玉勝間 / 二の巻 国を州と云ふ事
まづかの國の今までの例とは、封建と云ひし代には、齊國魯國など云ひつれども、いはゆる郡縣になりてよりは、某國と云ふ事は、今までの代代には、例無ければなり。されどそれになづめるは、中中にかの國のこころにもあらずと云ふゆゑは、すべてかの國にて、かやうの物の定めは、さきざきの例にはかかはらず、其時時の王の心にて、いかにもいかにも定むる事にて、その定めわろしとても、用ひざるやうは無し。されば地の分ちざまなども、後の代代には、くさぐさ有て、先の代に例無き事もあれど、そはとまれかくまれ、その定めにこそは從ふなれ。されば其のこころをもて云はば、皇朝にても天ノ下を、かの郡縣の制にならひて定められたりし御代にも、其名をば改めず、なほ古、より有。來しままに、某國と定め給ひたりしも、天皇の大御心にしあれば、なでふ事かはあらん。猶云はば、から國のこころはいかにまれ、それにかかはるべき事やは。皇國は皇國なる物をや。
新字:まづかの国の今までの例とは、封建と云ひし代には、斉国魯国など云ひつれども、いはゆる郡県になりてよりは、某国と云ふ事は、今までの代代には、例無ければなり。されどそれになづめるは、中中にかの国のこころにもあらずと云ふゆゑは、すべてかの国にて、かやうの物の定めは、さきざきの例にはかかはらず、其時時の王の心にて、いかにもいかにも定むる事にて、その定めわろしとても、用ひざるやうは無し。されば地の分ちざまなども、後の代代には、くさぐさ有て、先の代に例無き事もあれど、そはとまれかくまれ、その定めにこそは従ふなれ。されば其のこころをもて云はば、皇朝にても天ノ下を、かの郡県の制にならひて定められたりし御代にも、其名をば改めず、なほ古、より有。来しままに、某国と定め給ひたりしも、天皇の大御心にしあれば、なでふ事かはあらん。猶云はば、から国のこころはいかにまれ、それにかかはるべき事やは。皇国は皇国なる物をや。
書き下し
まずかの国の今までの例とは、封建と云いし代には、斉国魯国など云いつれども、いわゆる郡県になりてよりは、某国と云う事は、今までの代代には、例無ければなり。されどそれになずめるは、なかなかにかの国のこころにもあらずと云うゆえは、すべてかの国にて、かようの物の定めは、さきざきの例にはかかわらず、その時時の王の心にて、いかにもいかにも定むる事にて、その定めわろしとても、用いざるようは無し。されば地の分かちざまなども、後の代代には、くさぐさ有りて、先の代に例無き事もあれど、そはとまれかくまれ、その定めにこそは従うなれ。されば其のこころをもて云わば、皇朝にても天の下を、かの郡県の制にならいて定められたりし御代にも、その名をば改めず、なお古より有り来しままに、某国と定め給いたりしも、天皇の大御心にしあれば、なでう事かはあらん。なお云わば、から国のこころはいかにまれ、それにかかわるべき事やは。皇国は皇国なる物をや。
現代語訳
まず、あの国のこれまでの例というのは、封建といった時代には斉国・魯国などと言ったが、いわゆる郡県になってからは、何国と言うことは、これまでの代々には例がないからである。しかしそれにこだわるのが、かえってあの国の心でもないというわけは、だいたいあの国では、こうした物事の定めは先々の例にかかわらず、その時々の王の心でどのようにでも定めるもので、その定めが悪いからといって用いないということはない。だから土地の分け方なども、後の代々にはいろいろあって、先の代に例のないこともあるが、それはともかく、その定めにこそ従うのである。そうであれば、その心で言うなら、わが朝廷でも天下をあの郡県の制にならって定められた御代にも、その名は改めず、なお古からあるままに何国と定められたのも、天皇の大御心なのだから、何の差し支えがあろうか。さらに言うなら、唐国の心がどうであれ、それにかかわる必要があろうか。皇国は皇国なのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 国を州と云ふ事国国の名を、某州と云う事は、いずれの御代の御さだめにもあらざる事なり。古は、わたくしの漢文などにこそは、いとまれまれには見えたれ、ただしきおおやけの物には、みな某国とのみ有りて、州と云える事はさらに見えず。然るを近き世の人は、かかる上の御さだめをもわきまえ知らず、みだりにからめかす事をのみ好みて、某の国と云うよりは、某州と云うをうるわしき事に心得て、云いも書きもすなるは、いかにぞや。前後上下などに分かれたる国の名の、一字にてはまぎるるをば、野之上州下州、あるは越前州筑後州なども書くめり。そもそも国の字も州の字も、同じく久爾にはあれども、奈良の御代などよりは、斯かる事もみな、その文字を定められて、心にまかせては書かざる事なるをや。またある儒者の云えるは、国と云うは、封建の制にこそあれ皇朝も、郡県の制になされたる世には、州などとこそ云うべけれ、国と定められたるは、あたらぬ文字なりと云えるは、漢国の今までの例になずみて、なかなかにかの国のこころにもあらず、いみしきひがことなり。
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『玉勝間』二の巻 儒者名をみだる事皇国は、物のありさまは、古とかわりきぬる事も、名は、物のうつり行く、その時時のさまには従わずして、今の世とても万になお古のを守り給うなるは、いともいとも有りがたく、孔丘が心もていわば、名のいと正しきにこそ有りけれ。さるをかえりて正しからずとしも云うは、何につけても、あながちに皇国を云いおとさむとする心のみ進めるからに、そのひがことなる事をも、われながら覚えざるなめり。
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『玉勝間』六の巻 国造いにしえに国造と云いしは、今の世のごと、大きにこそ有らざりけめ、大かた何事も、大名のごとくなる物にて、国々に多く有りしなり。それが中に、国造、また君、また別、また直、また稲置、また県主など云う、色々の有りて、尊き卑しきけじめも有りつるを、そのけじめは、さだかに記せる物無ければ、いずれ尊く、いずれ卑しかりけむ。今ことごとくは、わきまえがたけれど、大かたは皆、国造と同じさまなる物にて、この色々を一つにすべても、国の造と云えりき。書紀などに、伴造国造などあるは、かの色々をすべて、一つに国の造と云えるなり。さてもろこしの国にも、古え封建の制とか云いし代の、諸侯と云う物、これによく似たり。その諸侯に、五等の爵とて、公侯伯子男と、五きざみのしな有りし、それはた国の造、君、別などの色々有りしに似たり。その五しなの中の一つの名をとりて、すべて諸侯と云いしも、またすべてをも国の造と云いしに似たり。もろこしの事は、かの国の学びするともがらは、この諸侯の、五しなの事など、誰もよく知れるを、皇国の古えのさまをば、かえりてよく知れる人無くて国の造の中に、かのくさぐさのしな有りしをも知らず、またかの色々は、いかなるさまの物なりしとも知らで在るは、いかにぞや。
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『玉勝間』十一の巻 皇国の学者のあやしき癖すべて何事も、おのが国の事にこそ従うべけれ、そを捨てて、他の国の事に従うべきにはあらざるを、かえりて他の国の事に従うを、かしこきわざとして、皇国のことに従うをば、つたなきわざと心得ためるは、皇国の学者の、あやしき癖なり。はかなき事ながらたとえば、もろこしの国を、もろこしともからとも云い、漢文には、漢とも唐とも書くぞ、皇国の事なるを、然か云うをば拙しとして、中華中国など云うを、かしこき事と心得たるひがことは、馭戎慨言にくわしく論いたれば、今さらに云わず。また中華中国などは、云うまじき事と、物のこころをわきまえたる人はた、なお漢もしは唐など云うをば、つたなしとや思うらむ、震旦支那など書くたぐいもあなるは、中華中国など云うにくらぶれば、よろしけれども、震旦支那などは、西の方なる国より、附けたる名なれば、そもなおおのが国の事を捨てて人の国の事に従うにぞ有りける。もし漢と云い唐とも云わむを、おかしからずと思わば、漢文にも、諸越とも、毛虜胡鴟とも書かむに、何事かあらむ。かく己が国の事をたてたらむこそは、雄々しき文ならめ。他の国のことにへつらいよりて書かむは、めめしく拙きわざにぞ有りける。
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『玉勝間』七の巻 唐の国人あだし国ある事を知らざりし事かくてそのよく知れる胡国などは、いたずらに広きのみにして、いといやしく悪ろき国なるを、つねに見しり聞き知りては、他国はいずれも皆、かかる物とのみ思えりしから、何事もただ尊きは、吾ひとりと、みだりにほこれるなり。古あだし国の事を、弘く知らざりし程こそ、さも有らめ、近き世になりて、遠き国々の事も、皆よく知られても、なお古よりの癖を、改むる事無く、今に同じさまに、ほこりおるなるを、皇国にても、学問をもする人は、今は万の国々の事をも、大かた知りたるべきに、なお昔よりの癖にて、もろこし人のみだりごとを信じて、ひたぶるに彼の国を尊みて、何事も皆、彼の国より始まれるように思い、彼の国より外に、国は無きごと心得居るは、いかなるまどいぞや。
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『玉勝間』一の巻 がくもん世の中に学問と云うは、からぶみ学びの事にて、皇国の古をまなぶをば、分けて神学・倭学・国学など云うなるは、例のから国をむねとして、御国をかたわらに成せる云いざまにて、いといとあるまじきことなれども、古はただから書学びのみこそ有りけれ、御国の学びとては、もはらとする者は無かりしかば、おのづから然か云いならうべき勢いなり。しかは有れども、近き世となりては、皇国のをもはらとするともがらも多かれば、からぶみ学びをば、分けて漢学・儒学と云いて、この皇国のをこそ、うけばりてただに学問とは云うべきなれ。仏学なども、他よりは分けて仏学と云えども、法師のともは、それをなむただに学問とは云いて、仏学とは云わざる、これ然るべきことわりなり、国学と云えば、尊ぶかたにもとりなさるべけれど、国の字も事にこそよれ、なおうけばらぬ云いざまなり。世の人の物云いざま、すべて斯かる詞に、内外のわきまえを知らず、外国を内になしたる言のみ常に多かるは、からぶみをのみ読みなれたるからの、ひがことなりかし。
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