玉勝間 / 六の巻 手書く事
よろづよりも、手はよく書かまほしきわざなり。歌詠み學問などする人は、ことに手惡しくては、心おとりのせらるるを、其れ何かは苦しからんと云ふも、一わたりことわりは然る事ながら、猶あかず、うち合はぬ心地ぞするや。のり長いとつたなくて、常に筆とるたびに、いと口惜しう、云ふかひなく覺ゆるを、人の乞ふままにおも無く短册一ひらなど、書き出て見るにも、我ながらだに、いとかたはに見苦しう、かたくななるを、人いかに見るらんと、はつかしく胸いたくて、若かりしほどに、などて手習ひはせざりけむと、いみしうくやしくなん。
新字:よろづよりも、手はよく書かまほしきわざなり。歌詠み学問などする人は、ことに手悪しくては、心おとりのせらるるを、其れ何かは苦しからんと云ふも、一わたりことわりは然る事ながら、猶あかず、うち合はぬ心地ぞするや。のり長いとつたなくて、常に筆とるたびに、いと口惜しう、云ふかひなく覚ゆるを、人の乞ふままにおも無く短册一ひらなど、書き出て見るにも、我ながらだに、いとかたはに見苦しう、かたくななるを、人いかに見るらんと、はつかしく胸いたくて、若かりしほどに、などて手習ひはせざりけむと、いみしうくやしくなん。
書き下し
よろずよりも、手はよく書かまほしきわざなり。歌詠み学問などする人は、ことに手悪しくては、心おとりのせらるるを、それ何かは苦しからんと云うも、一わたりことわりは然る事ながら、なおあかず、うち合わぬ心地ぞするや。のり長いとつたなくて、常に筆とるたびに、いと口惜しゅう、云うかいなく覚ゆるを、人の乞うままにおも無く短冊一ひらなど、書き出でて見るにも、我ながらだに、いとかたわに見苦しゅう、かたくななるを、人いかに見るらんと、はずかしく胸いたくて、若かりしほどに、などて手習いはせざりけむと、いみしゅうくやしくなん。
現代語訳
何事にもまして、字は上手に書きたいものである。歌を詠み学問をするような人は、とりわけ字が下手だと見劣りがするものだが、それが何の差し支えがあろうかと言うのも、一通りの理屈としてはもっともなことながら、やはり物足りず、釣り合わない気がするものだ。私宣長はたいへん字が下手で、筆をとるたびにいつもひどく残念で、情けなく思うのだが、人に頼まれるままに臆面もなく短冊一枚などを書き出してみると、自分で見てさえひどく不格好で見苦しく、ぎこちないので、人はこれをどう見るだろうかと恥ずかしく胸が痛み、若かったころにどうして手習いをしなかったのかと、ひどく悔やまれるのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 物書くに心すべき事古は、かたえの人も、皆心明らかなりしかば、いかに書きても、読みたがうる事無かりしかばこそ有れ、今の世は、みずからこそ心得たらめ、かたえの人は、心得たらねば、ともすれば、読みたがえ、写しひがむるたぐいのみ多かれば、いかにももの書くには、心すべきわざぞと、おのれは思いとりてぞ在る。さればおのが癖にて、つねに物書くに、読みたがえやせん、写しひがめやせんとのみ、心するほどに、もとよりいといと拙き手をいとどしじかみて、かたわには有るなり。また古言などは、殊に人の読みたがえ、誤る事多きを、いかであやまらず、正しく読ましめんとする程に、さらでも有るべき所にも、度ごとに仮字づけしなどして、心高き人には、わらわるるを、みずからも且つは知りながら、しみつきたる癖は、世に離れがたきわざになん。
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『玉勝間』六の巻 書うつし物書く事ふみを写すに、同じくだりのうち、或るはならべるくだりなどに、同じ詞の有る時は、見まがえて、そのあいだなる詞どもを、写し漏らす事、常によく有るわざなり。また一ひらと思いて、二ひら重ねてかえしては、その間の一ひらを、みながら落とすことも有り。これら常に心すべきわざなり。またよく似て、見まがえやすき文字などは、殊にまがうまじく、たしかに書くべきなり。これは写しがきのみにもあらず、おおかた物書くに、心得べき事ぞ。すべて物を書くは、事のこころをしめさむとてなれば、おうなおうな文字さだかにこそ書かまほしけれ。さるをひたすら、筆のいきおいを見せむとのみしたるは、いかなる事とも、読み解きがたきが、世に多かる、あじきなきわざなり。常に書きかわす、消息文なども、文字読みがたくては、云いやるすじ、ゆきとおらず、読む人はた苦しみて、かしらかたぶけつつ、かえさい読めども、ついに読み得ずなどしては、ここ読みがたしと、かえし問わんも、さすがに無体しきようなれば、ただおしはかりに心得ては、事たがいもするぞかし。
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『玉勝間』八の巻 歌もふみもよくととのふはかたき事近き代の人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしと目とまる事は、ほどほどにあまたあめれど、それはた如何にぞや覚ゆる所は交りて、大かた瑕無くととのいたるは、おさおさ見えず。これは思えば、後の世にして、古えをまねぶ事は、いといと難きわざになむ有ける。古えのかしこき人々のだに、是れはしも、露の瑕なしと覚ゆるは、多かる中にも、少くなん有れば、まして今の人のは、いささかなる瑕をさえに、云いたてむは、あながちなるにや有らむ、されど同じくは、人のいささかも難ずべき節まぜぬさまにこそはあらまほしけれ。よき程にて、心をやるをば、もろこしの古えの人も、善からぬ事に云い置きけるをや。
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『玉勝間』六の巻 かなづかひ仮字づかいは、近き世明らかになりて、古学するかぎりの人は、心すめれば、おさおさあやまる事無きを、宣長が弟子どもの、常に歌書きつらねて見するを見るに、誤りのみ多かるは、またいかにぞや。そもそもてにをはのととのえなどは、うい学びの力及ばぬふし有る物なれば、あやまるも、罪ゆるさるるを、仮字づかいは、今は正濫抄もしは古言梯などをだに見ば、むげに物しらぬわらわべも、いとよくわきまうべき業なるを、なおとりはずして、書きひがむるは、かえすがえすいかにぞや。これはた心とどめず、またひたぶるに学びおやにすがりて、たがえらむは、直さるべしと、思いおこたりて、おのが力入れざるからの業にし有れば、かつは憎くさえぞ覚ゆる。しか人にのみすがりたらんには、ついに仮字づかいをば、知る世無くてぞ止みぬべかりける。さればイヰエヱオヲを、またはヒフヘホワヰウヱヲを、またしちすつの濁音など、いささかも疑わしくおぼえむ仮字は、わずらわしくとも、それしるせる書を、書かむたび毎にひらき見て、たしかにうかべずは、止むべきに有らず。何わざも、己が力を入れずては、為得る事かたかるべきわざぞ。人の子の、年たくるまで、親の手はなるる事知らざらむは、いといと云うかいなからじやは。
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『玉勝間』八の巻 今の人の歌文ひがこと多き事近き世の人のは、歌も文も、大かたはよろしと見ゆるにも、猶ひが事の多きぞかし。されど其のたがえるふしを、見知れる人はた世に無ければ、唯だかいなでに、此処かしこえんなる詞を使い、よしめきて、詠みなし書き散らしたるをば、誠に善しと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したり顔すめる、いとかたはら痛く、おこがましくさえぞ思わるる。さるにつけては、斯く云うおのが物する事も、猶いかにひが事有らむと、物よく見知れらむ人の心ぞ、恥しかりける。人のひが事の、よく見え分かるるにつけては、我はよくわきまえたれば、ひが事はせずと、思いほこれど、古えの事の心をさとり知るすじは、限り無きわざにし有れば、此外あらじとは、いとなん定め難きわざなりける。
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『玉勝間』六の巻 玉あられ宣長近き頃玉あられと云う書をかきて、近き世にあまねく誤りならえる事どもをあげて、うい学のともがらをさとせるを、のりながが教え子として、何事も宣長が言に従うともがらの、その後のこの頃の歌文に、この書に出だせる事どもを、なお誤る事の多かるは、いかなるひがことぞや。この書用いぬよそ人は、云うべきかぎりに有らざるを、それだに心さときは、うわべこそ用いざる顔つくれ、げにと覚ゆるふしぶしは、たちまちにさとりて、ひそかに改むるたぐいもあるを、ましてのりながが教えをよしとして、従いながら、改めざるは、このふみ読みても、心にとまらず、やがて忘れたるにて、そはもとより心にしまず、なおざりに思えるからなり。常に心にしめたるすじは、一たび聞きては、しかたちまちに忘るる物には有らざるを、よそ人の思わむ心も、はずかしからずや。これは玉あられのみにも有らず、いずれの書見むも、同じ事ぞかし。
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