玉勝間 / 六の巻 掛替
萬のわざに、掛替と云ふ物あり。これは弓の弦より起れることか、又は車の牛より出たるか。同記に、殿下北政所、令參春日社給、予依召、引獻懸替牛一頭、と有り。
新字:万のわざに、掛替と云ふ物あり。これは弓の弦より起れることか、又は車の牛より出たるか。同記に、殿下北政所、令参春日社給、予依召、引献懸替牛一頭、と有り。
書き下し
万のわざに、掛替と云う物あり。これは弓の弦より起これることか、または車の牛より出でたるか。同じ記に、殿下北政所、春日社に参らしめ給う、予召しに依りて、懸替の牛一頭を引き献ずる、と有り。
現代語訳
何事にも「掛替(かけがえ)」というものがある。これは弓の弦から起こったことか、または車の牛から出たことか。同じ平戸記に、「殿下の北政所が春日社に参詣なさった。私はお召しによって、懸替の牛を一頭引いて献上した」とある。
解説
「かけがえ」という言葉の起こりを考えた短い一段である。掛替とは、いざというときのために用意しておく替えの物のことで、「かけがえのない」という言い方は今も生きている。宣長は、弓の替え弦から出たのか、車を引く牛の替えから出たのか、と二つの候補を挙げ、平戸記に「懸替の牛」とある例を示す。断定はせず、鎌倉時代に牛車の替え牛を懸替と呼んでいた事実を押さえるにとどめている。言葉の語源は、確かな用例があるところまでしかさかのぼれない。ふだん何気なく使う「かけがえのない」の背後に、牛車を支えた替えの牛がいたかもしれないと思うと、言葉が急に具体的な姿を帯びてくる。
関連する章句
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