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玉勝間 / 五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つ

初のくだり、男のきたりける云云、男の、のの文字ひがことなり。眞名本に無きぞ宜しき。男のとては、云云して歌を書てやる事、女のしわざになるなり。月やあらぬてふ歌の條、ほいにはあらで、此詞聞えず。眞字本に、穗にはと有るも、心ゆかず。穗には出でずなどこそ云へ、ほにはあらでなどは、聞つかぬ心地す、猶もじの誤リなどにや。うつの山のところ、わが入らむとする道は、いとくらう細きに、つたかへではしげりて云云、かへではのはは、てにをはなり。上の道はのはと重ねて、かうやうに云ふ、一つの格なり。「秋はきぬ紅葉はやどに降りしきぬ道ふみ分てとふ人は無し、など、三つも重ねて云へる、此類多し。眞名本に葉と書るによりて、然か心得ては、いとつたなき文になるなり。「君がためたをれる枝は云云。此歌は、君にわが心ざしの深きにかなひて、春ながらも、秋の如く色ふかく染たり、と云ふ意なるべし。注どもに、秋と云ふ言になづみて、女の心のうつろふ事に心得たるはいかが。さてはかへしの歌めづらしげ無し。又女の心を疑ふべきよしも、上の詞に見えず。「いでていなば心かろしと云云。

新字:初のくだり、男のきたりける云云、男の、のの文字ひがことなり。真名本に無きぞ宜しき。男のとては、云云して歌を書てやる事、女のしわざになるなり。月やあらぬてふ歌の条、ほいにはあらで、此詞聞えず。真字本に、穂にはと有るも、心ゆかず。穂には出でずなどこそ云へ、ほにはあらでなどは、聞つかぬ心地す、猶もじの誤リなどにや。うつの山のところ、わが入らむとする道は、いとくらう細きに、つたかへではしげりて云云、かへではのはは、てにをはなり。上の道はのはと重ねて、かうやうに云ふ、一つの格なり。「秋はきぬ紅葉はやどに降りしきぬ道ふみ分てとふ人は無し、など、三つも重ねて云へる、此類多し。真名本に葉と書るによりて、然か心得ては、いとつたなき文になるなり。「君がためたをれる枝は云云。此歌は、君にわが心ざしの深きにかなひて、春ながらも、秋の如く色ふかく染たり、と云ふ意なるべし。注どもに、秋と云ふ言になづみて、女の心のうつろふ事に心得たるはいかが。さてはかへしの歌めづらしげ無し。又女の心を疑ふべきよしも、上の詞に見えず。「いでていなば心かろしと云云。

書き下し

初めのくだり、男のきたりける云云、男の、のの文字ひがことなり。真名本に無きぞ宜しき。男のとては、云云して歌を書きてやる事、女のしわざになるなり。月やあらぬちょう歌の条、ほいにはあらで、この詞聞えず。真字本に、穂にはと有るも、心ゆかず。穂には出でずなどこそ云え、ほにはあらでなどは、聞きつかぬ心地す、猶もじの誤りなどにや。うつの山のところ、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、つたかえではしげりて云云、かえではのはは、てにおはなり。上の道はのはと重ねて、こうように云う、一つの格なり。「秋はきぬ紅葉はやどに降りしきぬ道ふみ分けてとう人は無し、など、三つも重ねて云える、この類多し。真名本に葉と書けるによりて、然か心得ては、いとつたなき文になるなり。「君がためたおれる枝は云云。この歌は、君にわが心ざしの深きにかないて、春ながらも、秋のごとく色ふかく染めたり、と云う意なるべし。注どもに、秋と云う言になずみて、女の心のうつろう事に心得たるはいかが。さてはかえしの歌めずらしげ無し。又女の心を疑うべきよしも、上の詞に見えず。「いでていなば心かろしと云云。

現代語訳

初めのくだりの「男のきたりける」云々は、「男の」の「の」の字が誤りである。真名本にないのがよい。「男の」としては、云々して歌を書いて贈ることが、女のしわざになってしまう。「月やあらぬ」という歌の条の「ほいにはあらで」は、この言葉は意味が通らない。真名本に「穂には」とあるのも納得がいかない。「穂には出でず」などとは言うが、「ほにはあらで」などは聞き慣れない感じがする。やはり文字の誤りなどであろうか。宇津の山のところの「わが入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦かえではしげりて」云々の「かえでは」の「は」は助辞(てにをは)である。上の「道は」の「は」と重ねて、このように言う一つの型である。「秋は来ぬ紅葉は宿に降りしきぬ道踏み分けて訪う人は無し」などと、三つも重ねて言っている、この類は多い。真名本に「葉」と書いているのに従ってそう心得ると、たいそう拙い文になるのである。「君がため手折れる枝は」云々。この歌は、あなたへの私の思いの深さにかなって、春でありながらも秋のように色深く染まった、という意味であろう。注釈書の多くが「秋」という言葉にとらわれて、女の心が移ろう(心変わりする)ことと心得ているのはどうか。それでは返しの歌が目新しくない。また女の心を疑うべきわけも、前の地の文に見えない。「いでていなば心かろしと」云々。

解説

伊勢物語を読みながら気づいた本文の問題点を、段を追って書き連ねた長い覚え書きの第一部である。宣長は、流布する仮名本と、偽書と断じた真名本を並べ、どちらの本文がよいかを一か所ずつ判定していく。「男の」の「の」一字で、歌を贈る主体が男から女に入れ替わってしまうという指摘は、助辞の重みをよく示す。宇津の山の「蔦かえでは」の「は」を、真名本は「葉」と書くが、宣長は「道は」「かえでは」と「は」を重ねる和文の型だと見抜き、古今集の歌を例に挙げる。偽書と断じた本でも良い所は採り、悪い所は捨てる。「君がため」の歌では、秋の語に引きずられて心変わりと読む通説を、返歌との釣り合いから退ける。細部の一字を、文脈全体の筋から判断していく読みの手本である。

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