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中朝事実 / 神治章・国郡に長を置き封建と郡県を論ず

成務帝四年春二月丙寅朔。詔之曰。我先皇大足彥天皇。聰明神武。膺籙受圖。治天順人。撥賊反正。德伴覆燾。道協造化。是以普天率土莫不王臣。禀氣懷靈。何非得處。今朕嗣踐寳祚。夙夜競惕。然黎元蠢爾。不悛野心。是國郡無君長。縣邑無首渠者焉。自今以後。國郡立長。縣邑置首。卽取當國之幹了者。任其國郡之首長。是爲中區之藩屏也。 五年秋九月。令諸國。以國郡立造長。縣邑置稻置。並賜楯矛以爲表。則隔山河而分國縣。隨阡陌以定邑里。因以東西爲日縱。南北爲日橫。山陽曰影面。山陰曰背面。是以百姓安居。天下無事焉。 先人曰。國造乃國司名。後改云守也。聖武天皇天平寳字二年。勅諸國司。以四箇年爲任限。寳龜十一年。勅太宰府。任限爲五箇年。 謹按。是郡縣於天下之始也。至帝始定封境。制國郡。立造長。置稻置。是乃郡縣之制也。自是歷代因循。國有守·介·掾·目·及郡司·大領·少領·主帳等。邊要之地有帥·大少貳·監·典·將軍·軍監·軍曹·按察等。以任限考課。勘公文黜陟。終王室無封建之義。夫封建者。封侯王於天下。以爲王家之藩屏。行巡狩述職之禮。爲朝覲會同之儀也。郡縣者不封侯公於邦國。立國郡之司。以任限交替。以租稅收公廨。分賜諸子功臣也。竊按。欲平天下者。先治其國欲治其國者。先齊其家。家聚爲邑縣。邑縣聚爲郡。郡聚爲國。天下者郡之大集也。故封建郡縣者。天下之治法也。聖人治天下也。量其勢立其制。隨其義詳其禮。封建亦得之。郡縣亦得之。暗主於天下也反之。故封建亦失之。郡縣亦失之。然其法未嘗無可不可。愚謂。封建者。如公天下而私天下。如世王侯而害王侯。如利百姓而毒百姓。如護王室而敵王室。上雖有政令之正。下必存跋扈之志。是悉不可得其人。一封之則天子速不得變之。執政直不得規之矣。如郡縣異是。有任限。有交替。有黜陟。有輔佐。有監察。易移其任。易規其過。上雖無政敎之化。下無尾大不掉之失。故撰人以任。是公天下也。王公坐食其祿。自無據險之暴。是世王公也。恐罪不逞欲。志遷勵吏務。是利百姓也。土地辟人民庶。是護王室也。二者可不可如此。而行之在天下之勢。中國草昧之時。民各聚結凌轢。或恐其勇悍。或服其姦計。或懷其惠施。以屬之立其黨。自定封境。相屯既久。天孫降臨。亦不易民而治。故封建八十萬神。是不得已之勢也。其後子孫漸微。而帝得行郡縣之制。是乃天下之勢也。凡封建一行。則難爲郡縣。當時郡縣大行。王統連綿。公室不絕。可幷按。蓋考外朝之制。自上古至三王。皆以封建。郡縣者暴秦之所定。李斯之所奏也。魏曹元首。晉陸士衡。是於封建。唐李百藥·柳宗元是於郡縣。二說之可否。諸儒不一決。然以封建爲公天下。以郡縣爲私天下。且以暴主定之二世而滅爲凶例。今按。如郡縣非秦之暴强。不可得挫一時之侯王。所其制雖非古法。尤得治道之要。李斯所奏。始皇所行。其實私天下也。故其制不明。其法不正。遂爲亂賊之基。是宗元所謂失在於政不在於制也。〔以上。論郡縣之制。〕

新字:成務帝四年春二月丙寅朔。詔之曰。我先皇大足彦天皇。聰明神武。膺籙受図。治天順人。撥賊反正。徳伴覆燾。道協造化。是以普天率土莫不王臣。禀気懐霊。何非得処。今朕嗣践宝祚。夙夜競惕。然黎元蠢爾。不悛野心。是国郡無君長。県邑無首渠者焉。自今以後。国郡立長。県邑置首。即取当国之幹了者。任其国郡之首長。是為中区之藩屏也。 五年秋九月。令諸国。以国郡立造長。県邑置稲置。並賜楯矛以為表。則隔山河而分国県。随阡陌以定邑里。因以東西為日縦。南北為日横。山陽曰影面。山陰曰背面。是以百姓安居。天下無事焉。 先人曰。国造乃国司名。後改云守也。聖武天皇天平宝字二年。勅諸国司。以四箇年為任限。宝亀十一年。勅太宰府。任限為五箇年。 謹按。是郡県於天下之始也。至帝始定封境。制国郡。立造長。置稲置。是乃郡県之制也。自是歴代因循。国有守·介·掾·目·及郡司·大領·少領·主帳等。辺要之地有帥·大少貳·監·典·将軍·軍監·軍曹·按察等。以任限考課。勘公文黜陟。終王室無封建之義。夫封建者。封侯王於天下。以為王家之藩屏。行巡狩述職之礼。為朝覲会同之儀也。郡県者不封侯公於邦国。立国郡之司。以任限交替。以租税収公廨。分賜諸子功臣也。窃按。欲平天下者。先治其国欲治其国者。先斉其家。家聚為邑県。邑県聚為郡。郡聚為国。天下者郡之大集也。故封建郡県者。天下之治法也。聖人治天下也。量其勢立其制。随其義詳其礼。封建亦得之。郡県亦得之。暗主於天下也反之。故封建亦失之。郡県亦失之。然其法未嘗無可不可。愚謂。封建者。如公天下而私天下。如世王侯而害王侯。如利百姓而毒百姓。如護王室而敵王室。上雖有政令之正。下必存跋扈之志。是悉不可得其人。一封之則天子速不得変之。執政直不得規之矣。如郡県異是。有任限。有交替。有黜陟。有輔佐。有監察。易移其任。易規其過。上雖無政教之化。下無尾大不掉之失。故撰人以任。是公天下也。王公坐食其禄。自無拠険之暴。是世王公也。恐罪不逞欲。志遷励吏務。是利百姓也。土地辟人民庶。是護王室也。二者可不可如此。而行之在天下之勢。中国草昧之時。民各聚結凌轢。或恐其勇悍。或服其姦計。或懐其恵施。以属之立其党。自定封境。相屯既久。天孫降臨。亦不易民而治。故封建八十万神。是不得已之勢也。其後子孫漸微。而帝得行郡県之制。是乃天下之勢也。凡封建一行。則難為郡県。当時郡県大行。王統連綿。公室不絶。可幷按。蓋考外朝之制。自上古至三王。皆以封建。郡県者暴秦之所定。李斯之所奏也。魏曹元首。晋陸士衡。是於封建。唐李百薬·柳宗元是於郡県。二説之可否。諸儒不一決。然以封建為公天下。以郡県為私天下。且以暴主定之二世而滅為凶例。今按。如郡県非秦之暴強。不可得挫一時之侯王。所其制雖非古法。尤得治道之要。李斯所奏。始皇所行。其実私天下也。故其制不明。其法不正。遂為乱賊之基。是宗元所謂失在於政不在於制也。〔以上。論郡県之制。〕

書き下し

成務帝四年春二月丙寅朔、詔して曰く、我が先皇大足彦天皇、聡明神武にして、籙を膺け図を受け、天を治め人に順ひ、賊を撥ひ正に反し、徳は覆燾に伴ひ、道は造化に協ふ。是を以て普天率土、王臣ならざる莫く、気を禀け霊を懐くもの、何ぞ処を得ざらん。今、朕嗣ぎて宝祚を践み、夙夜競惕す。然るに黎元蠢爾として野心を悛めず。是れ国郡に君長無く、県邑に首渠無きが故なり。今より以後、国郡に長を立て、県邑に首を置け。即ち当国の幹了なる者を取り、其の国郡の首長に任ぜよ。是れ中区の藩屏と為さん、と。 五年秋九月、諸国に令して、国郡に造長を立て、県邑に稲置を置かしむ。並びに楯矛を賜ひて以て表と為す。則ち山河を隔てて国県を分ち、阡陌に随ひて邑里を定む。因りて東西を以て日縦と為し、南北を日横と為し、山陽を影面と曰ひ、山陰を背面と曰ふ。是を以て百姓安居し、天下無事なり。 先人曰く、国造は乃ち国司の名なり。後に改めて守と云ふ。聖武天皇天平宝字二年、諸国司に勅して、四箇年を以て任限と為す。宝亀十一年、太宰府に勅して、任限を五箇年と為す、と。 謹んで按ずるに、是れ天下に郡県するの始めなり。帝に至りて始めて封境を定め、国郡を制し、造長を立て、稲置を置く。是れ乃ち郡県の制なり。是より歴代因循し、国には守・介・掾・目、及び郡司・大領・少領・主帳等有り。辺要の地には帥・大少弐・監・典・将軍・軍監・軍曹・按察等有り。任限考課を以て、公文を勘し黜陟す。終に王室に封建の義無し。夫れ封建とは、侯王を天下に封じ、以て王家の藩屏と為し、巡狩述職の礼を行ひ、朝覲会同の儀を為すなり。郡県とは、侯公を邦国に封ぜず、国郡の司を立て、任限を以て交替し、租税を以て公廨を収め、諸子功臣に分賜するなり。竊かに按ずるに、天下を平らげんと欲する者は、先づ其の国を治む。其の国を治めんと欲する者は、先づ其の家を斉ふ。家聚まりて邑県と為り、邑県聚まりて郡と為り、郡聚まりて国と為る。天下は郡の大集なり。故に封建郡県は、天下の治法なり。聖人の天下を治むるや、其の勢を量りて其の制を立て、其の義に随ひて其の礼を詳らかにす。封建も亦之を得、郡県も亦之を得。暗主の天下に於けるや、之に反す。故に封建も亦之を失ひ、郡県も亦之を失ふ。然れども其の法、未だ嘗て可不可無きにあらず。愚謂ふ、封建は、公天下の如くにして天下を私し、王侯を世にするが如くにして王侯を害し、百姓を利するが如くにして百姓を毒し、王室を護るが如くにして王室に敵す。上に政令の正しきあると雖も、下に必ず跋扈の志を存す。是れ悉く其の人を得べからず。一たび之を封ずれば、則ち天子速やかに之を変ずるを得ず、執政直ちに之を規すを得ず。郡県は是に異なり。任限有り、交替有り、黜陟有り、輔佐有り、監察有り。其の任を移し易く、其の過ちを規し易し。上に政教の化無しと雖も、下に尾大不掉の失無し。故に人を撰びて以て任ずるは、是れ公天下なり。王公坐して其の禄を食み、自ら据険の暴無きは、是れ王公を世にするなり。罪を恐れ逞欲せず、志を遷して吏務に励むは、是れ百姓を利するなり。土地辟き人民庶きは、是れ王室を護るなり。二者の可不可、此の如し。而して之を行ふは天下の勢に在り。中国草昧の時、民各々聚結して凌轢す。或いは其の勇悍を恐れ、或いは其の姦計に服し、或いは其の恵施を懐き、以て属して其の党を立つ。自ら封境を定め、相屯すること既に久し。天孫降臨するも、亦民を易へずして治む。故に八十万神を封建す。是れ已むを得ざるの勢なり。其の後、子孫漸く微にして、帝郡県の制を行ふを得たり。是れ乃ち天下の勢なり。凡そ封建一たび行はるれば、則ち郡県を為し難し。当時郡県大いに行はれて、王統連綿、公室絶えざること、並び按ずべし。蓋し外朝の制を考ふるに、上古より三王に至るまで、皆封建を以てす。郡県とは暴秦の定むる所、李斯の奏する所なり。魏の曹元首、晋の陸士衡は是れ封建を是とし、唐の李百薬・柳宗元は是れ郡県を是とす。二説の可否、諸儒一決せず。然れども封建を以て公天下と為し、郡県を以て私天下と為し、且つ暴主定めて二世にして滅ぶを以て凶例と為す。今按ずるに、郡県の如きは秦の暴強に非ざれば、一時の侯王を挫くを得べからず。其の制は古法に非ずと雖も、尤も治道の要を得たり。李斯の奏する所、始皇の行ふ所は、其の実は天下を私するなり。故に其の制明らかならず、其の法正しからず。遂に乱賊の基と為る。是れ宗元の所謂、失は政に在りて制に在らず、なり。〔以上、郡県の制を論ず。〕

現代語訳

成務天皇の四年春二月一日、詔して言った。「わが先の皇(景行天皇)は、聡明で神のように武勇にあふれ、天命を受けて、天を治め人に順い、賊を払い正しさに返し、徳は天地が万物を覆い育てるのに等しく、道は造化に合っていた。そのため天のもとあまねく、地のはてまで、王の臣でないものはなく、気を受け霊を懐くもので、所を得ないものがあろうか。いま私は皇位を継いで、朝夕に恐れ慎んでいる。しかし民は愚かに騒いで野心を改めない。これは国や郡に君長がなく、県や邑に首(おびと)がいないためである。今から後、国や郡に長を立て、県や邑に首を置け。その国で有能な者を選び、その国や郡の首長に任命せよ。これを国の藩屏としよう」。 五年秋九月、諸国に命じて、国や郡に造長を立て、県や邑に稲置を置かせた。いずれも楯と矛を賜って印とした。山や川を隔てて国や県を分け、田の畦道に従って邑や里を定めた。そして東西を日縦とし、南北を日横とし、山の南を影面といい、山の北を背面といった。こうして百姓は安らかに住み、天下は無事であった。 先人(北畠親房)は言う。国造は国司の名である。後に改めて守という。聖武天皇の天平宝字二年、諸国司に勅して、任期を四年とした。宝亀十一年、太宰府に勅して、任期を五年とした、と。 素行はこう考える。これが天下に郡県を行った始まりである。成務天皇に至って初めて境界を定め、国郡を制し、造長を立て、稲置を置いた。これが郡県の制である。それ以来、歴代がこれを踏襲し、国には守・介・掾・目、そして郡司の大領・少領・主帳などがいる。辺境の要地には帥・大少弐・監・典・将軍・軍監・軍曹・按察などがいる。任期と考課によって、公文を調べて官吏を降格・昇進させる。ついに王室には封建の義はなかった。封建とは、侯王を天下に封じて王家の藩屏とし、巡狩や述職の礼を行い、朝覲や会同の儀を行うことである。郡県とは、侯や公を国に封じず、国や郡の司を立て、任期で交替させ、租税で役所の費用を賄い、諸子や功臣に分け与えることである。私がひそかに考えるに、天下を平らげようとする者は、まずその国を治める。その国を治めようとする者は、まずその家を整える。家が集まって邑や県となり、邑や県が集まって郡となり、郡が集まって国となる。天下は郡の大きな集まりである。だから封建と郡県は、天下を治める法である。聖人が天下を治める時は、その勢いを量って制度を立て、その義に従って礼を詳しくする。封建もうまくゆき、郡県もうまくゆく。暗い君主が天下を治める場合はこれと反対である。封建も失敗し、郡県も失敗する。しかしその法には、可と不可がないわけではない。私が思うに、封建は、天下を公のものにするようで天下を私物にし、王侯を世襲させるようで王侯を害し、百姓を利するようで百姓を苦しめ、王室を護るようで王室に敵対する。上に正しい政令があっても、下には必ず跋扈の志が生じる。すべてその人を得ることはできない。一度封じれば、天子はすぐには変えられず、執政もただちに正せない。郡県はこれと異なる。任期があり、交替があり、降格昇進があり、補佐があり、監察がある。その任を移しやすく、その過ちを正しやすい。上に政教の感化がなくても、下に尾が大きすぎて振れなくなる(末端が強大になり制御できなくなる)失敗がない。だから人を選んで任じるのは、天下を公にすることである。王や公は座して禄を食み、自ら険しい所に拠る暴を行わないのは、王や公を世襲させることである。罪を恐れて欲を逞しくせず、志を転じて役人の務めに励むのは、百姓を利することである。土地が開け人民が増えるのは、王室を護ることである。二つの可と不可はこのようである。そして、どちらを行うかは天下の勢いによる。中国(日本)が草創の混沌の時、民はそれぞれ集まって結び、互いに凌ぎ合った。その勇猛さを恐れ、その悪賢さに服し、その恵みを慕い、従って徒党を立てた。自ら境界を定め、互いに駐屯して久しかった。天孫が降臨しても、民を替えずに治めた。だから八十万の神を封建した。これはやむを得ない勢いであった。その後、子孫がしだいに衰え、帝は郡県の制を行えた。これが天下の勢いである。そもそも封建が一度行われると、郡県にするのは難しい。当時郡県が大いに行われて、王統が連綿と続き、公室が絶えなかったことは、併せて考えるべきである。外朝の制度を考えるに、上古から三王の時代まで、みな封建であった。郡県は暴虐な秦が定めたもので、李斯が上奏したものである。魏の曹元首、晋の陸士衡は封建を是とし、唐の李百薬・柳宗元は郡県を是とした。二説の可否は、諸儒の間でも定まらない。しかし封建を公天下とし、郡県を私天下とし、かつ暴君が定めて二世で滅んだことを凶例とする。今考えるに、郡県は秦の暴虐な強さでなければ、当時の侯王を一時に挫くことはできなかった。その制度は古法ではないが、治道の要をもっとも得ている。李斯の奏上、始皇の行いは、実際は天下を私物にするものだった。だからその制度は不明確で、その法は正しくなかった。ついに乱賊の基となった。これは柳宗元のいう「失は政にあって制にない」ということである。(以上、郡県の制を論ずる。)

解説

成務天皇が国郡に長を置いたという記述に、素行は封建と郡県の長短を論じます。素行の考えでは、封建は世襲で地方が強大になり制御しにくく、郡県は任期や監察があって人を替えやすいが、どちらも暗い君主では失敗し、制度よりも政を行う人と時勢が決め手です。江戸は幕藩体制で、封建の弊害を問う議論は実際の政治に近いものでした。現代の組織でも、権限を現場に委ねるか本部に集めるかは、任期・監査・後任の育て方といった運用で成否が分かれます。
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この章句が説くこと

成務天皇国造稲置封建郡県任期

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