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玉勝間 / 五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つ

かへし「下ひもの云云、又かへし「戀しとは云云、此又のかへし、かなへりとも聞えず。眞名本には、此二首は、上とは別條にて、「戀しとは云云、かへし「下ひもの云云と有り、よろし。今はさること似げ無く云云、誰れとも無くて、斯く云へること聞えず。眞名本には、なま翁の今は云云と有り、よろし。されど歌の上に、中將なりける翁と有るは惡ろし、かの翁とこそ云ふべけれ。又は上を、中將なりける翁今はさること云云と云ひて、歌の所には、何とも云はでも有りなん。大鷹のたかがひを、眞名本に、大方之鷹飼と有るは、ひがことなり。西宮記にも、鷹飼王卿、大鷹飼者、著地摺獵衣、綺袴玉帶、鷂飼者云云と有る、ここによくかなへるをや。昔みかど住吉に云云、此條すべて詞足らず。他條の例に似ず。「我見てもの歌も、誰が歌とも、わきまへがたく、大神の現形も俄なり。他條の例にならひて云はば、昔男、みかどの住吉に行幸し給ひける、御供につかうまつりて詠める、「我見ても云云、と詠めりければ、大神云云、などこそ有べけれ。「むつまじと云云の歌は、何事ぞや。二の句を、君は知らずやとすれば、大かた聞ゆるやうには有れど、猶いとつたなし。

新字:かへし「下ひもの云云、又かへし「恋しとは云云、此又のかへし、かなへりとも聞えず。真名本には、此二首は、上とは別条にて、「恋しとは云云、かへし「下ひもの云云と有り、よろし。今はさること似げ無く云云、誰れとも無くて、斯く云へること聞えず。真名本には、なま翁の今は云云と有り、よろし。されど歌の上に、中将なりける翁と有るは悪ろし、かの翁とこそ云ふべけれ。又は上を、中将なりける翁今はさること云云と云ひて、歌の所には、何とも云はでも有りなん。大鷹のたかがひを、真名本に、大方之鷹飼と有るは、ひがことなり。西宮記にも、鷹飼王卿、大鷹飼者、著地摺猟衣、綺袴玉帯、鷂飼者云云と有る、ここによくかなへるをや。昔みかど住吉に云云、此条すべて詞足らず。他条の例に似ず。「我見てもの歌も、誰が歌とも、わきまへがたく、大神の現形も俄なり。他条の例にならひて云はば、昔男、みかどの住吉に行幸し給ひける、御供につかうまつりて詠める、「我見ても云云、と詠めりければ、大神云云、などこそ有べけれ。「むつまじと云云の歌は、何事ぞや。二の句を、君は知らずやとすれば、大かた聞ゆるやうには有れど、猶いとつたなし。

書き下し

かえし「下ひもの云云、又かえし「恋しとは云云、この又のかえし、かなえりとも聞えず。真名本には、この二首は、上とは別条にて、「恋しとは云云、かえし「下ひもの云云と有り、よろし。今はさること似げ無く云云、誰とも無くて、斯く云えること聞えず。真名本には、なま翁の今は云云と有り、よろし。されど歌の上に、中将なりける翁と有るは悪ろし、かの翁とこそ云うべけれ。又は上を、中将なりける翁今はさること云云と云いて、歌の所には、何とも云わでも有りなん。大鷹のたかがいを、真名本に、大方之鷹飼と有るは、ひがことなり。西宮記にも、鷹飼王卿、大鷹飼者、地摺の猟衣、綺の袴、玉帯を著く、鷂飼者云云と有る、ここによくかなえるをや。昔みかど住吉に云云、この条すべて詞足らず。他条の例に似ず。「我見てもの歌も、誰が歌とも、わきまえがたく、大神の現形も俄なり。他条の例にならいて云わば、昔男、みかどの住吉に行幸し給いける、御供につかうまつりて詠める、「我見ても云云、と詠めりければ、大神云云、などこそ有るべけれ。「むつまじと云云の歌は、何事ぞや。二の句を、君は知らずやとすれば、大かた聞ゆるようには有れど、猶いとつたなし。

現代語訳

「返し『下ひもの』」云々、また「返し『恋しとは』」云々。この二度目の返しは、合っているとも聞こえない。真名本では、この二首は前とは別の条で、「『恋しとは』云々、返し『下ひもの』」云々とあり、よい。「今はさること似げ無く」云々は、誰ということもなくこう言っているのが意味が通らない。真名本には「なま翁の今は」云々とあり、よい。けれども歌の上に「中将なりける翁」とあるのは悪い。「かの翁」と言うべきである。あるいは前を「中将なりける翁、今はさること」云々と言って、歌のところでは何も言わなくてもよいだろう。「大鷹の鷹飼」を、真名本に「大方之鷹飼」とあるのは誤りである。『西宮記』にも「鷹飼の王卿で大鷹を飼う者は、地摺りの狩衣、綾の袴、玉の帯を着ける。鷂(はしたか)を飼う者は」云々とあるのが、ここによく合っているではないか。「昔、帝住吉に」云々。この条は全体に言葉が足りない。他の条の例に似ていない。「我見ても」の歌も誰の歌とも見分けがたく、大神(住吉明神)の現れ方も唐突である。他の条の例にならって言うなら、「昔男、帝の住吉に行幸し給いける、御供につかうまつりて詠める、『我見ても』云々と詠めりければ、大神」云々などとあるべきである。「むつまじと」云々の歌は何のことか。二句目を「君は知らずや」とすれば、おおよそ意味が通るようではあるが、やはりひどく拙い。

解説

覚え書きの第十部である。歌の贈答の順序が乱れた所では、真名本の並びのほうが、贈る歌と返す歌として自然だと判定する。「大鷹の鷹飼」を真名本は「大方之鷹飼」と書くが、宣長は『西宮記』に大鷹を飼う者の装束の規定があることを引いて、仮名本の「大鷹」が正しいと証明する。ここでは真名本を退けており、どちらの本に肩入れするでもなく、証拠のある方を採っている。住吉行幸の段については、誰の歌かも住吉明神の現れ方もわからず、他の段の書き方と比べて言葉が足りないと見て、他の段の型にならった形を示してみせる。作品全体に共通する書き方の型を物差しにして、個々の段の欠けを測るのである。一部だけを見ず全体の型と比べる読み方は、長い文章を点検するときに今も役立つ。

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