玉勝間 / 六の巻 天皇の御前に直に訴を申せし事
春記云、長曆四年、十月廿二日、今日初遷〓內大臣二條第、云云、今夕行幸間、於東院東大路、與神解小路邊宇佐宮下部(月來訴人也、件愁人、被取申文也、但未省裁許愁見命者也、一一、著衣冠、進寄御輿右方、擧音致訴訟之間、希有之事也、爲右將等不追却、不覺者等也、予令追却了、須搦捕、然而行幸新所之間、也、左右有憚也、故不令搦也、事尤非常也、云云、また、同年十二月廿五日、平野行幸日也、云云、今夕還御間、東洞院二條邊和泉國百姓、捧文擧音、成愁訴、云云、行經不令追却、如何、此事及度度、猶可被召禁也、云云と見えたり。いともかしこき御前に、唯だにうたへごと申せるは、いとめづらし。長曆は、後朱雀天皇の御世なり。春記は、春宮ノ大夫資房ノ卿の日記なり。
新字:春記云、長暦四年、十月廿二日、今日初遷〓内大臣二条第、云云、今夕行幸間、於東院東大路、与神解小路辺宇佐宮下部(月来訴人也、件愁人、被取申文也、但未省裁許愁見命者也、一一、著衣冠、進寄御輿右方、挙音致訴訟之間、希有之事也、為右将等不追却、不覚者等也、予令追却了、須搦捕、然而行幸新所之間、也、左右有憚也、故不令搦也、事尤非常也、云云、また、同年十二月廿五日、平野行幸日也、云云、今夕還御間、東洞院二条辺和泉国百姓、捧文挙音、成愁訴、云云、行経不令追却、如何、此事及度度、猶可被召禁也、云云と見えたり。いともかしこき御前に、唯だにうたへごと申せるは、いとめづらし。長暦は、後朱雀天皇の御世なり。春記は、春宮ノ大夫資房ノ卿の日記なり。
書き下し
春記に云う、長暦四年、十月二十二日、今日初めて〓内大臣の二条第に遷る、云云。今夕行幸の間、東院の東の大路、神解小路の辺に於て、宇佐宮の下部(月来の訴人なり、件の愁人、申文を取らる、但し未だ裁許を省みず、愁え命を見る者なり)、一々、衣冠を著し、御輿の右方に進み寄り、音を挙げて訴訟を致すの間、希有の事なり。右将等追却せざるを為す、不覚の者等なり。予追却せしめ了んぬ。須く搦め捕うべし、然れども新所に行幸するの間なり、左右憚り有るなり、故に搦めしめざるなり。事尤も非常なり、云云。また、同年十二月二十五日、平野行幸の日なり、云云。今夕還御の間、東洞院二条の辺にて和泉国の百姓、文を捧げ音を挙げて、愁訴を成す、云云。行経追却せしめず、如何。この事度々に及ぶ、なお召し禁めらるべきなり、云云と見えたり。いともかしこき御前に、ただにうったえごと申せるは、いとめずらし。長暦は、後朱雀天皇の御世なり。春記は、春宮の大夫資房の卿の日記なり。
現代語訳
春記にいう。長暦四年十月二十二日、今日初めて〓内大臣の二条第にお移りになった、云々。今夕の行幸の途中、東院の東の大路、神解小路のあたりで、宇佐宮の下部(数か月来の訴え人である。この訴え人は申文を受け取られたが、まだ裁許が顧みられず、訴えて命令を待っている者である)が、いちいち衣冠を着けて御輿の右方に進み寄り、声を上げて訴えたのは、めったにないことである。右近の将たちが追い払わなかったのは、不注意な者たちである。私が追い払わせた。本来なら捕らえるべきだが、新しい御所へ行幸なさる途中であり、あれこれ憚りがあるので、捕らえさせなかったのである。まったく異常なことである、云々。また同年十二月二十五日は平野社への行幸の日である、云々。今夕の還御の途中、東洞院二条のあたりで、和泉国の百姓が文を捧げ、声を上げて愁訴した、云々。行経が追い払わせなかったのはどういうことか。このことはたびたびに及んでいる。やはり召し捕って禁じるべきである、云々と見えている。まことに恐れ多い天皇の御前で、じかに訴えごとを申したのは、たいそう珍しい。長暦は後朱雀天皇の御代である。春記は春宮大夫資房卿(藤原資房)の日記である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 春記春記と云うふみは、春宮の大夫資房の卿のにきなり。今の世には、ただ一巻ならでは伝わらずと云えり。おのが見たりし本も、八十五ひら有りて、一冊のみなりき。
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『玉勝間』七の巻 不如闕礼仏之勤全敬神之忠との詔同記に、同四年九月十七日、今日春日若宮祭、仍りて念珠を取らず、私に堂に入ることを得ず、京師より奉幣す、云々、礼拝の時に及びて、余に詔して曰く、汝神斎有り、拝すべからざるか、対えて曰く、君の前に何ぞ私の斎を以て礼を闕かんや、また詔して曰く、奏する所礼の意に合う、然れども今は正礼を行う所の処に非ず、仏を礼するの勤めを闕きて、神を敬うの忠を全うするに如かず、余詔旨に従う、と見えたり。詔は鳥羽の法皇の詔なり。こは法皇天王寺に御幸ありて、彼の寺におわしましける時、頼長公も御共にて、さぶらい給えるほどの事なり。然る仏事の御おりしも、さすがに神わざを、やむことなくおぼしめしたる詔の、尊くおぼえ奉るままに、しるしつ。
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『玉勝間』一の巻 中御門宣胤卿の記中御門の権大納言宣胤の卿記に曰く、文明十二年正月一日(壬午)、小朝拝・元三の御薬、乱中より今に至るまで十余年停止す。節会・諸社の祭・諸公事、悉く以て十余年停止す。また曰く、同十日、室町殿年始の参賀、毎年の式日なり、云々。摂家・清華、乱前は悉く車に乗るなり、今は悉く板輿なり、説くべからざるの為体、末世の至極、無力の者か。また曰く、二月廿一日、今日春日祭なり、乱中乱後、諸社の祭悉く停止す、然りと雖も此の祭に於いては、寺門として、上卿并びに諸司等に下行を致し、毎年両度、今に懈怠無し。また曰く、三月廿六日、今日県召除目の初夜なり、乱中一箇度(文明七)行わる、今度宰相中将殿の御昇進に依りて、武家として申し行わるる者なり、公卿・殿上人悉く少分の訪を付けらる、但し用脚未だ到らざるの間、各々半分たるべしと云々、関白五千疋(但し半減の数)、執筆二千疋、其の外公卿・殿上人各々三百疋(但し半分なり)、惣用三万疋と云々。いく疋と有るはみな銭なり。また曰く、同四月十五日、召しに依りて参内す、風雅集書き進ずべきの由、民部卿忠富・中将を以て仰せ下さる、御本・料紙(十六帖)之を下さる。また曰く、九月二日、参内す云々。唐鏡の校合有り。また、十月三日、今日禅閤参内し、江次第を談じ申さると云々。同十日、新関停廃の為、土一揆蜂起して通路を塞ぎ、北白川辺に集会し、関所を焼き払う、内裏修理料と号して、乱後七口所々に新関を立てらるるなり、武家自ら之を用うるの外、修理に於いては沙汰に及ばず、諸人の歎く所なり。また、十三日、参内す云々。同じく参会して河海抄を校合せらる。
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『玉勝間』一の巻 中御門宣胤卿の記また曰く、同十二月二十日云々。時に皇居は土御門殿なり、乱後修理有り、去年十二月七日、日野侍従政資の亭より還幸す。また、文亀二年正月一日(乙亥)節会、世乱以後、長享三年に至るまで、廿二年退転す、延徳二年再興す、近年また退転す、当年代始に依りて、御再興せらるる所なり、去年は諒闇に依りて平座たり。また、同二日、去夜勧修寺中納言、回覧の折紙を以て、年始歳末の礼参らしめざる者は、知行覚悟有るべきの由、室町殿仰せ候、当代大略参らざるの間、此の御沙汰に及ぶ。この年始歳末の礼は、室町殿へ、公卿たちの参らるる事なり。覚悟有るべしとは、今の世の語にも、覚悟せられよと云うと同じ、また曰く、同二月十日、去年越前に下し遣わす使者、今日上る、遅々以ての外の事なり、河合荘(内裏御料所)御年貢三千疋、知行分杣山荘分三千疋(乱以前は請切万四千疋なり)到来す。など有り。これらは、書ども読むとて、ふと心にとどまるふし共の有るを、これかれと、いささかづつぬき出でて書けるなり。乱れたりし世ほど、何事もいたく衰えたりしさましるせるを読めば、いと悲しくて、ほとほと涙も落ちぬかし。今云々と書けるに二よう有り。そはまづ云々とは、古き書共には、語をはぶきたる所に書けるを、中昔より近き世の物には、となりと云えりなど云うべき所に書けり。
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『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞小右記の、長和五年のところに云わく、御即位の後、天下の諸神に奉幣する祝詞。天皇が詔旨と、皇神等の広前に、称辞言え奉り申し給わく、高天原に神留まり坐す、皇親神漏伎神漏美の命以ちて、事寄さし給える、豊葦原の瑞穂の国の、天つ日嗣の高御座の次次、去る四月廿八日より食国天下の政を聞こし食すに依りて、その状を申し給うと、散位正六位上大中臣朝臣高邦を、差し使わして、礼代の幣帛を捧げ持たしめ奉り給う、天皇が御命を、申し給わくと申す。今案ずるに、件の文は祝詞なり、宣命に非ず、とあり。称辞言奉申給は、言の字は竟の誤りなるべし。言の字あまりて、竟と云うことたらざればなり。また申と云う言もあまれり、奉申かとも思えど、それも古には例なき事なり。さてまた次次も聞こえず、次隨隨など有りけむが、字の落ちたるなるべし。四月廿八日は、正月廿九日の誤りなり。これらは、善本には然ぞあるべき。そもそも祝詞宣命などの文、中むかしよりこなた、つぎつぎにつたなく成りて、大かた語のととのわで、ことわり聞こえがたき事もおおかるを、こまかにさだする人も無きは、古意にうとく、古言を知らざるが故なり。これらは詞にあやをなせる物にて、古のは皆いとめでたかりしものを、かくのみなおざりに成り行くがうれたさに、今ことのついでに、いささかおどろかし置くなり。
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『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞同じ記のつづきにまた云わく、天慶九年四月十五日の外記日記に云う、天皇即位す、仍りて五畿内七道諸国の天神地祇に幣帛を奉らんが為に、五畿内は諸司の物を以て宛て用い、諸国は当の正税を以て之に宛て用う、使は道毎に神祇の中臣斎部等を差す、(各駅鈴一口を給う、但し畿内の使には給わず、)また五畿七道諸国の諸神に奉幣する日、廃務の有無の事、天禄元年三月廿日辛酉、終日雨降る、上卿参らず、仍りて政無きなり、今日天皇御即位の後、先例に依りて五畿七道諸国の諸名神に奉幣する使を発遣せらるるなり、件の使等は、神祇官の先日差し申すに依りて、大中臣斎部等を以て其の官と為し、諸国に符し給う、但し神祇官より件の使等を立つ。また、畿内七道の使の官符八枚、七道の幣料、正税を以て之に宛つべき官符五枚等なり、合わせて十五枚、と見えたり。この記は、後の小野の宮の右大臣実資公の日記なり。
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