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玉勝間 / 五の巻 ちくしやう

世に、おやこあるははらからなどたはくる者を、畜生なりと云ふ。もろこしの國にても、隋の文帝が時に、陳夫人と云ひしに、太子廣がけさうしけるを、文帝聞て、いたく怒りて、畜生何足付、大事、と云へりし事あり。

新字:世に、おやこあるははらからなどたはくる者を、畜生なりと云ふ。もろこしの国にても、隋の文帝が時に、陳夫人と云ひしに、太子広がけさうしけるを、文帝聞て、いたく怒りて、畜生何足付、大事、と云へりし事あり。

書き下し

世に、おやこあるいははらからなどたわくる者を、畜生なりと云う。もろこしの国にても、隋の文帝が時に、陳夫人と云いしに、太子広がけそうしけるを、文帝聞きて、いたく怒りて、畜生何ぞ大事を付するに足らん、と云えりし事あり。

現代語訳

世間では、親子やきょうだいの間で淫らな関係を結ぶ者を「畜生だ」と言う。中国でも、隋の文帝の時代に、陳夫人という人に太子広(のちの煬帝)が懸想したのを文帝が聞いてひどく怒り、「畜生に、どうして大事(天下)を任せられようか」と言ったことがある。

解説

人倫にもとる者を「畜生」とののしる言い方が、中国にもあることを示した段である。隋の文帝は、自分の寵愛する陳夫人に皇太子の広が言い寄ったと聞いて激怒し、畜生にどうして国の大事を任せられようかと言った。広は後の煬帝で、この後まもなく文帝は亡くなり、広が帝位についた。宣長は日本の俗な罵り言葉と同じ発想が、中国の史書に見えることを淡々と記している。仏教の六道でいう畜生道の語が、倫理を踏み外した者への非難として日中どちらにも定着していたのである。宣長は漢意を批判したが、人の心の自然な働きは国を問わず共通すると見ていた。怒りの言葉が国境を越えて似通うところに、人情の普遍を読むこともできる。

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