云云、仍て大膳少進従五位下上野朝臣広遠を以て、神主と為す云云(先例は氏人を以て神主と為す、而るに遅参す、仍て定め有りて、広遠を以て神主と為す)と有るを見れば、古は、祭に臨みて、神主と云うものを、定められたる事も有しなり。
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