論語 / 八佾篇
子曰:『禘自既灌而往者、吾不欲觀之矣。』
新字:子曰:『禘自既灌而往者、吾不欲観之矣。』
書き下し
子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
現代語訳
孔子は言った。「禘の祭りは、すでに灌の儀式から続いて行われるものだが、私はもう見たくない。」
解説
禘(てい)は天子だけが行える最も重んじられた祭りです。孔子は、その中心となる「灌(かん、酒を地に注いで神を招く儀式)」より後の作法があまりに緩み、形だけになっている様子を見て、これ以上見ていられないと嘆きました。形は整っていても、そこに込めるべき真心が抜け落ちてしまえば、もはや祭りとは呼べないという厳しい指摘です。これは今の暮らしにもそのまま当てはまります。月に一度の会議や、毎年恒例の町内会の行事、家族で続けてきた年中行事も、続けるうちにただこなすだけの作業になりがちです。何のためにこれをしているのかを時々立ち止まって考え直し、形だけになった習わしには思い切って手を入れる。そうした見直しの姿勢を、孔子はこの短い言葉で私たちに教えてくれています。
この章句が説くこと
祭祀形式空洞化
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