玉勝間 / 六の巻 人を仁と云ふ事
人を仁と云ふは、近き世の俗言のやうなれど、文粹の、大江ノ匡衡の文に、臣謬當其仁、聊記盛事、と見えたり。
新字:人を仁と云ふは、近き世の俗言のやうなれど、文粋の、大江ノ匡衡の文に、臣謬当其仁、聊記盛事、と見えたり。
書き下し
人を仁と云うは、近き世の俗言のようなれど、文粋の、大江の匡衡の文に、臣謬りてその仁に当たり、聊か盛事を記す、と見えたり。
現代語訳
人のことを「仁」と言うのは、近ごろの俗語のようであるが、本朝文粋に収める大江匡衡の文に「臣、謬ってその仁に当たり、いささか盛事を記す(私はあやまってその任に当たる人となり、いささかこの盛事を記す)」と見えている。
解説
人を「仁(じん)」と呼ぶ言い方の古さを、本朝文粋の用例で示した短い一段である。「その仁にあらず」のように、人物を指して仁と言うのは、宣長の時代には近ごろの俗語と思われていた。しかし平安中期の大江匡衡の文にすでに「臣謬当其仁」とある。本朝文粋は藤原明衡が平安中期までの漢詩文を集めた書で、匡衡は赤染衛門の夫としても知られる学者である。俗語と見下されている言葉が、実は古い由緒を持つことがある。宣長はこうした例を拾い集め、言葉の新旧を印象ではなく用例で判断した。今でも「適任の仁」などと言うが、その言い方が千年前の文章にさかのぼることを知ると、言葉の見え方が変わる。
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