玉勝間 / 五の巻 おこは まはり
今の世、女の言に、强飯を、おこはと云へり。大神宮年中行事に、御强と見ゆ。又菜をまはりと云ふこと、同じ書に、御シ廻八種と有り。枕ざうしには、あはせと見えたり。
新字:今の世、女の言に、強飯を、おこはと云へり。大神宮年中行事に、御強と見ゆ。又菜をまはりと云ふこと、同じ書に、御シ廻八種と有り。枕ざうしには、あはせと見えたり。
書き下し
今の世、女の言に、強飯を、おこわと云えり。大神宮年中行事に、御強と見ゆ。又菜をまわりと云うこと、同じ書に、御廻八種と有り。枕ぞうしには、あわせと見えたり。
現代語訳
今の世の女性の言葉で、強飯(こわめし)を「おこわ」と言っている。『大神宮年中行事』に「御強(おこわ)」と見える。また菜(おかず)を「まわり」と言うことも、同じ書に「御廻(おまわり)八種」とある。『枕草子』では「あわせ」と見える。
解説
女房言葉として知られる「おこわ」と「おまわり」の古い用例を、伊勢神宮の『大神宮年中行事』から示した段である。蒸したもち米の強飯を「おこわ」、おかずを「おまわり」と言うのは、宮中の女房たちから広まった丁寧な言い方とされる。宣長はこれが神宮の古い行事書にすでに「御強」「御廻八種」と書かれていることを見つけた。さらに『枕草子』では、おかずにあたるものを「あわせ」と呼んでいると付け加える。宣長は伊勢に近い松坂に住み、神宮の古記録に親しんでいた。今は台所の言葉として何気なく使う語が、神に供える食事の言葉としてもとは用いられていたことがわかる。食べ物の呼び名は、祭や宮廷の作法を通って日常に下りてくる。言葉の身分の移り変わりが見える一段である。
関連する章句
-
『玉勝間』十一の巻 いはゆる御所詞同書に、内裏仙洞には、一切の食物に、異名を付けて召さるる事なり。一向存知せざる者は、当座に迷惑すべき者なり。
-
『玉勝間』八の巻 おひなる女の詞に、人の寝たるが起くる事を、おひなると云う。伊勢などにては、おひるなると云う。
-
『玉勝間』八の巻 おちつき物へゆきつきて、喰う食を俗に落着と云うこと、仁治三年内宮仮殿記に、奉遷使祭主従三位神祇権大副大中臣隆通、亥の刻許り参宮す、云云、御息所は経継神主の宿館、長官落付の飯酒を沙汰し進む、と有り。
-
『玉勝間』十一の巻 つねの供御のやうおなじふみに、毎日三度の供御は、御めぐり七種、御汁二種なり。御飯は、わりたる強飯を聞こし召すなり。
-
『玉勝間』十四の巻 又つねの饌は、羹一つ、菜一つにて止むべし、しなじな数多ければ、これかれにまぎれて、美き物ももはらならねば、さしもめでたくおぼえず。但し他の饗饌は数すくなくてはさうざうしき心地す。あまり多きも、なかなかめでたからずおぼゆ。数多くつもりて後々は、うるさくあきたくなるなり。ただ羹は品をかえて、数おおきもよろし。さて昔はすべて、あつものと云いしを、近き世には、始めの一つを、汁と云い、次に出すを、二の汁と云いてその余をば、汁とは云わず。吸物と云いて、汁とすい物とは、別なる如し。又いわゆる菜をば、昔はあわせと云えり。清少納言枕冊子などに見ゆ。又伊勢神宮の書に、まわりと有るは、伊勢の言か。この国の今も山里人など、まわりと云う所あり。
-
『玉勝間』十四の巻 饌饌をつくりととのうるを、俗に料理と云い、それよりうつりて、そのつくりととのえたる饌をさしても、料理と云い、御料理を下さる、結構なる料理など云う、みな饌を云えり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る