呻吟語 / 外篇・品藻・人の自然の情を得るは難し
得人不敢不然之情易,得人自然之情難。秦、漢而後皆得人不敢不然之情者也。
書き下し
人の不敢不然の情を得るは易く、人の自然の情を得るは難し。秦・漢而後は皆な人の不敢不然の情を得る者なり。
現代語訳
人がそうせざるを得ない気持ちを得るのは易しく、人の自然な気持ちを得るのは難しい。秦や漢より後は、みな人がそうせざるを得ない気持ちを得ただけです。
解説
従わせ方を二つに分けます。やむを得ずそうするのと、自然にそうするの。前者は力で得られ、後者は得がたい。そして秦漢以後の統治はすべて前者だと断じます。前に出てきた、上手に世を渡る者は人の自然の情を得るという段と同じ主題が、統治史の評価として使われた一段です。従わせ方の質が、時代の質を決めるという見方です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
統治自然の情強制秦漢評価
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『翁問答』上卷之本大臣は家の重脊、君の腹心なれば、高位大禄を与へ、大方の事打任せて計らはせ、礼儀正しく敬て、情深く有る可し、位刑賞威恵の権柄をかりそめにも貸し預けぬものなり、大臣より下の諸士は其位分相応の程々を能く分別して、真実に情深く侮り軽しめず、夫々の器量を能く見分けてさし使ひ、忠臣あるには、其大小軽重に従ひて、褒美を与へ位を揚げ、知行を加增して群臣の勧めとす、士は国の幹君の爪牙なれば、其心を失ふ可からざる事勿論なり、扨農工商は国の資なれば、一入憐みはくみて、其利を利として、其楽を楽む如く、政を成すは君の仁礼を行ふ大槪なり、
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『政談』武家旅宿の境遇を改むる事又上総の国に新門徒と云ふものあり、日蓮宗の一派なり、其の元祖は秀頼卿帰伏の僧にて、上総より上方へ升り討策の相手と成り、御当家を調伏して終に御仕置きになる、夫の僧上方より金銀を取べきため上総の百姓に上人号を許し、まんだらを伝授す、夫れを俗人も段々に受け伝へて之れを新門徒と云ふ、旦那寺は持ちなから寺を曽て用ひす、人死すれは旦那寺の引導したるあとにて火を打ち清めて引導を夫の俗上人仕置す、金を出して人をだまして其の宗門に引き入るゝこと吉利支丹の如し、旦那寺へは一年に何程と定めて米を贈くりて出て入りするものなし、乱行の出家は旦那の来ぬを悦ひて知りつゝ住持すると云へり、初めは一二ケ村なりしか中比は夥しくひろまり、数十ヶ村に成りたりと承はる、箇様なることも手前は搆はぬことゝて申し出つるものなし、田舎には此のたくひのこと尚ほ多かるへし、
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論語・子張篇孟氏、陽膚をして士師たらしむ。曾子に問う。曾子曰く、「上其の道を失いて、民散ずること久し。如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ。」
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説苑・說叢王者、下に臨みて衆を治むる所以を知れば、則ち群臣畏服す。言を聽き事を受くる所以を知れば、則ち蔽欺せられず。萬民を安利する所以を知れば、則ち海內必ず定まる。忠孝もて上に事うる所以を知れば、則ち臣子の行備わる。凡そ劫殺せらるる所以の者は、道術を知りて以て其の臣下を御せざればなり。凡そ吏其の職に勝れば則ち事治まり、事治まれば則ち利生ず。其の職に勝えざれば則ち事亂れ、事亂るれば則ち害成る。
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