玉勝間 / 六の巻 塩たち
同記、同年四月八日、今日平野祭也、依神事不念誦、但依例斷鹽と有り。今の世にも、八日は藥師の緣日、鹽たちと云ふ事するなり。
新字:同記、同年四月八日、今日平野祭也、依神事不念誦、但依例断塩と有り。今の世にも、八日は薬師の縁日、塩たちと云ふ事するなり。
書き下し
同じ記、同年四月八日、今日平野祭なり、神事に依りて念誦せず、但し例に依りて塩を断つ、と有り。今の世にも、八日は薬師の縁日、塩たちと云う事するなり。
現代語訳
同じ平戸記の同年四月八日に、「今日は平野祭である。神事のため念誦はしない。ただし例によって塩を断った」とある。今の世にも、八日は薬師の縁日で、塩断ちということをするのである。
解説
毎月八日に塩を断つ習わしが鎌倉時代にもあったことを、平戸記から示した短い一段である。記主は平野祭の神事の日なので念誦は控えたが、例によって塩は断った、と記す。宣長は、今も八日は薬師如来の縁日で塩断ちをする、と当時の習俗に結びつけている。神事の日には仏事を控えるという神仏の区別と、それでも続けられる仏の縁日の精進とが、一人の公家の一日の中に同居している。願掛けのために好物や塩を断つ習わしは、形を変えて今も残る。宣長は、今の世の習わしの古い姿を記録の中に見つけることに、繰り返し喜びを見いだしている。
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