玉勝間 / 六の巻 夢のうき橋
夢の浮橋と云ふは、古き歌に、「世の中は夢のわたりのうきはしか、うち渡しつつ物をこそ思へ、と有るより出たることにて、夢の渡りの浮橋と云ふは、萬葉三の卷に、「吾行は久にはあらじ夢乃和太瀨とはならずて淵にてあれも、又七の卷に、芳野作とて、「夢乃和太ことにし有けりうつつにも見て來し物を思ひし思へば、など見えて、吉野川に有る、夢の和太と云ふ名所にて、そこに渡せる浮橋なり。懷風藻に、吉田連宜が、從駕吉野宮詩に、夢淵と作れるも、此所なり。さてかの世の中はの歌は、いづれの集に出たるかは知らねども、河海抄に引れたり。歌の意は、うき橋を渡らむとすれども、いとあやふき橋なれば、恐ろしさに、渡りわづらひて、唯だ見渡しつつ、もの思ふを、世ノ中のうきに、なかめして物思ふ譬へに云へるか。うち渡しと云ふは、向ひを見渡す事なるを、うきにながめするに兼ねたり。又は、二三の句は、唯だ打渡しと云ふたとへのみにても有べし。そは何れにも有れ、夢のわだと云ふ、吉野の名所なるを、源氏の物がたりに、卷の名とせるは、夢の事にとれるなり。同じ物語薄雲ノ卷の詞に、夢のわたりのうきはしかとのみ、うちなげかれてと云へるも、唯だ夢かと云ふ事なり。
新字:夢の浮橋と云ふは、古き歌に、「世の中は夢のわたりのうきはしか、うち渡しつつ物をこそ思へ、と有るより出たることにて、夢の渡りの浮橋と云ふは、万葉三の巻に、「吾行は久にはあらじ夢乃和太瀨とはならずて淵にてあれも、又七の巻に、芳野作とて、「夢乃和太ことにし有けりうつつにも見て来し物を思ひし思へば、など見えて、吉野川に有る、夢の和太と云ふ名所にて、そこに渡せる浮橋なり。懐風藻に、吉田連宜が、従駕吉野宮詩に、夢淵と作れるも、此所なり。さてかの世の中はの歌は、いづれの集に出たるかは知らねども、河海抄に引れたり。歌の意は、うき橋を渡らむとすれども、いとあやふき橋なれば、恐ろしさに、渡りわづらひて、唯だ見渡しつつ、もの思ふを、世ノ中のうきに、なかめして物思ふ譬へに云へるか。うち渡しと云ふは、向ひを見渡す事なるを、うきにながめするに兼ねたり。又は、二三の句は、唯だ打渡しと云ふたとへのみにても有べし。そは何れにも有れ、夢のわだと云ふ、吉野の名所なるを、源氏の物がたりに、巻の名とせるは、夢の事にとれるなり。同じ物語薄雲ノ巻の詞に、夢のわたりのうきはしかとのみ、うちなげかれてと云へるも、唯だ夢かと云ふ事なり。
書き下し
夢の浮橋と云うは、古き歌に、「世の中は夢のわたりのうきはしか、うち渡しつつ物をこそ思え、と有るより出でたることにて、夢の渡りの浮橋と云うは、万葉三の巻に、「吾が行きは久にはあらじ夢乃和太瀬とはならずて淵にてあれも、また七の巻に、芳野にて作るとて、「夢乃和太ことにし有りけりうつつにも見て来し物を思いし思えば、など見えて、吉野川に有る、夢のわだと云う名所にて、そこに渡せる浮橋なり。懐風藻に、吉田連宜が、従駕吉野宮の詩に、夢淵と作れるも、この所なり。さてかの世の中はの歌は、いずれの集に出でたるかは知らねども、河海抄に引かれたり。歌の意は、うき橋を渡らむとすれども、いとあやうき橋なれば、恐ろしさに、渡りわずらいて、ただ見渡しつつ、もの思うを、世の中のうきに、ながめして物思う譬えに云えるか。うち渡しと云うは、向かいを見渡す事なるを、うきにながめするに兼ねたり。または、二三の句は、ただ打渡しと云うたとえのみにても有るべし。そは何れにも有れ、夢のわだと云う、吉野の名所なるを、源氏の物がたりに、巻の名とせるは、夢の事にとれるなり。同じ物語薄雲の巻の詞に、夢のわたりのうきはしかとのみ、うちなげかれてと云えるも、ただ夢かと云う事なり。
現代語訳
「夢の浮橋」というのは、古い歌に「世の中は夢のわたりのうきはしか、うち渡しつつ物をこそ思へ(世の中は夢のわだに渡した浮橋なのか、渡りかねて見渡しながら物思いをすることだ)」とあるところから出たことで、「夢の渡りの浮橋」というのは、万葉集巻三に「吾が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬とはならずて淵にてあれも(私の旅はそう長くはあるまい、夢のわだよ、浅瀬とならずに淵のままであってくれ)」、また巻七に「芳野にて作る」として「夢のわだ言にしありけりうつつにも見て来しものを思ひし思へば(夢のわだとは名ばかりであった。思い続けてきたので、現実にも見て来たのだから)」などと見えて、吉野川にある夢のわだという名所で、そこに渡した浮橋である。懐風藻に吉田連宜が「吉野宮に従駕す」の詩で「夢淵」と作っているのも、この所である。さてあの「世の中は」の歌は、どの集に出ているかは知らないが、河海抄に引かれている。歌の意味は、浮橋を渡ろうとするけれども、たいそう危うい橋なので、恐ろしさに渡りかねて、ただ見渡しながら物思いをするのを、世の中のつらさにぼんやりと物思いをするたとえに言ったのか。「うち渡し」というのは向こうを見渡すことであるが、「憂き」に物思いにふけることを兼ねてある。あるいは、第二・三句はただ「うち渡し」を言うためのたとえだけであるかもしれない。それはどちらであっても、「夢のわだ」という吉野の名所であるのを、源氏物語で巻の名としたのは、夢のことに取ったのである。同じ物語の薄雲の巻の文に「夢のわたりのうきはしか、とばかり嘆かれて」とあるのも、ただ「夢か」ということである。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』六の巻 夢のうき橋然れば紫式部は、名所なる事を知らずして、かの歌なるをも、夢の事と思い誤れるにやあらん。このもの語に、夢の事として、巻の名につけたるより後は、ひたすら夢の事となれり。狭衣の歌にも、「はかなしや夢のわたりの浮はしをたのむ心の絶えもはてぬよ。
-
『玉勝間』三の巻 夢を壁と詠める歌後撰集恋一に、源のおおきが通い侍りけるを、後後はまからずなり侍りければ、となりの壁の穴より、おおきをはつかに見て、つかわしける、駿河、「まどろまぬ壁にも人を見つるかなまさしからなむ春の夜の夢。金葉集雑上に、男の無かりける夜、こと人を、つぼねに入れたりけるに、もとの男もうで来あいたりければ、騒ぎて、かたわらのつぼねの、壁のくずれよりくぐりて、逃しやりて、又の日、その逃したるつぼねのぬしのがり、よべの壁こそ、嬉しかりしかなど、云いにつかわしたりければ、詠める。詠み人しらず、「ねぬる夜のかべさわがしく見えしかどわがちがうれば事無かりけり。此歌は、にがしたる局の主の詠めるなり。ちがうればとは、悪しき夢を見たるを、たがえて善きに成すわざを云う詞なり。源頼政の卿の家集に、岡崎の三位入道の許に、かべに滝のかた書きて、その滝の下より、まことの水を、おとしつぎたり、遠くて見れば、唯だ同じ水の落ちたるように見えしを、見てまかり帰りて、つかわしける。「うつつにもかべにも同じ滝を見てねても覚めても忘られぬかな。返し、「夢の世にかべより落つる滝の糸を君が心にかけけりやさは。
-
『玉勝間』十三の巻 歌を草書に書きし事源氏の物語椎本の巻に、宇治の八の宮の御歌、「山風に霞ふきとく声はあれどへだてて見ゆるおちの白浪、草にいとおかしう書き給えりとあり。草に書くとは、いわゆる万葉書きにて、草書に書くを云えり。かの頃も猶さること有りけらし。
-
『玉勝間』十の巻 源氏物語をよむ事のたとへ源氏物語とて、世にもて興ずる、五十四帖の草子とやらむ、心みに、なに事ぞと、くりひろげて見しかば、乱れたる糸すじの、口無きようにて、更に読み解かれ侍らぬは、いかにと問う。然かし、ただ慣れよ、のちのち見もて行かば、さながらまどいは果てじ。譬えて云わば、六月ばかり、いと暑き日かげを凌ぎ来たらむ人の、内に入りては、やみのうつつのさだかならで、物の色ふし、あやめも分かれねど、おること久しくなれば、じねんに、かのうつわ物、この調度と、こまかに見分かるるが如し、と同集の文に有り。この集は長嘯子の歌また文を集めたるふみなり。
-
『玉勝間』四の巻 御と云ふ詞のつかひざまの一つ源氏物語に、仏の御かりょうびんがの声、御ひとつ腹、御まえわたり、宮の御侍従の乳母、仏の御同じ帳台、宮の御二条の北の方、など有るこれらの御ちょう詞、今の世の心にて思えば、仏のかりょうびんがの御こえ、ひとつ御はら、宮の侍従の御乳母、仏の同じ御帳台、宮の二条の御北の方、と云うべきに、置きどころかわりて聞こゆ、心得おくべし。御まえわたりも、御は、わたりへかかりて、前へはかからず。
-
『玉勝間』四の巻 うき世うきよは、憂き世と云う事にて、憂き事の有るにつきて云う詞なり。古き歌どもに詠めるを見て知るべし。然るをからぶみに、浮世と云う事もあるにまがいて、つねに浮世と書きならいて、ただ何と無く世の中の事に云うは誤りなり。古歌を見るにも、憂きと云うに心をつけて見るべし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る