玉勝間 / 六の巻 安徳天皇の御事
木のうへになるとは、むかしは、罪人の首をかくるは、獄の門のもとなる、あふちの木にかけたりし故に、云へるなり。此歌も、同じ書にのせたり。筆のついでに出しつ。
書き下し
木のうえになるとは、むかしは、罪人の首をかくるは、獄の門のもとなる、おうちの木にかけたりし故に、云えるなり。この歌も、同じ書にのせたり。筆のついでに出しつ。
現代語訳
「木の上になる」というのは、昔は罪人の首を懸けるのに、獄の門のそばにある楝(おうち)の木に懸けたので、そう言ったのである。この歌も同じ書(愚管抄)に載っている。筆のついでに書き出しておいた。
解説
前段の戯れ歌に注を加えた短い一段である。木の上になる、とは、昔は罪人の首を獄門のそばの楝(おうち、せんだん)の木に懸けたことによる、と説く。下野守であった源義朝が平治の乱に敗れて首を懸けられたのを、官職の兼官と首を懸けることとに掛けて笑った歌で、敗者を嘲る都人の容赦のなさがうかがえる。宣長は、歌の言葉がなぜそう言えるのかを、当時の刑罰の実際に遡って説明している。言葉の意味は、その背後の習俗を知らなければ分からない。筆のついでに、と断りながらも、読み手が疑問に思うところを放っておかない、宣長の注釈家としての癖がよく出ている。
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 事のはじめてそのきはになるを口と云ふ事俗語に、事の始めてその際になるを、なにがし口と云うこと、ふるし。拾遺集物の名に、くち葉色の折敷、あしひきの山の木の葉のおち口は色の惜しきぞあわれなりける。
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『玉勝間』六の巻 安徳天皇の御事この主上をば、安徳天皇とつけ申したり。海にしずませ給いぬる事は、この王を、平相国いのり出しまいらすることは、安芸の厳島の明神の利生なり。このいつくしまと云うは、龍王のむすめなり、と申し伝えたり。この御神の、心ざし深きにこたえて、我が身の、この王となりて、生まれたりけるなり。さて果てには、海へかえりぬるなりとぞ、この子細知りたる人は申しける。この事は、まことならんと覚ゆ。この三件も、同じく愚管抄なり。この書、七巻有りて、神武天皇より、順徳天皇の御世、承久の乱れの前までの事どもを記して、ところどころに論あり。法師の書けるふみと見えて、その論みな例の仏さだなり。この安徳の帝の御事など、そのかみ例の僧のつくり出でて、云いなしたるが、ひろごりて、世にさるさだ有りしなるべし。平相国にいつくしま、いつく島に龍王のむすめ、りゅうおうの女に海にかえるとは、よくも事あいて、似つきたるものかな。「しもつけは木のうえにこそ成りにけれよしとも見えぬかけづかさかな」。これは平治に源の義朝の首、獄門にかけられたるを詠める、たわぶれ歌なり。しもつけは下野、かけづかさは兼官なり。
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『玉勝間』九の巻 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事そもそも宣長、かかるすじの事を、かえすがえす云い出づる、人はうるさしとも思うらめど、この事のうれたさの、明け暮れ心に忘らるる間も無く覚ゆるから、筆だにとれば、書きいでまほしくてなん。治まれる御代のしるしを千木たかく神のやしろに見るよしもがな
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