玉勝間 / 六の巻 後京極のとなへ
後京極ノ攝政は、つねには、後ノ字、音にてゴと讀むを、同じ愚管抄に、後の京極殿と、ノの字を添へて書きたり。
新字:後京極ノ摂政は、つねには、後ノ字、音にてゴと読むを、同じ愚管抄に、後の京極殿と、ノの字を添へて書きたり。
書き下し
後京極の摂政は、つねには、後の字、音にてごと読むを、同じ愚管抄に、後の京極殿と、のの字を添えて書きたり。
現代語訳
後京極摂政(藤原良経)は、ふつうは「後」の字を音で「ご」と読むが、同じ愚管抄には「後の京極殿」と、「の」の字を添えて書いてある。
解説
後京極摂政藤原良経の呼び名の読み方について、愚管抄の書きぶりを挙げた短い一段である。世間では「ごきょうごく」と音で読んでいるが、愚管抄には「後の京極殿」とある。愚管抄の著者慈円は良経の叔父にあたり、同じ時代を生きた身内である。その人が「のちの」と書いているのだから、当時の呼び方を伝える証拠として、宣長はこれを書き留めたのだろう。人名や称号の読みは、後の世の慣習で変わってしまうことが多い。宣長はそうした読みの一つ一つを、同時代の資料に当たって確かめようとした。名前の呼び方という小さな事柄にも、証拠を求める姿勢が表れている。
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 鎌倉右大臣の名みかどより給へる事愚管抄に云わく、千万御前、元服せさせて、実朝と云う名も、京より給わりて、建仁三年十二月八日、やがて将軍宣下申しくだして云々。
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『玉勝間』十三の巻 式乾門院のよみ式乾門院は、つねにしきけんと訓むを、阿仏尼の十六夜の日記に、仮字に、しきかんもんいんのみくしげどのと書きたり。これ正しきにや有らむ。いかが有らむ。
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『玉勝間』六の巻 小宮同じ書に、建久四、十一、五、同記に云う、今日仁和寺の小宮(高倉院の御子)御灌頂の後朝なり云云。物がたり書どもに、いまだ元服せぬ人を、小君と云えり。これに小宮と有るは、皇子の、童にますほどを申すなるべし。
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『玉勝間』九の巻 人ノ名を文字音に云ふ事人の名を、世に文字の音にて呼びならえる事、古くは、時平の大臣、多田の満仲、源の頼光、安倍の晴明などのごとき有り。やや後には、俊成卿・定家卿、家隆卿、鴨の長明など、もはら文字ごえにのみ云いならえり。琵琶ほうしの、平家物語を語るを聞くに、常にはさもあらぬ、もろもろの人の名どもも、多くは文字ごえに物すなるは、当時ことに、世の中にさかりなりし事なめり。
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『玉勝間』八の巻 後鳥羽ノ天皇ノ御諱のよみ後鳥羽の天皇の御諱尊成、歴代編年集成に、タカヒラと仮字附け有り。成、平なりと云う事なるべし。
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『玉勝間』十三の巻 親王宣旨の書キやう同書に、文治五、十一、十九、同記に云う、高倉院の宮宮、親王の宣旨を下さるべし、云云、御名字を宣下す、云云、壇紙一枚に書く云云、その書様、守貞惟明已上親王と為すと見ゆ。件の二つの御名、並びて各一行に書きて、已上云云は、又一行にて、少し下して書きたり。
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