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玉勝間 / 六の巻 県居ノ大人の伝

あがたゐの大人は、賀茂ノ縣主氏にて、遠祖は、神魂ノ神の孫、鴨武津之身ノ命にて、八咫鳥と化て、神武天皇を導き奉り給ひし神なること、姓氏錄に見えたるが如し。此神の末、山城ノ國相樂ノ郡岡田ノ賀茂ノ大神を以齋く、師朝と云ひし人、文永十一年に、遠江ノ國敷智ノ郡濱松ノ庄岡部ノ郷なる、賀茂の新宮をいつきまつるべきよしの詔を蒙りて、彼ノ郷を賜はり、すなはち彼ノ新宮の神主になさる。此事引馬草に見え、又綸旨の如くなる物あり。又乾元元年にも、詔をかうぶりて、かの岡部の地を領ぜる。これは正しき綸旨有て、家に傳はれり。斯くて世世かの神主たりしを、大人の五世の祖、政定と云ひし、引馬原の御軍に功有て、東照神御祖ノ君より、來國行がうちたる刀と、丸龍の具足とを賜はりぬ。此事は三河記にも見えたり。さて大人は、元祿十年に、此岡部ノ郷に生れ給ひて、若かりしほどより、古、學ヒにふかく心をよせて、享保十八年に、京にのぼりて、稻荷の荷田ノ宿禰東麻呂ノ大人の教をうけ給ひ、寛延三年に、江戶に下り給ひて、其後田安ノ殿に仕奉り給ふ。

新字:あがたゐの大人は、賀茂ノ県主氏にて、遠祖は、神魂ノ神の孫、鴨武津之身ノ命にて、八咫鳥と化て、神武天皇を導き奉り給ひし神なること、姓氏録に見えたるが如し。此神の末、山城ノ国相楽ノ郡岡田ノ賀茂ノ大神を以斎く、師朝と云ひし人、文永十一年に、遠江ノ国敷智ノ郡浜松ノ庄岡部ノ郷なる、賀茂の新宮をいつきまつるべきよしの詔を蒙りて、彼ノ郷を賜はり、すなはち彼ノ新宮の神主になさる。此事引馬草に見え、又綸旨の如くなる物あり。又乾元元年にも、詔をかうぶりて、かの岡部の地を領ぜる。これは正しき綸旨有て、家に伝はれり。斯くて世世かの神主たりしを、大人の五世の祖、政定と云ひし、引馬原の御軍に功有て、東照神御祖ノ君より、来国行がうちたる刀と、丸竜の具足とを賜はりぬ。此事は三河記にも見えたり。さて大人は、元禄十年に、此岡部ノ郷に生れ給ひて、若かりしほどより、古、学ヒにふかく心をよせて、享保十八年に、京にのぼりて、稲荷の荷田ノ宿祢東麻呂ノ大人の教をうけ給ひ、寛延三年に、江戸に下り給ひて、其後田安ノ殿に仕奉り給ふ。

書き下し

あがたいの大人は、賀茂の県主氏にて、遠祖は、神魂の神の孫、鴨武津之身の命にて、八咫烏と化りて、神武天皇を導き奉り給いし神なること、姓氏録に見えたるがごとし。この神の末、山城の国相楽の郡岡田の賀茂の大神を以ていつく、師朝と云いし人、文永十一年に、遠江の国敷智の郡浜松の庄岡部の郷なる、賀茂の新宮をいつきまつるべきよしの詔を蒙りて、かの郷を賜わり、すなわちかの新宮の神主になさる。この事引馬草に見え、また綸旨のごとくなる物あり。また乾元元年にも、詔をこうぶりて、かの岡部の地を領ぜる。これは正しき綸旨有りて、家に伝われり。かくて世々かの神主たりしを、大人の五世の祖、政定と云いし、引馬原の御軍に功有りて、東照神御祖の君より、来国行がうちたる刀と、丸龍の具足とを賜わりぬ。この事は三河記にも見えたり。さて大人は、元禄十年に、この岡部の郷に生まれ給いて、若かりしほどより、古学びにふかく心をよせて、享保十八年に、京にのぼりて、稲荷の荷田の宿禰東麻呂の大人の教えをうけ給い、寛延三年に、江戸に下り給いて、その後田安の殿に仕え奉り給う。

現代語訳

県居の大人(賀茂真淵)は賀茂県主の氏で、遠い祖先は神魂の神の孫の鴨武津之身命であり、八咫烏となって神武天皇を導き申し上げた神であることは、新撰姓氏録に見えるとおりである。この神の子孫で、山城国相楽郡岡田の賀茂の大神をお祀りしていた師朝という人が、文永十一年に、遠江国敷智郡浜松庄岡部郷にある賀茂の新宮を祀るようにとの詔をいただいて、その郷を賜り、そのままその新宮の神主に任じられた。このことは引馬草に見え、また綸旨のようなものもある。また乾元元年にも詔をいただいて、その岡部の地を領有した。これには正式の綸旨があって、家に伝わっている。こうして代々その神主であったが、大人の五代前の祖先の政定という人が、引馬原の合戦で功を立てて、東照神御祖の君(徳川家康)から、来国行が鍛えた刀と、丸龍の具足とを賜った。このことは三河記にも見えている。さて大人は元禄十年にこの岡部郷にお生まれになり、若いころから古の学びに深く心を寄せ、享保十八年に京に上って稲荷の荷田宿禰東麻呂の大人(荷田春満)の教えをお受けになり、寛延三年に江戸に下られて、その後田安の殿(田安宗武)にお仕えになった。

解説

師賀茂真淵の伝記を、宣長が玉勝間に収めた一段の前半である。家系を八咫烏の神にまで遡り、鎌倉時代に遠江の岡部郷の賀茂新宮の神主となったこと、先祖が徳川家康から刀と具足を賜ったことを記す。そして真淵が元禄十年に岡部に生まれ、京で荷田春満に学び、江戸に出て田安宗武に仕えたことへと続く。国学の系譜は、春満から真淵へ、真淵から宣長へと受け継がれた。宣長にとってこの伝は、自分の学問の源を記すことでもあった。神主の家に生まれたという出自が、古の神の道を尋ねる真淵の学問の土台にあったことも、この系譜から読み取れる。師の来歴を記録に残すことは、弟子の務めの一つである。

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