玉勝間 / 五の巻 右近ノ馬場のひをりの日の事
古今集の詞書、また伊勢物語に、右近ノ馬塲のひをりの日云云と有る、こはいといとかたき事として、昔の物知り人たちも、とりどりに云へることなれど、いづれも心得ぬこと有。それが中に、ひをりと云ふ稱は、顯昭の袖中抄に、眞手番の日は、射手の近衞舍人、褐の尻を、前さまに引たをりて、まへにはさむ故に云ふ、と云へるぞ、さもと聞えたる。されどその眞手番と云へる、五日六日の騎射は、師の考、の如く、大内の馬塲にてこそあれ、其日左右近衞の馬塲にて有る事は、いづれの書にも見えざれば、右近ノ馬塲のその日とは、いづれの日を云ふならむ、さだかならず。さて又師の考へには、ひをりを、引柵または標柵ならん、と云はれつれど、馬塲の埓を、ひをりと云へる事、物にも見えず、又然か云ふべくも思はれず。まして標をひと云へる事も無し。又標を立ッればとて、其日を標柵の日とは云ふべくも有らざれば、此說も二つともに取がたし。かにかくに此事は、まことに難義にぞ有りるる
新字:古今集の詞書、また伊勢物語に、右近ノ馬塲のひをりの日云云と有る、こはいといとかたき事として、昔の物知り人たちも、とりどりに云へることなれど、いづれも心得ぬこと有。それが中に、ひをりと云ふ称は、顕昭の袖中抄に、真手番の日は、射手の近衛舎人、褐の尻を、前さまに引たをりて、まへにはさむ故に云ふ、と云へるぞ、さもと聞えたる。されどその真手番と云へる、五日六日の騎射は、師の考、の如く、大内の馬塲にてこそあれ、其日左右近衛の馬塲にて有る事は、いづれの書にも見えざれば、右近ノ馬塲のその日とは、いづれの日を云ふならむ、さだかならず。さて又師の考へには、ひをりを、引柵または標柵ならん、と云はれつれど、馬塲の埓を、ひをりと云へる事、物にも見えず、又然か云ふべくも思はれず。まして標をひと云へる事も無し。又標を立ッればとて、其日を標柵の日とは云ふべくも有らざれば、此説も二つともに取がたし。かにかくに此事は、まことに難義にぞ有りるる
書き下し
古今集の詞書、また伊勢物語に、右近の馬場のひおりの日云云と有る、こはいといとかたき事として、昔の物知り人たちも、とりどりに云えることなれど、いずれも心得ぬこと有り。それが中に、ひおりと云う称は、顕昭の袖中抄に、真手番の日は、射手の近衛舎人、褐の尻を、前さまに引きたおりて、まえにはさむ故に云う、と云えるぞ、さもと聞えたる。されどその真手番と云える、五日六日の騎射は、師の考えのごとく、大内の馬場にてこそあれ、その日左右近衛の馬場にて有る事は、いずれの書にも見えざれば、右近の馬場のその日とは、いずれの日を云うならむ、さだかならず。さて又師の考えには、ひおりを、引柵または標柵ならん、と云われつれど、馬場の埒を、ひおりと云える事、物にも見えず、又然か云うべくも思われず。まして標をひと云える事も無し。又標を立つればとて、その日を標柵の日とは云うべくも有らざれば、この説も二つともに取りがたし。かにかくにこの事は、まことに難義にぞ有りける。
現代語訳
古今集の詞書や伊勢物語に「右近の馬場のひおりの日」などとあるのは、たいへん難しいこととして、昔の物知りたちもまちまちに説いてきたことだが、どれも納得のいかないところがある。その中で「ひおり」という呼び名については、顕昭の『袖中抄』に「真手番(まてつがい)の日は、射手の近衛舎人が褐衣(かちえ)の裾を前の方へ引き折って前に挟むから、こう言う」と言っているのが、なるほどと聞こえる。けれどもその真手番という五日・六日の騎射は、師(賀茂真淵)の考えのとおり、大内裏の馬場で行うものであって、その日に左右近衛府の馬場で行うことはどの書にも見えないので、「右近の馬場のその日」とはどの日を言うのか、はっきりしない。さてまた師の考えでは、「ひおり」を「引柵」または「標柵」であろうと言われたが、馬場の埒(囲いの柵)を「ひおり」と言った例は書物にも見えず、またそう言うはずとも思われない。まして標(しるし)を「ひ」と言った例もない。また標を立てるからといって、その日を「標柵の日」と言うはずもないので、この説も二つとも取りがたい。いずれにせよこの事は、まことに難しい問題である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 右兵衛馬場北山抄に、右兵衛の馬場と云うも見えたれば、右近の馬場のみならず、六衛府みな、おのおのその馬場有りしなり。
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『玉勝間』五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つやよいのつごもりに、その日云云、その日と云える詞、いたずらにて拙なし。紅葉のちくさに見ゆるおり、この詞いかが、真名本に無きぞ善き。もみじもと有らば、有りてもよからんか。板敷のしたに、したはしもなるべし。板敷のうちのしもつかたを云うなり。板敷のしたには、人の居るべきにも有らず。みちの国にいきたりけるにとは、この物語の作者の、みずから行きたるよしにや。もしこの歌詠める翁の事ならば、かの翁と云う事、みちの国にの上に無くてはいかがなり。かりはねんごろにもせで、上に、狩に来ませるよしを云わざれば、この詞ゆくりなく聞ゆ。これによりて思うに、桜花を見ありくを、桜がりと云うなれば、この条に狩と云えるは、皆桜がりの事にやあらん。上にも下にも、ただ桜の事をのみ云えればなり。かたののなぎさの家その院の云云、こは聞えぬ詞なり。真名本に、かたののなぎさの院のと有り、よろし。かのうまのかみ詠みて奉りける、かのうまのかみと云う事無くて有らまほし。「思えども身をし分けねばは、分けぬにと云う意なり、この例古き歌には多し。身を分くるは、身を二つに分くるなり。めかれせぬは、雪故にえ帰らで、そこに在るを云う。
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『玉勝間』五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つその故は、待つにと云うまでは、ただ一度のさまを云える文なるに、たびたび過ぎと続けて云いては、俄なり。さればこは、よろこびて待つに来ず、さること度々なりければ、などように有るべき所なり。むかし男かたいなかに住みけり。真名本に、昔男女と有るぞ善き。男とのみにては、次なる男と云う言も余り、また待ちわびたりけるにと云うも、上に女と云う言無くては、聞えず。「梓弓真弓つき弓云云、この歌、初めの二句、いかなる意にか、さらに聞えず。又真名本に、神言忠令見と書けるは、もとより借字ながら、いとつたなき書きざまなり。下の句は、昔わがうるわしみせしがごとく、今の男に、うるわしみせよと云えるなり。「見るめなきわが身を云云、この歌のこと、古今集の遠鏡に云えり。さてこの歌をここに出だせるは、下の句、はしの詞にかなわず聞ゆ。又色このみなる女と云うことも、ここに有るべき詞に有らず。これらによりて思うに、これは、「秋の野にちょう歌の次に、多く詞落ちて、もと上とは別条にぞ有りけむ。え得ずなりにける事、わびたりける人の云云、真名本には、わびを慙と書けり、共にかなえりとも聞えず。
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『玉勝間』八の巻 八的同じ記に、寛弘二年五月十四日辛酉、早旦、資平左府より来たりて云う、昨馬場に出ず、左右近各三人、又三兵、次に廐の馬を馳せしめ、次に八的を射しむ。
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『玉勝間』十二の巻 幅と云ふ事堀川院百首に、ぬぎかけしぬしは誰とも知らねどもひとのにたてる藤袴かな、一野に一幅をかねたり。
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『玉勝間』五の巻 いせ物がたりを読みて云はまほしき事ども一つ二つ初めのくだり、男のきたりける云云、男の、のの文字ひがことなり。真名本に無きぞ宜しき。男のとては、云云して歌を書きてやる事、女のしわざになるなり。月やあらぬちょう歌の条、ほいにはあらで、この詞聞えず。真字本に、穂にはと有るも、心ゆかず。穂には出でずなどこそ云え、ほにはあらでなどは、聞きつかぬ心地す、猶もじの誤りなどにや。うつの山のところ、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、つたかえではしげりて云云、かえではのはは、てにおはなり。上の道はのはと重ねて、こうように云う、一つの格なり。「秋はきぬ紅葉はやどに降りしきぬ道ふみ分けてとう人は無し、など、三つも重ねて云える、この類多し。真名本に葉と書けるによりて、然か心得ては、いとつたなき文になるなり。「君がためたおれる枝は云云。この歌は、君にわが心ざしの深きにかないて、春ながらも、秋のごとく色ふかく染めたり、と云う意なるべし。注どもに、秋と云う言になずみて、女の心のうつろう事に心得たるはいかが。さてはかえしの歌めずらしげ無し。又女の心を疑うべきよしも、上の詞に見えず。「いでていなば心かろしと云云。
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