玉勝間 / 五の巻 物を〓むるに塩水をそそく事
貞觀儀式平野祭條に、皇太子、於神院東門外下馬、神祇官中臣、迎供神麻、灌鹽水訖、就休息舍、先是進一人、率執幣舍人、至神院東門、曳神麻灌鹽水、共至祭場、授神祇官とあり。今の世にも、物を〓むるに、鹽水をそそくは、古き事なり。
新字:貞観儀式平野祭条に、皇太子、於神院東門外下馬、神祇官中臣、迎供神麻、灌塩水訖、就休息舎、先是進一人、率執幣舎人、至神院東門、曳神麻灌塩水、共至祭場、授神祇官とあり。今の世にも、物を〓むるに、塩水をそそくは、古き事なり。
書き下し
貞観儀式平野祭の条に、皇太子、神院の東門の外に於て馬を下り、神祇官の中臣、迎えて神麻を供し、塩水を灌ぎ訖りて、休息の舎に就く。これより先、一人を進め、幣を執る舎人を率いて、神院の東門に至り、神麻を曳き塩水を灌ぎ、共に祭場に至り、神祇官に授く、とあり。今の世にも、物を清むるに、塩水をそそぐは、古き事なり。
現代語訳
『貞観儀式』の平野祭の条に、「皇太子は神院の東門の外で馬を下り、神祇官の中臣が出迎えて神麻(大麻、祓えの具)を供え、塩水を注ぎ終えると、休息の舎に着く。これより先に一人を進ませ、幣を執る舎人を率いて神院の東門に至り、神麻を引いて塩水を注ぎ、ともに祭場に至って神祇官に授ける」とある。今の世でも、物を清めるのに塩水を注ぐのは、古くからのことなのである。
解説
清めに塩水を注ぐ習いが古代にさかのぼることを、『貞観儀式』から確かめた段である。平野祭は平野神社の祭で、皇太子も参列した。その次第の中で、神祇官の中臣が大麻を供え、塩水を注いで皇太子を清めている。宣長の時代にも、物を清めるのに塩や塩水を用いる習いは広く行われていた。宣長はそれを後世の俗習と見るのではなく、平安初期の朝廷の儀式に明記された古い作法の名残だと示したのである。今も葬儀の後の清め塩や、店先の盛り塩に似た習いが残る。何気ない習慣の中に、千年以上前の祭祀の作法が生きていることがある。宣長は古典の中に、今の暮らしとつながる糸を探し続けた。習いの由来を知ると、身の回りの所作が違って見えてくる。
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 塩たち同じ記、同年四月八日、今日平野祭なり、神事に依りて念誦せず、但し例に依りて塩を断つ、と有り。今の世にも、八日は薬師の縁日、塩たちと云う事するなり。
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『玉勝間』十の巻 百座ノ祓白川顕広王記に云う、長寛三年六月六日、今日百座の祓。そのかみ早くかくさまのわざも有りしなり。
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