玉勝間 / 五の巻 和泉の和ノ字の事
國名のいづみを、和泉と書く。和の字は、いかなる故をもて、添られたるにか、年頃いぶかしかりつるを、つらつら思へば、まついづみと云ふは、和泉郡ありて、上泉、下泉てふ郷も有れば、そこより出たる國の名なる事は、論無し。斯くてその郷の內、府中村と云ふに、今も和泉の井とて、いとめでたき清水有りて、そこに泉ノ井ノ上ノ神社、和泉ノ神社なども有て、式にも見ゆ。然るに並河氏が書ける和泉志を見れば、此和泉、井を擧て、其水清且甘と記せるをもて思へば、此ノ清水、上つ代よりいと清くて、甘かりし故に、にぎいづみと號て、和泉と書きたりしを、其里人などは、唯だ泉とのみ云ひならへるが、ひろごりて、名高き水なれば、京人なども、泉とのみ云ひあへりしままにて、郡の名にも、國の名にも成れるを、すべて國郡などの名、二字に書く事なる故に、文字には必ず、本の名のごとく、和泉とは書なるべし。やまとの國も、語には常には、唯だやまととのみ云ふを、もじには必ズ大ノ字を添へて、大和と書くと同じたくひなり。されば和泉の和の字は、もとにぎ泉と云ひけんゆゑとぞ思はるる。
新字:国名のいづみを、和泉と書く。和の字は、いかなる故をもて、添られたるにか、年頃いぶかしかりつるを、つらつら思へば、まついづみと云ふは、和泉郡ありて、上泉、下泉てふ郷も有れば、そこより出たる国の名なる事は、論無し。斯くてその郷の内、府中村と云ふに、今も和泉の井とて、いとめでたき清水有りて、そこに泉ノ井ノ上ノ神社、和泉ノ神社なども有て、式にも見ゆ。然るに並河氏が書ける和泉志を見れば、此和泉、井を挙て、其水清且甘と記せるをもて思へば、此ノ清水、上つ代よりいと清くて、甘かりし故に、にぎいづみと号て、和泉と書きたりしを、其里人などは、唯だ泉とのみ云ひならへるが、ひろごりて、名高き水なれば、京人なども、泉とのみ云ひあへりしままにて、郡の名にも、国の名にも成れるを、すべて国郡などの名、二字に書く事なる故に、文字には必ず、本の名のごとく、和泉とは書なるべし。やまとの国も、語には常には、唯だやまととのみ云ふを、もじには必ズ大ノ字を添へて、大和と書くと同じたくひなり。されば和泉の和の字は、もとにぎ泉と云ひけんゆゑとぞ思はるる。
書き下し
国名のいずみを、和泉と書く。和の字は、いかなる故をもて、添えられたるにか、年頃いぶかしかりつるを、つらつら思えば、まずいずみと云うは、和泉郡ありて、上泉、下泉ちょう郷も有れば、そこより出でたる国の名なる事は、論無し。斯くてその郷の内、府中村と云うに、今も和泉の井とて、いとめでたき清水有りて、そこに泉の井の上の神社、和泉の神社なども有りて、式にも見ゆ。然るに並河氏が書ける和泉志を見れば、この和泉の井を挙げて、その水清く且つ甘しと記せるをもて思えば、この清水、上つ代よりいと清くて、甘かりし故に、にぎいずみと号けて、和泉と書きたりしを、その里人などは、ただ泉とのみ云いならえるが、ひろごりて、名高き水なれば、京人なども、泉とのみ云いあえりしままにて、郡の名にも、国の名にも成れるを、すべて国郡などの名、二字に書く事なる故に、文字には必ず、本の名のごとく、和泉とは書くなるべし。やまとの国も、語には常には、ただやまととのみ云うを、もじには必ず大の字を添えて、大和と書くと同じたぐいなり。されば和泉の和の字は、もとにぎ泉と云いけんゆえとぞ思わるる。
現代語訳
国名の「いずみ」を「和泉」と書く。「和」の字はどういうわけで添えられたのか、長年不審に思っていたが、よくよく考えると、まず「いずみ」というのは、和泉郡があって、上泉・下泉という郷もあるので、そこから出た国の名であることは議論の余地がない。そしてその郷の内の府中村というところに、今も和泉の井といって、たいそう見事な清水があり、そこに泉井上神社、和泉神社などもあって、延喜式にも見える。ところが並河氏(並河誠所)の書いた『和泉志』を見ると、この和泉の井を挙げて、「その水は清く、かつ甘い」と記しているのから考えると、この清水は上代からたいそう清らかで甘かったので、「にぎいずみ(和泉)」と名づけて「和泉」と書いたのを、その里の人などはただ「いずみ」とだけ言い慣わしていたのが広まり、名高い水なので京の人なども「いずみ」とだけ言い合っていたまま、郡の名にも国の名にもなったのだが、そもそも国や郡などの名は二字で書くことになっているので、文字には必ずもとの名のとおり「和泉」と書くのであろう。大和国も、言葉ではふつうはただ「やまと」とだけ言うのに、文字には必ず「大」の字を添えて「大和」と書くのと同じ類である。だから和泉の「和」の字は、もと「にぎいずみ」と言ったからだと思われる。
解説
関連する章句
-
『玉勝間』二の巻 国を州と云ふ事国国の名を、某州と云う事は、いずれの御代の御さだめにもあらざる事なり。古は、わたくしの漢文などにこそは、いとまれまれには見えたれ、ただしきおおやけの物には、みな某国とのみ有りて、州と云える事はさらに見えず。然るを近き世の人は、かかる上の御さだめをもわきまえ知らず、みだりにからめかす事をのみ好みて、某の国と云うよりは、某州と云うをうるわしき事に心得て、云いも書きもすなるは、いかにぞや。前後上下などに分かれたる国の名の、一字にてはまぎるるをば、野之上州下州、あるは越前州筑後州なども書くめり。そもそも国の字も州の字も、同じく久爾にはあれども、奈良の御代などよりは、斯かる事もみな、その文字を定められて、心にまかせては書かざる事なるをや。またある儒者の云えるは、国と云うは、封建の制にこそあれ皇朝も、郡県の制になされたる世には、州などとこそ云うべけれ、国と定められたるは、あたらぬ文字なりと云えるは、漢国の今までの例になずみて、なかなかにかの国のこころにもあらず、いみしきひがことなり。
-
『神皇正統記』巻一 序大日本とも大倭とも書ことは、此国に漢字伝て後、国の名をかくに字をば大日本と定てしかも耶麻土とよませたるなり。大日孁のしろしめす御国なれば、其義をもとれるか、はた日の出る所にちかければしかいへるか。義はかゝれども字のまゝ日のもとゝはよまず。耶麻土と訓ぜり。我国の漢字を訓ずること多く如此。おのづから日の本などいへるは文字によれるなり。国の名とせるにあらず。又古より大日本とも若は大の字をくはへず、日本ともかけり。州の名を大日本豊秋津といふ。懿徳・孝霊・孝元等の御謚みな大日本の字あり。垂仁天皇の御女大日本姫と云ふ。これみな大の字あり。天神饒速日尊、天の磐船にのり大虚をかけりて「虚空見日本の国」との給。神武の御名神日本磐余彦と号したてまつる。孝安を日本足、開化を稚日本とも号、景行天皇の御子小碓の皇子を日本武の尊となづけ奉る。是は大を加ざるなり。彼此同くやまとゝよませたれど大日孁の義をとらば、おほやまとゝ読てもかなふべきか。
-
『玉勝間』十四の巻 人の名の和ノ字の事人の名に、和の字を、かずと訓むは誤りなり。これはかつにて、つは清音なり。この言は、かてかつかつると活用きて、物を和合することなり。万葉歌に醤酢に蒜つき合てとある、この合而なり。
-
『玉勝間』二の巻 摂津津の国を摂津と云うは、もと国の名にはあらず、難波津をつかさどれる官の名なり。難波は古、京師に准えて、京職と同じく、摂津職を置かれたる、これむねと難波によれる官にして津の国の事をも兼ね掌れり。職員令に、摂津職、津国を帯ぶ、と有るをもて心得べし。そのかみ国の事をも、摂津の国と書ける、これも摂津職の掌る国と云う意なり。さて摂の字は、難波と津の国とを、摂ねて掌るよしなり、静謐の意ぞなど云うはあらず。かくて延暦十三年、職を停めて国と為す、とありて、それよりその官、諸国の司の列となれり。然れども字は猶もとのままに、摂津と書かれたる故に、後の人皆これを、もとより国の名と思うめり。さて文には摂津と書きながら、職にて有りしほども、口に呼ぶ詞には、ただ津のつかさとぞ云いけむ、さらでは呼ぶべきよう無し。国の列になりてはさらなり。然るを俗にせっつとしも読むは、云うに足らぬひが事なり。今の世にも、津の国と云い、摂津守などをも、つのかみと読むぞ、正しかりける。昔女房の名にも、摂津と云いし有りて、撰集などにも出でたり。これもただ津とこそは呼びつらめ、続世継に、津のごとぞある。ごは、伊勢のごなど云うごなり。
-
『玉勝間』十の巻 出雲風土記意宇郡の名のゆゑをしるせる文また出雲の郡に薗長三里云々、此れ則ち出雲と神門と二郡の堺なりと有るは、薗の長浜長さと有りけむが、長の字よりまがいて、長浜の二字の脱けたるにて、かの薗の松山と同所なるを、山は神門の郡に属き、浜は、出雲の郡に属けるにぞあらむ。北門とは、出雲の国の北面の海を云うなるべし。佐伎之国は、佐の字は、於の誤にて、隠岐の国にやあらむ、出雲より北の方にあたればなり。されどこはなお疑わし。そのよしは下に云うべし。所取与の与の字は、而の誤なり、上下なる例もて知るべし。自多久乃は、島根の郡に、多久の社また多久川あり。秋鹿の郡との堺なり。乃の字は、川の誤か、されど上の自去豆と有る下にも、この字有りて、去豆には川は見えざれば、ここも如何が有らむ。打絶与は、(打の字一本に折と有るは誤なるべし)与の字は、これも而の誤なり。狭田之国は、秋鹿の郡に、佐太川また佐太の水海など見ゆ、これなり。但しここは、秋鹿楯縫二郡の地を云えるなり。北門良波之国は、いまだ考え得ず。そもそも良理流礼呂を、言の頭に置ける例は無き事なれば、良の字は誤なるか。
-
『玉勝間』二の巻 国を州と云ふ事まずかの国の今までの例とは、封建と云いし代には、斉国魯国など云いつれども、いわゆる郡県になりてよりは、某国と云う事は、今までの代代には、例無ければなり。されどそれになずめるは、なかなかにかの国のこころにもあらずと云うゆえは、すべてかの国にて、かようの物の定めは、さきざきの例にはかかわらず、その時時の王の心にて、いかにもいかにも定むる事にて、その定めわろしとても、用いざるようは無し。されば地の分かちざまなども、後の代代には、くさぐさ有りて、先の代に例無き事もあれど、そはとまれかくまれ、その定めにこそは従うなれ。されば其のこころをもて云わば、皇朝にても天の下を、かの郡県の制にならいて定められたりし御代にも、その名をば改めず、なお古より有り来しままに、某国と定め給いたりしも、天皇の大御心にしあれば、なでう事かはあらん。なお云わば、から国のこころはいかにまれ、それにかかわるべき事やは。皇国は皇国なる物をや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る