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玉勝間 / 五の巻 歌の道 さくら花

しき島の道又歌の道と云ふ事、後の世には常なれど、古今集ノ序を見るに、かの御世や歌のこころをしろしめしたりけむ云云、ここに古への事をも、歌のこころをも、知れる人云云、人まろなくなりにたれど、歌のこととどまれるかな、など有るは、後の世の文なりせば、必ず歌の道とぞ云はましを、斯く歌のこころ、歌のことなど云ひて、道とは云はず。眞字序には、斯道とも吾道とも有るを、かな序には、すべて歌に道と云へる事見えず。又櫻の花を、さくら花と云ふこと、これも後の世にはつねなれど、古今集には、詞書には、いづこもいづこも、さくらの花と、の文字をそへてのみ云ひて、ただにさくらばなと云へる事は、歌こそあれ、詞には一つも見えず。おほかた是れらになずらへて、歌詠まむにも、文書かむにも、古、と後ノ世とのけぢめ、又漢文と御國文とのけぢめ有ること、又歌と詞とかはれる事もあるなどを、いささかの事にも、心をとどめて、わきまふべきわざぞ。こは古今集を讀むとて、ふと心附けるままに、おどろかし置くなり。

新字:しき島の道又歌の道と云ふ事、後の世には常なれど、古今集ノ序を見るに、かの御世や歌のこころをしろしめしたりけむ云云、ここに古への事をも、歌のこころをも、知れる人云云、人まろなくなりにたれど、歌のこととどまれるかな、など有るは、後の世の文なりせば、必ず歌の道とぞ云はましを、斯く歌のこころ、歌のことなど云ひて、道とは云はず。真字序には、斯道とも吾道とも有るを、かな序には、すべて歌に道と云へる事見えず。又桜の花を、さくら花と云ふこと、これも後の世にはつねなれど、古今集には、詞書には、いづこもいづこも、さくらの花と、の文字をそへてのみ云ひて、ただにさくらばなと云へる事は、歌こそあれ、詞には一つも見えず。おほかた是れらになずらへて、歌詠まむにも、文書かむにも、古、と後ノ世とのけぢめ、又漢文と御国文とのけぢめ有ること、又歌と詞とかはれる事もあるなどを、いささかの事にも、心をとどめて、わきまふべきわざぞ。こは古今集を読むとて、ふと心附けるままに、おどろかし置くなり。

書き下し

しき島の道又歌の道と云う事、後の世には常なれど、古今集の序を見るに、かの御世や歌のこころをしろしめしたりけむ云云、ここに古えの事をも、歌のこころをも、知れる人云云、人まろなくなりにたれど、歌のこととどまれるかな、など有るは、後の世の文なりせば、必ず歌の道とぞ云わましを、斯く歌のこころ、歌のことなど云いて、道とは云わず。真字序には、斯道とも吾道とも有るを、かな序には、すべて歌に道と云える事見えず。又桜の花を、さくら花と云うこと、これも後の世にはつねなれど、古今集には、詞書には、いずこもいずこも、さくらの花と、の文字をそえてのみ云いて、ただにさくらばなと云える事は、歌こそあれ、詞には一つも見えず。おおかたこれらになずらえて、歌詠まむにも、文書かむにも、古えと後の世とのけじめ、又漢文と御国文とのけじめ有ること、又歌と詞とかわれる事もあるなどを、いささかの事にも、心をとどめて、わきまうべきわざぞ。こは古今集を読むとて、ふと心附けるままに、おどろかし置くなり。

現代語訳

「敷島の道」また「歌の道」という言い方は、後の世ではふつうだが、古今集の序を見ると、「あの御代には歌の心をご存じであったのだろう」とか、「ここに古の事をも歌の心をも知っている人は」とか、「人麻呂は亡くなったが、歌のことはとどまっていることよ」などとあるのは、後の世の文であったなら必ず「歌の道」と言ったであろうところを、このように「歌の心」「歌のこと」などと言って、「道」とは言っていない。真名序には「斯道」とも「吾道」ともあるのに、仮名序には、歌について「道」と言っているところはまったく見えない。また桜の花を「さくら花」と言うことも、これも後の世ではふつうだが、古今集では、詞書にはどこもかしこも「さくらの花」と「の」の字を添えて言うばかりで、ただ「さくらばな」と言っているのは、歌にはあるが、詞書には一つも見えない。おおよそこれらになぞらえて、歌を詠むにも文を書くにも、古と後の世との区別、また漢文と日本の文との区別があること、また歌と散文とで言葉が変わることもあることなどを、ささいなことにも心をとどめて、わきまえるべきである。これは古今集を読んでいて、ふと気づいたままに、注意を促しておくのである。

解説

古今集を読んでいてふと気づいた二つのことから、言葉の区別の大切さを説いた段である。一つは「歌の道」という言い方で、後世には当たり前だが、古今集の仮名序には「歌の心」「歌のこと」とあるだけで「道」とは言わない。「斯道」「吾道」と道を持ち出すのは漢文で書かれた真名序のほうである。もう一つは「さくら花」で、古今集では歌には出てくるが、散文の詞書では必ず「さくらの花」と言う。宣長はここから、古と後世、漢文と和文、歌と散文では言葉遣いが違うことを、小さな点にも気をつけて見分けよと教える。歌を「道」と呼んで格式ばらせるのは漢意の影響だという含みもある。文体ごとの言葉の違いに敏感であれという助言は、文章を書く者すべてに通じる。

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