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玉勝間 / 五の巻 また

いせ物がたりは、物語のあるが中にも、おもしろく、詞すぐれたる物語にて、世にあまねくもて遊ぶ物語なるを、あやしう心得ぬふしどもも、所所まじれるは、後の人の、寫しひがめたるなめり。さるを、やがてたすけて說かむとせば、中中にしひ言にぞなりぬべき。又これはすべて例の作り物語にし有れば、在五中將にまれ、こと人にまれ、その人の上の事のたがひめなどは、咎むべきにも有らず。唯だおかしく作りなしたる、ことのあやをこそ、とりめでて、歌まなびのたすけにも、文かくほんにもすべき業なれ。歌も稀れには、得も云はず惡ろきも交れり、さる心して見べし。注釋どもは、あまた有る中に、云ふべきは、契沖が臆斷、師の古意そ有るを、たがひになん善き惡しき所は有ける。又共にいかにぞや覺ゆるふしも少なからず。おのれはた思ひ得たるふしども有て、早くより、つぶさにしるさまほしく思ひわたるを、めかり鹽燒かねども、伊勢をのあまのいとま無くて、得しもはたさぬが、口惜しさに、せめて唯だ此れ彼れと撰り出て、いささか上の件には物しつるぞかし。

新字:いせ物がたりは、物語のあるが中にも、おもしろく、詞すぐれたる物語にて、世にあまねくもて遊ぶ物語なるを、あやしう心得ぬふしどもも、所所まじれるは、後の人の、写しひがめたるなめり。さるを、やがてたすけて説かむとせば、中中にしひ言にぞなりぬべき。又これはすべて例の作り物語にし有れば、在五中将にまれ、こと人にまれ、その人の上の事のたがひめなどは、咎むべきにも有らず。唯だおかしく作りなしたる、ことのあやをこそ、とりめでて、歌まなびのたすけにも、文かくほんにもすべき業なれ。歌も稀れには、得も云はず悪ろきも交れり、さる心して見べし。注釈どもは、あまた有る中に、云ふべきは、契沖が臆断、師の古意そ有るを、たがひになん善き悪しき所は有ける。又共にいかにぞや覚ゆるふしも少なからず。おのれはた思ひ得たるふしども有て、早くより、つぶさにしるさまほしく思ひわたるを、めかり塩焼かねども、伊勢をのあまのいとま無くて、得しもはたさぬが、口惜しさに、せめて唯だ此れ彼れと撰り出て、いささか上の件には物しつるぞかし。

書き下し

いせ物がたりは、物語のあるが中にも、おもしろく、詞すぐれたる物語にて、世にあまねくもて遊ぶ物語なるを、あやしう心得ぬふしどもも、所々まじれるは、後の人の、写しひがめたるなめり。さるを、やがてたすけて説かむとせば、なかなかにしい言にぞなりぬべき。又これはすべて例の作り物語にし有れば、在五中将にまれ、こと人にまれ、その人の上の事のたがいめなどは、咎むべきにも有らず。ただおかしく作りなしたる、ことのあやをこそ、とりめでて、歌まなびのたすけにも、文かくほんにもすべき業なれ。歌も稀には、得も云わず悪ろきも交じれり、さる心して見るべし。注釈どもは、あまた有る中に、云うべきは、契沖が臆断、師の古意ぞ有るを、たがいになん善き悪しき所は有りける。又共にいかにぞや覚ゆるふしも少なからず。おのれはた思い得たるふしども有りて、早くより、つぶさにしるさまほしく思いわたるを、めかり塩焼かねども、伊勢おのあまのいとま無くて、得しもはたさぬが、口惜しさに、せめてただこれかれと撰り出でて、いささか上の件には物しつるぞかし。

現代語訳

伊勢物語は、物語の数ある中でもおもしろく、言葉の優れた物語で、世間で広く愛読されている物語であるが、妙に納得のいかない箇所があちこちに混じっているのは、後の人が写し誤ったのであろう。それを、そのまま擁護して説こうとすれば、かえってこじつけになってしまうだろう。またこれはすべて例の作り物語なのだから、在五中将(在原業平)であれ別人であれ、その人の身の上の事実との食い違いなどは、咎めるべきでもない。ただおもしろく作り上げた言葉の綾をこそ愛でて、歌を学ぶ助けにも、文を書く手本にもすべきものである。歌もまれには、何とも言えないほど悪いものも混じっている。そのつもりで見るべきである。注釈書は数多くある中で、取り上げるべきは契沖の『勢語臆断』と師(賀茂真淵)の『伊勢物語古意』であるが、互いに良いところと悪いところがある。またどちらにも、どうかと思われる箇所が少なくない。私もまた思いついた点がいくつかあって、早くから詳しく書き記したいと思い続けてきたが、海藻を刈り塩を焼くわけではないけれども、伊勢の海人のように暇がなくて果たせずにいるのが残念なので、せめてあれこれと選び出して、少しばかり上の件に書いておいたのである。

解説

前の長い覚え書きの締めくくりとして、宣長が伊勢物語への基本的な向き合い方を述べた段である。伊勢物語は言葉の優れた名作だが、わからない所が混じるのは後世の写し誤りだろう。それを無理に擁護して解釈すればこじつけになる、と言う。また作り物語なのだから、主人公を業平と見て史実との食い違いを咎めるのは筋違いで、言葉の綾を味わい、歌や文章の手本にすればよい、とも言う。注釈では契沖と師の真淵を挙げ、どちらにも良し悪しがあると公平に評する。結びでは、伊勢の海人の縁語を連ねて、忙しくて詳しい注釈を書けないと嘆いてみせる。名作を崇めすぎず、楽しみと学びの両方に使う。古典との健全な付き合い方である。

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