呻吟語 / 内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず
敬事鬼神,聖人維持世教之大端也。其義深,其功大。但自不可鑿求,不可道破耳。
書き下し
鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
現代語訳
鬼神を敬い祭ることは、聖人が世の教えを保つための大きな柱です。その意味は深く、その働きは大きい。ただ自分で無理に穿って理屈を求めてはならず、種明かしをしてもいけません。
解説
祭祀を、真偽の問題ではなく世の秩序を保つ仕組みとして見る立場です。だからこそ、掘り返して理屈を問うなと言います。種明かしをしてはならないという一言に、知識人が抱える難しさが表れています。分かった上で黙るのです。前の段の、言わない者は口がきけないのではないという言葉と、ここで正面からつながってきます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
祭祀鬼神秩序沈黙世教
関連する章句
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『新論』長計神道既に明らかにして、列聖継紹し、祀典を四方に班ち、咸無文を秩す。(延喜式に載する所の神名、宮中及び京師・畿内・七道、総て三千一百余座、大は四百九十二座、其の三百四座は並びに祈年・月次・新嘗等の祭の案上の官幣に預かり、就中七十一座は相嘗祭に預かり、其の一百八十八座は並びに祈年の国幣に預かる。小は二千六百四十座、其の四百三十三座は並びに祈年の案下の官幣に預かり、二千二百七座は並びに祈年の国幣に預かる。其の秩祀概ね是くの如し。天下の群祀、該ねざる莫きなり。)征討すれば則ち功宗を記して、以て其の地を鎮む。
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礼記・仲尼燕居子貢退き、言游進みて曰く、「敢えて問う、礼なる者は、悪を領(おさ)めて好を全うする者か」と。子曰く、「然り」と。「然らば則ち何如」と。子曰く、「郊社の義は、鬼神を仁する所以なり。嘗禘(しょうてい)の礼は、昭穆(しょうぼく)を仁する所以なり。饋奠(きてん)の礼は、死喪を仁する所以なり。射郷の礼は、郷党を仁する所以なり。食饗の礼は、賓客を仁する所以なり」と。子曰く、「郊社の義、嘗禘の礼に明らかなれば、国を治むること其れ諸(これ)を掌に指すが如きのみか。是の故に、これを以て居処に礼有り、故に長幼辨ず。これを以て閨門の内に礼有り、故に三族和す。これを以て朝廷に礼有り、故に官爵序あり。これを以て田猟に礼有り、故に戎事閑(なら)う。これを以て軍旅に礼有り、故に武功成る。是の故に、宮室其の度を得、量鼎其の象を得、味其の時を得、楽其の節を得、車其の式を得、鬼神其の饗を得、喪紀其の哀を得、辨説其の党を得、官其の体を得、政事其の施を得。身に加えて前に錯(お)けば、凡そ衆の動き其の宜しきを得」と。
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国語・楚語下「少皞(しょうこう)の衰うるに及ぶや、九黎徳を乱し、民神雑糅(ざつじゅう)して、方物すべからず。夫人ごとに享を作し、家ごとに巫史と為り、要質有る無し。民祀に匱しくして、其の福を知らず。烝享(じょうきょう)度無く、民神位を同じくす。民斉盟を瀆(けが)して、厳威有る無し。神民の則に狎(な)れて、其の為を蠲(きよ)めず。嘉生降らず、物の以て享する無し。禍災薦(しき)りに臻(いた)りて、其の気を尽くす莫し。顓頊(せんぎょく)之を受け、乃ち南正重に命じて天を司りて以て神を属せしめ、火正黎に命じて地を司りて以て民を属せしめ、旧常に復して、相侵瀆(しんとく)すること無からしむ。是を地天の通いを絶つと謂う。 「其の後、三苗九黎の徳を復す。堯復た重・黎の後の旧を忘れざる者を育てて、復た之を典(つかさど)らしむ。以て夏・商に至る。故に重・黎氏世々天地を叙して、其の分主を別つ者なり。其の周に在りては、程伯休父(ていはくきゅうほ)其の後なり。宣王の時に当たりて、其の官守を失いて、司馬氏と為る。其の祖を寵神して、以て威を民に取り、曰く、『重は寔に天を上げ、黎は寔に地を下す』と。世の乱に遭いて、之を能く禦ぐ莫きなり。然らずんば、夫れ天地成りて変ぜず、何の比(ちか)づくことか之れ有らん」と。
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国語・楚語下昭王観射父(かんせきほ)に問いて曰く、「周書に所謂(いわゆる)重・黎寔に天地をして通ぜざらしむとは、何ぞや。若し然ること無くんば、民将に能く天に登らんとするか」と。 対えて曰く、「此の謂に非ざるなり。古は民神雑(まじ)わらず。民の精爽(せいそう)にして攜貳(けいじ)せざる者、而も又能く斉粛衷正にして、其の智は能く上下義に比し、其の聖は能く光遠宣朗、其の明は能く之を光照し、其の聡は能く之を聴徹す。是くの如くなれば則ち明神之に降る。男に在りては覡(げき)と曰い、女に在りては巫と曰う。是れ神の処位次主を制して、之が牲器時服を為らしむ。而る後に先聖の後の光烈有りて、能く山川の号、高祖の主、宗廟の事、昭穆の世、斉敬の勤、礼節の宜、威儀の則、容貌の崇、忠信の質、禋絜(いんけつ)の服を知りて、明神を敬恭する者をして、以て之が祝と為す。名姓の後の、能く四時の生、犠牲の物、玉帛の類、采服の儀、彝器(いき)の量、次主の度、屏摂の位、壇場の所、上下の神、氏姓の出を知りて、心旧典に率(したが)う者をして之が宗と為す。是に於てか天地神民類物の官有り、是を五官と謂う。各々其の序を司りて、相乱れず。民是を以て能く忠信有り、神是を以て能く明徳有り。民神業を異にし、敬して瀆(けが)さず。故に神之に嘉生を降し、民物を以て享し、禍災至らず、求用匱(とぼ)しからず。
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『新論』國體上御禊は潔を致す所以なり。天皇徒跣して警蹕せざるは、敬の至りなり。日蔭鬘・帛御衣は、至敬にして文無きなり。天祖位を伝ふるの日に当り、天児屋をして帝命を出納せしめ、天太玉をして百事に供奉せしむ。児屋の後を中臣氏と為し、太玉の後を斎部氏と為す。故に祭の日、中臣は天神の寿詞を奏し、斎部は神璽の鏡剣を奉る。累世奕葉、必ず当初の儀に仍る。猶ほ新たに命を天祖に受くるがごときなり。(天祖、児屋・太玉等五部の神をして皇孫に侍せしめ、神籬を建て、以て皇孫を護衛すること、猶ほ天上の儀のごとし。神武帝天下を平らぐるや、亦神籬を建て、児屋の孫種子・太玉の孫天富をして、鏡剣を奉じ幣帛を陳ねしむ。而して歴世遵奉する所、是の儀に非ざるは莫し。崇神帝の天祖を笠縫に祭るに及び、石凝姥嘗て天祖に事へて鏡を鋳、目一箇作金者と為りしを以て、故に斎部に命じ、二氏の後を率ゐて、鏡剣を摸造し、以て殿内に奉安せしむ。即ち践祚の日に斎部の奉る所の物是れなり。其の永く旧物を存し、敢へて失墜せざること是くの如し。)
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『新論』國體上故に論語の篇末、堯舜禹の授受を叙ぶれば、則ち天の暦数を言ひ、湯の桀を伐つには則ち曰く、「簡ぶこと帝の心に在り」と。周の重んずる所の民食喪祭も、亦皆天を奉じ祀を慎むなり。故に礼記に曰く、「凡そ天下九州の民に在る者は、咸其の力を献じて以て皇天上帝・社稷・寝廟・山林・名川の祀に共せざるは無し」と。古者民をして鬼神を敬し祭祀を奉ぜしむる所以の者、亦見るべし。蓋し神州の漢土と、風気素より同じくして、人情も亦甚だ相類す。故に教を設くるの意、甚だ相似たること、亦此くの如きなり。)