玉勝間 / 五の巻 狂歌
狂歌と云ふこと、文粹の一の卷、源ノ順の歌の小序に見えたり。但しからのなり。今云ふ狂歌には有らず。
新字:狂歌と云ふこと、文粋の一の巻、源ノ順の歌の小序に見えたり。但しからのなり。今云ふ狂歌には有らず。
書き下し
狂歌と云うこと、文粋の一の巻、源の順の歌の小序に見えたり。但しからのなり。今云う狂歌には有らず。
現代語訳
「狂歌」という言葉は、『本朝文粋』巻一の、源順の歌の小序に見えている。ただしこれは唐(漢詩)のものである。今言う狂歌ではない。
解説
「狂歌」という語の古い用例と、今の意味との違いを指摘した短い段である。平安中期の漢詩文集『本朝文粋』には、源順が「狂歌」という語を用いている。源順は和名抄を編んだ学者で、梨壺の五人の一人として万葉集の訓読にも携わった人物である。しかしそこでいう狂歌は漢詩の戯れの作のことで、宣長の時代に流行した、和歌の形を借りて滑稽や風刺を詠む狂歌とは別物だと宣長は断る。同じ語が時代によって指すものを変えるので、古い用例を見つけても、すぐに今の意味で読んではならない。これは宣長が古語の解釈で常に気をつけた点である。天明の頃には江戸で狂歌が大流行しており、宣長も耳にしていたはずだ。言葉の見かけの同一に惑わされない慎重さを示す一段である。
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